警備保障タイムズ下層イメージ画像

トップインタビュー

警備業ヒューマン・インタビュー2019.7.21

尾関一郎さん(セコム 代表取締役社長)

JVとともに「セコムする」

<<売上高1兆円、グループ人員総数6万人のトップに立った感慨はいかがですか>>

――責任の重さをヒシヒシと感じています。ただ、自分ができることをきちっとコツコツやっていけば結果はついてくるものと信じてやることにつきると思います。6万人という数字はグループ会社195社を含めたものです。大事なことは、それぞれの会社には、それぞれの考え方や対応があり、それぞれの意見や方針に耳を傾け、グループとしての組織を率いていかなければならないと感じています。

<<今、セコム・グループは「警備会社」でくくれない組織になりました>>

――私が以前いた損害保険もあれば、医療やデータセンター事業もあります。だからこそ、各社のトップと対話しながら指揮していくことに留意すべきでしょう。

<<今秋はラグビーW杯、来年は東京オリンピック・パラリンピックです。本社1階ロビーには「2020をセコムする」というキャッチフレーズのCM動画が流れていました>>

――担当部門が知恵を絞って考えてくれ、評判のいいCMが増えています。「セコムする」というフレーズは、創業者の飯田(亮・現取締役最高顧問)が宴席で思いついたと聞いています。ある芸者さんが朋輩に「△△ちゃん、きちんと家、セコムしてきたの?」と言った言葉を聞いて、「これだ!」と直感して生まれたそうです。

<<それをミスター・プロ野球、長嶋茂雄さんがCMで「セコムしてますか」と呼び掛けました>>

――飯田はお酒を飲んでいるときでも仕事をしていたのですね(笑)。セコムしている、というのは、ちゃんと家の警備をして安全を守り、安心を提供する代名詞になりました。今では、イベントも含めた幅広い代名詞になりつつあるのはありがたいことです。

<<東京2020大会では、JVとして警備に当たります>>

――これは前社長の中山(泰男・現会長)がALSOKの社長、青山(幸恭)さんと一緒に共同代表になってオールジャパン体制で臨むと宣言しました。2020年は、日本の安全安心を世界に向けてアピールする絶好のチャンスなのです。セコムは1964年の東京五輪で選手村を警備して、飛躍の第1ステップとなりました。今回の大会警備は1社でできる規模ではありません。JV設立に賛同した13社、さらには全国の警備会社と手を携えて警備に当たる。そして「日本の大会警備は成功だった。その陰にセコムあり」でいいのではないでしょうか。

<<地方の警備会社の経営者から「5人でもいいから警備に参加させたい。警備員には大会警備に携わったのだという誇りを感じてほしい」という声を聞きました>>

――警備会社は、大会期間中でも日常の業務はあります。その上でプラスの人員を捻出することは大きな負担です。しかし、大会警備ということは、会社や社員のステータス、モチベーションを高めるだけでなく、社員の家族にとっても誉れなのです。私のところにも、ぜひ参加させてくれという声が届いています。

先ほども言いましたが、セコムは64年の東京五輪を100人強で警備しました。人が巡回し、常駐する人の警備が主軸でした。しかし、今回は規模が違います。警備の概念も違います。そうしたことを勘案して警備を立案、五輪の成功に貢献したいと考えています。

<<「警備における大会のレガシー」が言われています>>

――警備の五輪レガシーというのは物=ハードを残すのではなく、「うちのお父さんはオリンピックの警備をしていた」というような“ハート面”でのレガシーが残ってほしいものです。物の遺産ではなく、「心の遺産」と言い換えてもよいのではないでしょうか。

新分野へのチャレンジ

<<尾関さんは、創業者の飯田さんを企業経営者として、どう見ているのか興味があります>>

――飯田は一代で売上高1兆円の企業を作りました。それも、日本にはなかった警備業という新しい産業をゼロから作ったところにすごさがあると思います。一代で企業を作った人はいても、新しい産業を作った人はいない……その発想に驚きです。

<<私(六車)が全国紙の経済部記者のときに飯田さんから直接聞いた話が忘れられません。それまでの巡回警備をやめて機械警備を営業のメインにする大転換の経緯です。役員すべてが「(巡回警備を)ここまで大きくしたのにもったいない」と言ったそうです。飯田さんは「全員が反対か。ならばやる」と新しい分野への挑戦に英断を下した話です>>

――ある人が「飯田さんは10年先が見えていたのでしょうね」とおっしゃいました。例えば、現在はIoTが注目されていますが、電話回線を使って企業や家庭と警備会社とをつなぐのは、一種のIoTのはしりだったかもしれないですね。また、機械を売り切りにするのではなく、毎月お金を頂くレンタルにしたのは、現在の音楽配信や携帯電話料金といった課金ビジネスの元祖のようなものでしょう。これらを60年代に取り入れていたのは、10年どころから30年先を見越していたのですね。こんなことを申し上げると、「生意気なこと言うな」と飯田から叱られそうですが……。

