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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

どこに行くのか「反日」の韓国2017.5.1

軍人政権の〝輝き〟今いずこ

私と韓国との縁は第13代大統領盧泰愚(ノテウ)将軍との出会いに始まる。当時、ある全国紙の編集局長だった私、当選早々の大統領と単独会見の機会を得た。通訳を介した公式見解の表明が一段落したら、突然日本語が飛び出したのでびっくり。「韓国人。日本人、嫌いナイよ」と。「いやはや、どうも…」。今日の<険悪な日韓関係>のもとでは到底考えられない1988年ソウルのお正月で味わった<のどかで心地よいハプニング>だった。

だから言うわけではないが、私は第2次大戦後の韓国が<最も輝いていた>のは3人の軍人大統領の時代だった、と思っている。すなわち(1)岸信介首相に日韓基本条約を締結の根回しを依頼、弟の佐藤栄作首相時代に調印にこぎつけた朴正煕(パクチョンヒ)=1963〜79年=(2)中曽根首相と蜜月時代を築いた全斗煥(チョンドハン)=1980〜88年=、そして(3)その路線の継承者である盧泰愚(1988〜93年)にいたる3人の軍人大統領が主導した<成長経済の基礎作り>だ。

1982年、首相就任の最初の外国訪問先に韓国を選んだ中曽根元総理から聞いた後日談だが、全斗煥氏との“意気投合ぶり”は大変なもので、公式会談後の夕食会で 中曽根氏が韓国のポップ・ソング「黄色いシャツ着た男」を“にわか仕込み”の韓国語で披露したところ、全大統領も返礼として日本の演歌を日本語で歌ってみせた、という。

ところで、この経済成長の揺籃期を、韓国では<漢江(はんがん)=ソウルの南北を分かつ由緒ある川=の奇跡>というが、その演出者は実はこの3人の“軍人”大統領たちだ。彼らは財閥と手を組み産業基盤振興策の資金源の一つとして1965年の日韓基本条約で日本が供与した無償(賠償の意味)、有償、民間借款の合計9億ドルの援助を有効に活用した。

いまどきの<反日韓国人>は絶対にそんなことは言わないが、朝鮮戦争で壊滅的な打撃を受けた韓国の復興は、日韓基本条約で日本が供与した“種銭(たねせん)”の効用があった。すなわち朴正煕に始まった軍人政権は65年当時1人当たり100ドルそこそこのGDPが、3代目の盧泰愚退陣の93年には8400ドル。なんと23年間で、80倍に伸ばしているのだ。これが、経済発展のバネとなり今日=2016年=では、韓国の1人当たりGDPは3万7000ドルに上昇、4万2000ドルの日本を急追している。

「易姓革命」という名の〝危険思想〟

現代韓国の欠陥は経済ではなく政治思想にある。<前政権の否定>の積み重ねという奇妙な<マイナス思考の歴史観>でその名は「易姓革命」。「徳のない王は断罪せよ」という超過激な革命論だ。14世紀、李氏朝鮮(今日の南北朝鮮の原型)の創始者である李成桂が、主家の高麗国を乗っ取った際、大義名分として使われた。今では儒学の本家、中国でも敬遠される過激思想だ。ところが韓国ではこの思想が復活、初代の李承晩(=亡命)から、朴槿恵(パククネ)女史(=罷免)にいたる歴代10人の大統領は、任期中、もしくは任期終了後、断罪され「石を持って追われる」ごとく不幸な結末を迎えている。死刑判決=全斗煥、懲役=盧泰愚、暗殺=朴正煕、自殺=盧武鉉、親族の逮捕と名誉剥奪=金泳三、金大中などだ。

「選挙で担ぎ上げた神輿(みこし)を5年周期で破棄し、大統領を使い捨てにする」。<易姓革命>とは、そういうものらしい。外国人が口を出すテーマではないことは、承知の上であえていうのだが、北朝鮮による核攻撃が“現実味”を増している今、そんな“内向きで奇妙な”<大義名分>にこだわるこの国は、有事感覚と危機感が欠如しているのではなかろうか?