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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

私の「コスタリカ」紀行(2002年)2018.7.01

サッカー王国ブラジルを脅かした国(今年のW杯)

今回のテーマはサッカーです。当年84歳の私、ここ1週間ほどテレビの前に釘づけです。「いい歳をしたおじさんが…」とお笑いくださいますな!

実は小生、中学、高校時代の6年間、<蹴球部>に所属、日本の敗戦1年目の中学1年生の時代には、物資不足でサッカー靴も買えず、裸足でボールを蹴っていた健気な? サッカー少年だった。

そういう“オールド・サッカー狂”の私、今年のW杯ロシア大会で、もっとも親近感を持ち熱心に応援したのは、我が日本チームを除けば、中米の小国、<コスタリカ>だった。「なぜ? そんな国に?」。大方の読者は、そう思って怪訝な顔をされるに違いない。「コスタリカ」とはどこにあるの? この原稿の執筆者である私とどんな因縁があるの? と。

そこから話を始めよう。今から16年前のことだ。ご縁があって、数日間この国を旅行した。人口わずか380万人(今は移民受け入れで460万人)、南北アメリカ大陸をヒモのようにつないだ地峡の中央部、運河で有名なパナマ国の北にあるミニ国家だ。当時の私の<旅行日記>には、以下のように記されている。

2002年の秋、私は<コスタリカ共和国>を訪れた。九州と四国を合わせたくらいの小さな国だが、美しい高原の村々には、必ず良く整備されたサッカー場があった。「この国にはどんな小さな田舎の村でも必ず3つの建物がある。それは教会、居酒屋、そしてサッカー場だ」。案内のコスタリカ人ガイドが、そう言った。標高1150メートルの首都、サンホセは人口30万人。国立博物館を訪れた。「いろんな人々がミックスして仲良く暮らすコスタリカ」という看板があった。「国民の大部分が白人と先住民との混血。一獲千金を夢見てこの国に移民した荒くれ者の植民者たちは、この地に金(ゴールド)が産出しないと知ると早々に切り上げ、よその土地に去って行った」とある。そしてこの後に、「本国のスペインからはるばる牛や馬を連れて移民してきた争いを好まぬ温和な開拓農民が、原住民と混血を重ねつつ、国造りに励んできた」とある。

それが人口1億4千万人の世界有数のサッカー大国、ブラジルに善戦した“ミニ国家”の素性なのだ。

“ロスタイム”までは同点だったのに!

コスタリカは小国ながら実は世界ランキング17位まで上り詰めた経験を持つ(2014年)サッカー強国だ。今回のW杯ロシア大会でも、優勝候補ブラジルを向こうに回し、得点を許さず90分間0対0で踏ん張った。もしこれで試合終了なら強豪相手に引き分けの勝点1点を稼いで、「“善戦”、まずはめでたし」で終わるところだった。

ところが5分間のロスタイムが加算され延長戦に入ったおかげで、立て続けに2点を取られあえなく敗北。だがこの試合、サッカー王国ブラジルにとっても楽勝ではなかった。その証拠にブラジルの10番でスーパースターのネイマールが、試合後、喜びのあまりグランドに跪いて、嬉し泣きしていたことからも容易に推察できる。コスタリカも日本もこれから頑張れ! 昔のサッカー少年の楽しみは閉会の7月中旬まで続きますように。