<<尾関さんは社長就任にあたって「グループ2030年ビジョンの実現に向けた体制の強化・グループロードマップ2022の更なる推進」を掲げられました>>

――中山前社長の下で策定したビジョンは、良いコンセプトがたくさん詰まっています。私の任務は、ビジョンを具現化する、そして、ロードマップを実現することです。その中で申し上げると、個人のマーケットでは、防犯のニーズに加え見守りのニーズが高まってきています。都市部では防犯ニーズ自体が多いのですが、地方から都市部に来ている人たちの故郷の親を見守るサービスの需要も非常に高いものがあります。

もう一つは国内のご契約240万件のうち106万件を占める法人のお客さまに対して、プラスアルファのサービスを提供することです。セコムには日本でも5指に入る設備を持った「データセンター」があります。これを生かして企業の生産性の向上につながるサービスの提供を展開することにチャンスがあると思います。

昨今はご存じのように人手不足です。1人あたりの生産性を上げ、人的負荷を下げる必要があります。契約数の増加に比例して社員が増えるというのでは、あまり良くない。その辺の生産性向上、作業負荷軽減、競争力強化のための設備投資は避けては通れません。業務プロセスやシステムそのものを見直す必要があると考えています。

<<海外事業に目を転じて下さい>>

――株主総会でもお話させていただきましたが、今後も国際事業には力を入れていきます。2月には13か国目となるトルコに進出しました。つい先日、マレーシアで世界の拠点長会議を開きました。世界の各国では国民性も違えば、GDPも違う、宗教も違う、国の体制も違う。その国に合ったものをどう投入していくかが大切です。その上で、「海外はもっとスピード感を出さなければならない。現在伸びていない所は何が阻害要因となっているのか。本音で話してほしい」と要望しました。日本での「成功体験」が外国では必ずしも通用するとは思いません。世界に向けて安全安心のブランドとしてお役に立ちたいのです。

警備業ヒューマン・インタビュー
――7月に社名変更 2019.7.11

徳田穂積さん(国際セーフティー 代表取締役社長)

「幅広い安心と安全」込めて

――7月11日に社名を国際警備保障から国際セーフティーに変更しました。

「50年以上にわたり使ってきた社名なので、お客さまにも浸透しており私自身も愛着がありました。しかし警備保障という言葉からは交通誘導警備をイメージされることが多く、当社は主に1号警備や機械警備を手掛けているので社名と業務内容のイメージが離れていると気になっていました。元号が令和に変わったこともあり、新しい時代を新しい社名で歩もうと考えました」

「最近では防犯カメラといった防犯機器やAEDの販売にも力を入れています。人による警備だけでなく、もっと幅広く安心と安全を保障しているという意味を込めるためには、セーフティーという言葉がふさわしいと考えました」

「当社のことを知らない人が当社社員と知り合った時に、何を手掛けている会社だろうかと興味を持ってくれるかもしれません。その際に、機械警備からホームセキュリティー機器やAEDの販売まで幅広く手掛けていますと説明することで商売のチャンスが生まれるかもという期待もあります」

――新しい社名になり、どの事業に力を入れますか。

「防災グッズやAEDの販売に力を入れます。交換や機器リニューアルによる、リピート客や更なる拡大が見込めるからです。非常食や飲料水といった防災グッズは始めた当初は売れ行きも芳しくなかったのですが、一度軌道に乗ると口コミで評判が広がるとともに、賞味期限が切れると継続して購入してもらえます」

「AED販売は大きな事業になりました。米国で生活経験がある私の娘から現地では至る所にAEDが設置されているという話を聞いていました。興味を持っていたところ、2004年に市民によるAEDの使用が解禁されたので、すぐに販売を始めました。初年度販売数は100台ほどでしたが、2年目は300台と3倍なり、その後も右肩上がりで増え続けています。現在は月100台のペースで販売しており、毎年、製造メーカーから感謝状をもらうまでになりました」

――どうしてAEDの販売が成功したのですか。

「AED販売を手掛ける会社は多いのですが、そのほとんどが“売りっ放し”ではないでしょうか。他社で購入したお客さまが当社に乗り換えてくれることが多くあり、その理由を聞いたことがあります。『以前購入した会社はAEDを設置すると、すぐに帰ってしまった。その後のフォローもなかったから』という回答でした。当社では設置時に社員がその場で使い方を必ず説明します。AEDを購入していただくのは法人が多いのですが、説明してもらった時の社員が転勤などで入れ替わったので、再度説明してほしいとの要望があれば何度でも説明会を開きます。それが好評で、売上げにも結びついていると思います」

