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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

今そこにある危機2016.8.1

領域紛争、中国の真意と日本の対応

防衛庁を担当し、湾岸戦争当時はワシントン特派員として国防総省に通い詰めたが、国防の専門家とはとても言えない。その私から見ても、このところ東シナ海とその上空で起きている事態は、とてつもなくシリアスだ。すべては6月12日、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所が、中国の南シナ海での領域主張に対し、「根拠なし」の判断を下したことから始まっている。

判決の3日前、尖閣周辺の接続水域を中国海軍艦船が通過した。これまで日本の海上保安庁に当たる海警艦が領海に接近することはあったが軍艦は初めてで、明らかなエスカレーションだ。判決前日の11日には東シナ海の公海上を飛行していた空自のYS11―EBと海自のUP―3C(いずれも電子偵察機)に中国空軍のSU27二機がスクランブルをかけた。そして判決から5日後の17日、東シナ海上空で空自のF152機に中国のSU302機が攻撃動作を仕掛けた。両国政府が沈黙を守る中、10日後に元空将がつぎのような事実を暴露した。

「攻撃動作を仕掛けられた空自機は防御機動でこれを回避したが、中国機は旋回、正対する姿勢を取りレーダー照射でロックオン(ミサイル発射照準)をしてきたので、自己防御装置を使用しながら攻撃を回避、戦域から離脱した」。

自己防御装置とはミサイルの赤外線追跡装置を欺瞞する高熱の発射体で「訓練以外で使ったのは初めて」と明かした。これがどのくらい危険なことか、高速道路で向かい合うF1レーサーが時速1200キロメートルで意図的に正面衝突を仕掛けるようなものだ。撃墜されるか、撃墜するか、離脱か――。コンマ1秒以内で判断しなければ死が待つのみ。防衛庁関係者も、「これまでのいかなるスクランブルと比べても比較にならぬほど深刻な事態」という。

理解に苦しむのは政府の反応だ。荻生田官房副長官は元空将がブログで告発した後、中国軍機が南下、空自機がスクランブルした事実は認めたものの、「攻撃動作やミサイル攻撃を受けた事実はない」と述べるに止まった。厳重警告しないと中国は同じような行為を繰り返す可能性が高いのにこの沈黙は何故か?日本政府が今、「床に落ちる針の音も聞き逃さないよう」息をひそめて中国内部の権力闘争を注視しているからだ。

中国共産党も人事の年

マスコミは、もっぱらアメリカ大統領選に目を奪われているが隣国、中国でも来年の中国共産党全国代表大会に向け人事抗争が過熱している。ポイントは習近平体制継続か、政権交代かである。

春先までは続投が当然視されてきたが、流れが変わったのが3月の米中首脳会談。アジアからの完全撤退を求める習にオバマ大統領は愕然とし、「習近平は米中戦争を望んでいる」という疑念が走った。

一方で江沢民、旧胡錦濤派は、汚職追及に名を借り自派の勢力をそぎ、対外的に「瀬戸際戦略」を進める習近平に危機感を募らせて奪権に動き始めた。

その矢先、南シナ海判決での完敗は習近平の手痛い失政となった。反習派が勢いづき、力を増していることは、ポスト習を伺う李克強首相が外交にタッチしない前例を破り7月15日に安倍首相と長時間、会談したことでもうかがえる。李は中国の主張を譲らなかったものの対話重視の危機回避モードをにじませた。

つまり、今の習は全てを失うぐらいなら対米、対日軍事衝突も辞さず、その危機をてこに政変を乗り切ろうとしているのだ。これに米・日が強硬に反応すれば、むしろ習を助けることになる。政府の慎重対応は、米国と打ち合わせた上での危機回避策だが、回避できるかどうかは中国の権力抗争次第だ。