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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

トランプなんて怖くない!(中)2016.5.1

準戦時下の大統領選で強いストレス

無論、本紙・警備保障タイムズの掲載後だが、4月から当コラムをフェイスブックにアップした。様々な反響があり面白い。

前回の「トランプなんか怖くない」(上)には「トランプ、サンダース現象は孤立主義のみでは説明できない」という指摘を頂いた。

その通りで、この現象を構造的に分析するとすれば、1960年代以降の大きな政治的地殻変動や、戦後30年間の平和と好況で生み出された「分厚い中間層」が2008年のリーマンショック後、崩壊過程に入り社会的格差が広がったことなどを指摘しなくてはならない。

この結果、中流から滑り落ちた下層白人層の中央権力への怒り、これに人種差別、性差別問題も加わり社会全体に、かつてない閉塞感が高まっている。加えて2001年9月の同時多発テロ事件以来、15年間も続く対テロ戦争という準戦時体制下のストレスが国民に重くのしかかっている。

現代米国政治の構造変化は、民主党の権力基盤であったニューディール連合が60年代以降、崩壊し始めたことによる。これに乗じて共和党は、80年代以降、レーガン、ブッシュ親子政権を実現したが、21世紀に入って穏健派と、建国原理主義ともいうべき茶会グループ(ティーパーティー)とに分断された。二大政党制が機能しなくなったといえる。

南北戦争で一敗地にまみれた南部諸州は、リンカーンの共和党に強い怨念を抱き、その反動で長く民主党の金城湯池だった。大恐慌時、民主党のフランクリン・ルーズベルトが進めたニューディール政策は、こうした南部の民主党支持者と中西部の組織労働者、そして北東部のリベラル派を結び付けニューディール連合を作った。以後、ほぼ一貫して民主党が下院を制してきたのも、カソリックという宗教少数派のジョンF・ケネディ(35代)大統領を生んだのもこの連合が基盤にある。

アメリカ政治の構造変化

しかし、この連合はケネディの後継、ジョンソン大統領が進めた公民権法により分裂に向かう。南部諸州の白人農民層、労働者の多くは、この法案が黒人の権利を優先し白人層の既得権を侵害すると受け止めたからだ。この流れに乗ったのが1964年大統領選挙に共和党候補となったバリー・ゴールドウォーター・ルイジアナ州上院議員だった。同候補は選挙には大敗したが南部民主党白人票を取り込み、ディープサウスといわれる南部6州で勝利した。この「南部戦略」が1980年のレーガン大統領(40代)誕生の推進軸となる。

しかし、民主党の地盤を切り崩した共和党の幸せな時代も長く続かない。中央政府の権限、特にオバマ政権の進めた公的健康保険制度をめぐり共和党は分裂する。連邦政府が公的保険への加入を義務化したことは、建国以来の州権限である徴税権への侵害で憲法違反、とする茶会党が勢力を伸ばし穏健主流派と厳しく対立する。今回、出馬したテッド・クルーズ(テキサス州)はその旗手だ。

一方で、準戦時下のストレスと閉塞感を象徴するのが、最近の自殺率の上昇だ。連邦保健統計局によると2006年以降、自殺率は年率2%のペースで増加、30年ぶりの高水準。45~64歳層、高卒以下の白人層、特に女性で高まる傾向で、原因としては麻薬の摂取、アルコール中毒が挙げられている。

アメリカは多様な価値観、人種が溶け合う溶鉱炉ではない。それぞれが自己主張しながら自分の場を見つけようとする“サラダボウル社会”だ。平和で経済が発展していれば共存できるが、社会不安が高まれば核分裂が始まる。この変動には注目しなくてはならないが、トランプ現象はその蜃気楼にすぎない。本質を見極めることが大切だ。