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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

<謎・なぜ>問答「イスラム国」⑤2016.3.11

サウジ・イラン国交断絶の波紋

このコラムは、六車護本紙社長と私の中東複合危機についての集中談義をテーマ別に分類、それぞれ一回分の読み物に仕立てたものだ。ところが今年の正月、アッと驚くハプニングが起こった。サウジアラビアとイランの国交断絶だ。私の新聞記者時代の筆友でもある彼から早速声がかかった。「これ、かなりヤバイ。連載を続けるために、この新事態を織り込んで再討論しましょうよ」と。

元早大野球部投手の六さん、いきなり速球を投げ込んできた。「スンニ派の親分サウジとシーア派の雄イランが一触即発と報道されている。でも宗教的な“そもそも論”がないと、ハー、そんなもんですか?で終わってしまう。そこで質問。スンニ、シーアとは、ずばりいって何のことか?」と。

自称・宗教社会学者?の私は答えた。「それはイスラム教の創始者ムハマドの死後、この一神教共同体に発生した二大宗教派閥で、その後のイスラム内紛争の哲学的原点さ」以下は二人の問答。

六さん「宗教の分裂か。いつの出来事?」

私「7世紀、ムハマドの死後、イスラム教内部に神学論争が起こった。ムハマドは存命中、折に触れて岩山にこもり、天使ガブリエルを通じ、アラビア語で神の啓示を受けた。それがコーランの原点。ムハマドは最大にして最後の<神の預言者>として、教祖であるだけでなく、政治と軍事の最高指導者として誰もが認めていた」

六さん「神がアラビア語を話した? ムハマド亡き後、なぜ教団が分裂したのか」

私「カリフ(指導者)という名の預言者ムハマドの後継代理人の資格争いだ。<ムハマドが神から預かった言行(スンニという)にのみ忠実であれ>というスンニ派と<言行のみならずムハマドの血筋も必要条件>と主張するのがシーア派だ」

六さん「何が起こった?」

私「シーア派のシンボルは<ムハマドの従兄弟アリー>という人で正統派4代目のカリフだった。でも、西暦661年ハワリージュというスンニ派の過激分子に暗殺された。ムハマドの死後32年目の出来事。あの<イスラム国>を現代のハワリージュに例えるイスラム学者もいる」

副皇太子の<オウン・ゴール>?

さて、先を急ごう。イスラム世界でスンニ派が主力のアラブ人の対抗勢力はペルシャ人のイランだが、この国がシーア派を名乗ったのは16世紀だ。以後、両派はにらみ合いを続けていたが、今年一月、ついに抗争にまで発展した。仕掛けたのはスンニ派の盟主を自認するサウジだったのだ。

そのいきさつは、以下の通り。発端はサウジ政府によるシーア派宗教家(反政府のサウジ人で王制転覆を目指す)の処刑。これに怒ったイランの大衆がテヘランのサウジ大使館焼き討ち未遂事件を起こす。そこでサウジの王位継承第二位のアブドラ・サルマン国王の実子、Mbs(イニシャル表記)ことムハマド・ビン・サルマン副皇太子兼国防大臣の決断で対イラン国交断絶に踏み切る。

いま、両国は一触即発、「サウジ、イラン。もし戦わば」などの憶測まで飛びかっている。でも私は開戦はないし、もし戦えばサウジは勝てぬと読んでいる。理由は(1)サウジの庇護者であった米国外交はイラン寄りに傾いている(2)サウジの原油のダンピングで、採掘コスト高の米国産原油のシェールオイルが採算割れに追い込まれ、米国経済界の対サウジ感情は悪化している、などだ。こうしてみるとMbs副皇太子の強攻策は、自国を不利に追い込む結果につながる<オウン・ゴール>のように思えてくるのだ。