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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

なぜ「21世紀の資本」は“ヤバイ”か(上)2016.5.21

「格差」拡大するも「成長」は困難

今回のネタは欧米、そして日本を含め、世界的ベストセラーになっているフランスの経済学者トマ・ピケティの「21世紀の資本」だ。元経済記者のこの私、学生時代にマルクスの「資本論」をゼミで輪読したことがあるが、あの唯物弁証法とは、別の切り口で現代資本主義の根本矛盾をついた書だ。このコラムには、堅苦しい書評はなじまない。そこで先ずは失敗談から。

先日、地方の銀行の社長を長年務めた人物に、この“民主主義的資本論”の話を切り出してみた。私と同世代の彼は、ジャーナリストと銀行マンという立場の違いはあったものの、若い頃から、互いに経済論争の好敵手と認め合った仲だ。

舞台は居酒屋の個室。「イヤ、ネ。経済が成長すると、やがてそのオコボレが貧者にも零り落ちて来る。これって有名なクズネッツのtrickle downの仮説だよね。でもそれは戦後の経済成長という特殊な時代の話。21世紀は期待出来ない。資本を<持てる者>と<持たざるもの>の貧富の差は拡大する。なぜか? ピケティ説では資本の儲けが増え続け、労働の取り分の比率は年々傾向的に低落していくからだ、と」「資本とは、金融資本も入っているのか?」と彼。

私は続けた。「もちろん。土地、建物、機械や設備、銀行を含む企業、株、金融資産。労働力を除き、利子や利潤を生み出す資本のすべてが入っている。しかも資本収益率(r)は年々4%前後を維持しているが、労働の取り分の源泉である国民所得の伸び率(g)は、2%を切り低落傾向だ。資本収益はますます増える“資本(資産)家天国”の到来……」。

ここでとんだハプニング!

“歴戦の退役金融マン”が怒りを爆発させたのだ。飲み干したワインの空き瓶を逆さに持ち、食卓を数回力いっぱい叩いた。そして怒鳴った。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、黙って聞いていたが、もう我慢ならん!」と。宴半ばにして、ピケティと私の区別がつかなくなったのだろう。彼は憤然と立ち去った。そして残された私、“長年の友”の一人を失うわびしさを味わう。以上恥ずかしながら実話です。

さて、ピケティ論の続きだ。「21世紀の資本」が告げるものは何か?彼の論旨を日本経済の現状にあてはめると、「格差」は拡大するが「成長」は困難な時代の到来、という陰鬱な答えがでてくる。これでは、せっかくの「アベノミクス」も苦戦するわけだ。

ピケティは日本経済をどう分析しているか?

私が金融記者の現役だった20世紀後半(1965年~83年)日本経済は、年々実質6.0%成長の“古きよき時代”だった。だが、21世紀の日本経済は、一進一退、成長率は高くても2%台、数年おきに不況が到来、リーマンショック(2008年)を含めて4回のマイナス成長を記録、様変わりの変化だ。

でも、ピケティ理論では当然の現象なのだ。すなわち(1)日本の戦後の高度成長は技術革新もさることながら労働人口増が大きく寄与した。人口減の21世紀の国民所得の増加率は、せいぜい1.5%だ。(2)それは異常ではなく、人口増のなかった昔の水準に戻ったに過ぎない。(3)資本はどうか?戦後の荒廃から立ち上がった高度成長初期の1970年、日本の民間資本(資産)は国民所得の3倍だったが2010年には7倍に増加、しかも資本が産み出す所得は年々4%伸びる見込みである、という。

(4)さらに“財産としての富”の偏在する経済社会は、年々の<国民所得>の配分でも、“持てる者”“持たざる者”のせめぎ合いが起こる。資本所得(株式配当、賃貸所得、利子所得など)と給与・賞与など汗をかいた労働の対価だが、不労所得の比率が高まりつつある、と。

まさに、“ヤバイ経済学”の誕生だ。日本のみならず21世紀、世界の資本主義はどうなるのだろう。(以下次号につづく)