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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

揺らぐアメリカの核の傘2017.7.1

袋小路に迷い込んだ日本の核政策

アメリカ人と話していると時々、「それはキャッチ22的状況だね」という言い方に出くわす。1960年、ジョーゼフ・ケラーの書いた戦争小説「キャッチ22」から生まれた表現で、堂々巡りで出口がない状況を指す。例えば、「狂気に陥った軍人は志願すれば除隊できる。しかし自分の狂気を認識出来るのだから狂っているとまではいえない。よって除隊は認められない」といったレトリックである。

久しぶりに、この言葉を思い出したのは最近、朝日新聞上で米ウォールストリートジャーナル編集局長のインタビュー記事を読んだ時だ。ジェラルド・ベーカー編集局長は、トランプ政権の外交政策上の難問は、「北朝鮮問題である」とした上で、北朝鮮がICBMを実戦化した場合、「サンフランシスコが核兵器で壊滅させられるかもしれないのに、米国が日本や韓国を防衛する見込みはまずない。同盟の力は弱まり、日韓は非常に脆弱(ぜいじゃく)になる」と述べた。

常日頃アメリカ人が腹の底で思っている本音をズバリ言ってくれてむしろ小気味良かった。同じレトリックは、すでにキッシンジャー元国務長官が様々な機会に述べている。

中国の周恩来首相(当時)には、「核時代に、国家が他国を防衛するのは条約のためではなく、自国の利益が問われるためなのだ」と対日核誓約を守らない場合もあると示唆。さらに進めて、「日米安保条約があるからこそ日本の核武装、軍事大国化は抑えられている。米中双方にとってメリットがある」と日本の非核化を約束している。さらに、かつて沖縄海兵隊司令官は、議会証言で「日米安保は(日本の核武装、軍事大国化を防ぐ)ビンのふた」とまで言い切った。

同盟国への核誓約は信じられるのか

「米国の同盟国に対する核の傘誓約は、本当に守られるのか?」。この議論は冷戦期、ソ連の核の脅威に直面していたNATO加盟国と米国の間で何度も行われてきた。特に1960年代に入って、米国が同盟国への攻撃にただちに核で報復するのでなく、状況を見ながら対応する、という「柔軟対応戦略」を採用した時、当時の西ドイツとフランスは激しく反発、独自の安全保障構想を進めた。

フランスはドゴール大統領の軍事顧問、アンドレ・ボーフル将軍の進言で、米国の強い反対を押し切り核武装の道を進む。ボーフル理論は、「中位国による独自核の存在は、その国の独立性を高めるだけでなく同盟国(米国)の負担を軽減でき、核連携戦略が可能になる」というものだ。一方、西ドイツは核発射の引き金を米国だけでなく、我が国にも与えよとダブルトリガー制を要求した。いずれも極めて論理的な主張だった。

そこで我が国はどうするか。米国の核の傘に頼れないという状況下では、核保有をあいまいにしつつ抑止効果を働かせるイスラエル方式が考えられる。北朝鮮あるいは中国の核恫喝に漫然と屈従するわけにもいかないからだ。しかし、秘密裡であれ核兵器開発に進めば日米関係は破綻する。

核兵器、運搬手段の開発そのものは、比較的短時間で済むが問題は安全管理のため数次の核実験が必要なことだ。フランスには南太平洋に自領の島があったが日本にはそんなものはない。地下核実験も可能だが原子力発電の廃棄物処理場すら決められぬ日本では不可能に近いだろう。

結局、非合理かつ情緒的に米国の「誓約」を信頼し、依拠するという不愉快な宙ぶらり状態が続く。日本人は、それにいつまで我慢できるだろうか。まさに私たちは、今、「キャッチ22」的状況にあるのだ。