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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

中国のアジア支配を受け入れるか?2018.3.11

-昔は偉い皇帝がいたけれど…-

米国の外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ・レポート」最新号に『中国が支配するアジアを受け入れるのか』という刺激的なタイトルの論文が載っていた。著者はダートマス大学のジェニファー・リンド准教授(政治学)。「中国の覇権と日本の安全保障政策」という副題である。

中国は早晩、米国に代わって東アジアの経済・軍事・政治を支配する覇権国になるだろう。中国は他国への介入主義を否定し「勢力圏という概念は冷戦時代の異物だ」と言っている。ならば中国が覇権を握ったアジアは現在と変わらないものになるはずだが、そうはなるまい。日本はどうするのか?

処方箋は、日本は米国、豪州、インドなど連携し「中国の覇権に代わる未来」を提示せよ、というごく常識的なものである。まあ、誰が論じてもその程度のことしか言えまいが。

面白かったのは、中国の華夷秩序に基づく朝貢制度についてのリンド准教授の考察だ。「中国王朝の朝貢制度では朝貢国の行政は現地の君主に委ねるとされた。『野蛮人の統治には野蛮人を』と考えたからだ。しかし、こうして朝貢国の独立は枠にはめられた。16世紀(明)の政治家・張居正は朝貢国の扱いについて『犬のようにしっぽを振るなら骨を投げてやる。けたたましく吠えるなら棒で殴る。従順になるなら再び骨を投げてやるが、また吠えるようなら、もっと殴る』」。

中国の覇権とはこういうものだから気をつけろという忠告である。

それに異を唱えるわけではないが、中国に朝貢するのは周辺国にとって損な取り引きではなかった。頭を下げて貢物を持っていくと、それの数倍から数十倍の物品が下賜された。大儲け。中国の王朝は太っ腹だった。

隋・唐はともかく、明・清の時代は民間に貿易を許すと開港都市が繁栄し皇帝の統制に服さなくなることをおそれた。そこで朝貢を貿易の代わりとした。また朝貢はおみやげで周辺国を懐柔する国防策でもあった。

明の永楽帝のときに宦官の鄭和が大船団を率いて東南アジアからインド、アフリカまで遠征したことがあった。朝貢国を30か国にも増やしたという。コロンブスの船が全長18メートルなのに対し、鄭和の船は120メートルにもおよんだというからすごい。中国が世界帝国になるチャンスだったが、財政難もあってやめてしまった。

中国政府は「平和を愛する文化的伝統ゆえに植民地主義や侵略に関わったことがない」と主張している。この鄭和の南海遠征停止など「平和愛好の例」かもしれない。

しかし、今日の中国共産党の指導層と歴代王朝の皇帝とを同一視することはできない。

日本における中国学の泰斗、宮崎市定博士は早くも1989年に「中国を叱る」というエッセーで、そのことを指摘している。学者もこれぐらいの碩学になると中国を叱っていいのだね。これは博士の最晩年のエッセー集『遊心譜』に収められている。

清朝の全盛期の皇帝の1人、第5代雍正帝の事跡である。ある日、雲南州の総督から上奏があった。越南(ベトナム)国境に近い金鉱山の地、都龍をベトナムが侵占している。ついてはこれを回復したい、と討伐を願い出た。雍正帝はこれを不可とする。いわく「汝は隣国と友好を保つ道を存ぜぬか。堂々たる天朝は利益のために小邦と争うことはせぬものぞ」

宮崎博士はこれを称揚する一方、共産党治下の中国はカンボジアの殺人集団ポルポトの支援、南シナ海でのベトナムとの交戦など「唯物的な貪欲さだけが目立って、光輝ある中国の伝統は名残さえとどめない」と叱った。

中国の習近平国家主席は憲法を改正し国家主席の任期を撤廃、事実上の「皇帝」への道を歩みだした。習近平の「中国の夢」はかつての大帝国の再来が目標だ。冒頭の『中国が支配するアジアを受け入れるのか』に戻れば、「否」と答えるほかなさそうである。