――東京では来年にオリンピック、本社のある大阪では2025年に万国博覧会が開催されます。

「現在ある業務に支障のない範囲で、20代や30代の警備員にオリンピックの警備を経験させたいと考えています」

「万博はまだ先のことで具体的なことは決まっていませんが、警備を担当することになれば十分に対応できる自信があります。1990年に開かれた『国際花と緑の博覧会』では半年間、毎日30万人の来場者の9割が通過する正面ゲート警備を担当しました。その時の社員が現在は当社イベント事業部に在籍しており、当時のマニュアルが残っていることや警備計画作成ノウハウを持っているからです」

――今後の会社のありようについては、どうお考えですか。

「現在、スマートフォンでホームセキュリティー機器の管理ができるようになっています。数十年後には更に進んで、携帯可能な端末一つであらゆるリスクに対する危機管理ができるようになっていると思います。しかし最終的には人を守るのは人間です。これは時代やテクノロジーがどれだけ進んでも変わりありません。そのため、いつの時代でも警備員の教育に力を入れ続けます」

「警備員が誇りを持って働くことができる会社であり続けたいと考えています。例えば、当社では制服をデザイナーに注文してオリジナルのものを作っています。費用は掛かりますが、続けていきます」

警備業ヒューマン・インタビュー
――「教育功労者」に聞く2019.7.1

赤松幸一さん(アサヒセキュリティ警務司令本部次長)

修練積み、手本を見せる

――教育関係功労者として、6月に全国警備業協会の協会会長賞を受賞しました。

東京都警備業協会(鎌田伸一郎会長)の特別講習講師を19年にわたり務めています。貴重品運搬警備業務(1級・2級)を中心に教えており、過去には施設警備や雑踏警備、交通誘導警備も担当していました。表彰を受けることができたのは、講師に送り出してくれた会社の理解や関係者の方々の支えのおかげだと感謝しています。

同じ講師の仲間にもさまざまなアドバイスや指導をしていただき、非常に助かっています。皆さん所属する会社は違えど、警備業界の資質向上という目的は同じなので強い連帯感があります。

講師になったきっかけは、内勤時代に会社の上司に「君はいろいろと勉強している。その知識を人に教えてみてはどうだろうか」と言われたことです。その時は警備の仕事を始めて7年目で、特別講習講師になることは意識していませんでした。上司の勧めで講師の資格を取るための研修を受けたところ、職務の重要さに気が引き締まりました。

――どのような考え方で受講生を指導しており、講師のやりがいは何ですか。

山本五十六海軍元帥の「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」という言葉を指導の基本理念にしています。まず私が手本を見せて、それを受講生にやってもらいます。手本通りに行うことができれば誉めて、できない場合はその理由を説明しています。

そのためには、必ず私が手本を見せることができなければなりません。常に手本を示せるように、私自身も成長を続ける必要があるため修練を続けています。

受講生に変化があった時にやりがいを感じます。受講生の中には会社に指示されて仕方なく受講している人もいます。そのような人たちが講義が進むにつれて「受講して有益な知識を得ることができました」や「業務に役立ちます」と発言するようになり、真剣に学ぶ姿を見ると特別講習講師になって教えて良かったと思います。

警備現場で別の会社の警備員から「特別講習でのご指導ありがとうございました」と声を掛けられたり、また休日に街なかで声を掛けてもらうこともあり、覚えてもらえていると嬉しく思います。

警備会社によって業務マニュアル内容は違います。しかしシーンによって何をするべきかや、どのような行動がミスにつながるのかといったことは共通しています。それらの基本を教えることで、警備業界全体の資質向上に貢献しているという誇りを持っています。

――教えるに当たり難しいことはどのようなものがありますか。

例えば法律を教える時はただテキストに書かれている内容を教えるだけではなく、その根拠や背景を理解しなければ現場では役立たないと思っています。そのため解説本や参考書籍を読み込むのですが、本によっては法律の根拠の解釈が違うのです。それらを読み比べ、研究する必要があります。受講生にとっては試験に受かる受からないということに加え、警備現場での行動の基準になるので重い責任を感じます。

受講生は所属する会社も異なれば、一人ひとり性格や得意なことなどが違います。受講生一人ひとりに合った教え方をすることがとても大切です。そうすることで教えたことが身に付き、試験の時はもちろん現場の仕事でも役立つことができると思います。そのように教えることは難しいですが、非常に大切な事だと考えています。

――講師の仕事を続けることができた理由について。

講師を始めてしばらくすると、教えることが非常に楽しくなりました。だからこそ、本を何冊も読み比べての勉強も苦になりません。長年教えていると試験に出そうな所や、受講生が苦手そうなポイントが分かってきます。それらを重点的に教えた結果、実際に試験に出題されて受講生が合格した時は自然に笑顔がこぼれます。

これまでは受講生を教えてきましたが、これからは後進の講師を育てることにも力を入れたいと思っています。警備業界のためになることはもちろんのこと、講師になる人にとっても知識の再確認をすることで業務に役立つからです。