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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

ヤブニラミ!<反・AI論>2018.10.01

-まず、<アナログ>で頭を鍛えよ-

最初にお断りしておくが、私は原則として、日常、<スマホ>は使わない。小生84歳。やり方は、以前、一応習ったつもりだが、操作は稚拙そのものだ。極めて“相性”が悪い。

例えば、通勤ラッシュ時ではない昼間、都心行きの上り電車に乗る。客の多くは、スマホに夢中で、何やらゲームをやっている。その数、8割に近い。新聞記者として若い頃から活字印刷という<アナログ文化>にどっぷりと浸かって育った私。たちまち、車内で居心地が悪くなる。要するに<カルチャー>が合わない。

「あの若者プラス中年の男女は、AI(人工知能)を駆使して、世界をもて遊んでいるつもりだろう。でも、実は、その逆で<機械>に翻弄されている“主体性喪失”のアホ人間なのではないのか」とさえ思えてくるのだ。

ところで、今年1月、多摩川で入水自殺をした思想家、西部邁氏。彼は私の古い知人の一人だが、絶筆の書「保守の遺言」のなかで、<反AI論>を展開、こう書いている。

「私は電車に乗らない。都心への往復もタクシーを使う。それゆえ結構な額の交通費を払う羽目になっている。その唯一の理由は、電車の中で、ゲームとやらをやっているスマホ人の群れを目にするからだ。このような“死んでも治らぬ莫迦者たちに囲まれている”と思うことからくる不愉快な気分、それだけは避けたかったから…」(抜粋)と。 

“スマホ馬鹿”との同席を拒んで<電車忌避症>になる。いやはや私は、そこまでは徹底していないが、若いころから<己の哲学と理論先行>で完璧主義者だった西部氏なら「さもありなん」とは思う。

もちろん、彼の自殺は、小生のような“リアリストの物書き”には全く理解しがたい不可解な行為である。しかし、AIをあたかも神様のように崇拝する<スマホ馬鹿>は、「箸にも棒にもかからぬ愚か者である」という点では、私は彼と見解を共有しているつもりだ。もっとも大切なことは、若者よ、まず<アナログ思考>で基礎学力を構築せよ、ということだ。

効率の<機械警備>VS心の<2号警備>

上記の<私のAI論>を警備業界に当てはめてみよう。誤解のないように言っておくが、経営学的に言うなら業界の花形は<機械警備>だ。つまり業界の中枢は、コンピューターを駆使して設計した機械装置を自動的に操作して行う<施設警備>だ。守衛や用務員もおかない<AI万能の装置>。業界用語でいう<1号警備>ですよね。その機能はこの原稿の前半で論じた<個人のスマホ操作>の弊害とは全く次元の異なるテーマであることは小生もわかってます。そして2号警備が雑踏や交通誘導、3号が貴重品運搬、4号が身辺警護ですよね。

さて、ここからは私見です。この4つの業務のうち、地味でかつ警備会社にとっては、大きな収益源とは言い難い<2号警備>に従事する人々に、私は強い愛着を感じている。なぜなら、給料もさほど高いとも思えない地味で単調な仕事だが、責任重大で、しかも辛い仕事のように見受けられるからである。

にも関わらず彼らはひたむきに仕事をしている。その仕事の現場は、常に住民と密着している。橋や道路の工事現場、スーパーの駐車場への誘導など、黙々と仕事に励んでいる。

「お仕事、ご苦労さん」。散歩や買い物などで、現場を通りかかる私は必ず声を掛けることにしている。彼らは決まってニッコリする。目礼の代わりに「こんにちは」「はい。気をつけて」と応答する人も。

昨今は60歳、もしくは70歳代と目される警備員にお目にかかる。彼らの仕事の全てがアナログだ。それゆえに世間の普通の人々との“心の営み”の交流ができる。それがスマホ嫌いの私にささやかな<心の癒し>を与えてくれるのです。