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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

北方領土と総裁任期の関係(下)2016.10.11

カネ(経済協力)でシマは買えるのか

単純化すると北方領土問題解決の方程式は、「4か2か、その間を取るか」の三択である。「2島返還で終わり」では国民感情が許さない。他方、「4島を日本に帰す」となればロシア国民は納得しない。双方受け入れ可能な「その間を取る」とは何をどうすることなのか。この「解」をめぐり戦後71年間、歴代政権は国際情勢に翻弄されながら知恵を絞り、ソ連(ロシア)側と、駆け引きを続けてきたわけだ。

ところで、この問題に関する両国の主張を簡単に整理してみよう。1951年9月、サンフランシスコで日本が調印した対日講和条約第2条C項には、こう書かれている。「日本国は、千島列島ならびに日本国が1905年のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」。

この条文解釈をめぐって3つの問題が派生した。1つは通称「南千島」と呼ばれる択捉、国後島は千島列島に含まれるのかどうか。日本政府は、51年10月の国会で一度は「南千島も含まれる」と答弁した。これなら国後、択捉に関しては権利放棄したことになる。ところが55年の政府見解では一転、「国後、択捉は、日本の固有の領土であり第2条にいう千島列島とは別」と修正した。米国政府も56年9月、「国後、択捉島は、北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹島とともに常に固有の日本の領土の一部をなしてきたもの」との覚書を出した。

さらに日本政府は当時のソ連政府が講和会議を欠席、条約に調印していないから「領土の放棄」はソ連に対して行われたものではなく、最終的な島の帰属は、国際的な会議で確定されるべきと主張してきた。一方のソ連(現ロシア)からすれば4島は第2次世界大戦の結果としてソ連が獲得したものであり講和条約に拘束されない。引き渡すかどうかはロシアの主権行為であり、その場合は恩恵的に「与える」との立場をとる。

2島先行論の虚実

冷戦期、米国は2島返還で日ソが手打ちすることを許さなかった。冷戦後、この呪縛が解け始める。以降の自民党海部、橋本、小渕、森内閣は、新しいアプローチによる北方領土問題の打開を模索する。つまり、「2と4の間合いを取る」駆け引きが始まったわけだ。この中で、「最も合意に近づいた」と丹波実元ロシア大使が振り返るのが1998年4月の橋本龍太郎首相とエリツィン大統領との川奈会談である。

これは、「仮にロシア側が四島について日本の主権を認めるならば歯舞、色丹の2島返還を先行させ平和条約を締結した後、残る2島については、そこに住むロシア国民の権利、帰属の意思を尊重し継続的に協議してゆく」という内容であったとみられる。この論理ならロシアは、「我々が同意しない限り国後、択捉は永遠にロシア領にとどまる」と国民に説明できる。しかし、エリツィン大統領の健康悪化で好機は失われた。

経済協力でロシア側の「信頼」を買い交渉の打開を図る安倍首相のアプローチも2島先行論のバリエーションといえる。難しいと思うが仮に12月の首脳会談で2島先行返還方式で合意すれば、2018年秋の安倍総裁任期満了までに手続きを終えることは可能。「歴史に名を刻む返還式典に臨む首相の任期延長は間違いない」の筋書きが見えてくる。しかし継続協議については2島先行論に積極的な佐藤優氏ですら、「我々世代の目の黒いうちに結果は出まい」と述べている。こうした取引に民間投資中心とはいえ1兆円を超えるカネを注ぎ込むことの可否。それを決めるのは国民である。