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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

「トンガが乗っ取られる」?2017.6.21

中国の<版図>と南の島

今回のテーマは<トンガ王国>だ。オーストラリアの遥か東、日付変更線に密着し、世界で一番早く日の出が見える人口12万ほどの南の島々で、2000年の歴史を持つポリネシア人の本家。と言ってもピンとこないかもしれない。何人ものラグビーの名選手を日本チームに送り込んでいるあの<褐色の勇敢な大男たち>の母国だ。

今、この“親日王国”は、経済援助を餌に中国の<版図(勢力圏)>に組み込まれ、危機感を抱いている。 中国・トンガ関係ができたのは1998年。中国が国王ツボウ4世を招待し、経済援助を約束したことに始まる。これに呼応してトンガは台湾と国交を断絶した。中国の巨額の援助は、2005年頃から本格化したが、金目もさることながらやり方が荒っぽい。

中国製旅客機一機プレゼント、5階建ての首相官邸(12億円相当)、石炭火力発電所などの“箱物”の無償供与。地味な援助を続けてきた日本のトンガ国における“存在感”は相対的に低下傾向をたどった。それはそれでよろしい。問題なのは、援助の“歓迎せざる副産物”として、中国人が溢れてしまったことだ。

なぜか? 中国式援助の特徴は、労働者は全員、中国本土から派遣される。工事終了後も彼らはトンガに居座り、安物の中国産品を本国から仕入れ商売を始める。この商法にトンガ人は太刀打ちできない。今やこの国の小売店の90パーセントは中国人経営との説もある。それだけでなく援助とは無関係の中国人が、ヤミ市場でトンガのパスポート、市民権を手に入れて不法移民してくるとも言われる。

TBSテレビの報道(5月20日)によると、トンガ王国のボヒヴァ首相が記者会見、「このままではトンガは、数年後には中国に乗っ取られる」と警告した。この発言、真意は援助国の中国向けではなく「トンガ人よ。もっと働け。さもないと国が自滅するぞ」の意味のようだが、それにしてもこのままでは南太平洋は<北京の湖>になりかねない。

トンガ王国は1970年、国交開始以来の親日国だ。日本の経済援助も地味だが今でも続いている。実は私、1996年、時の首相、バロン・ヴァエア氏と懇談したことがある。その頃のトンガ王国、中国船は出入りしていたが、「韜光養晦」戦術(とうこうようかい=実力を蓄えて、じっと時を待つ=鄧小平の格言)のせいか、中国の<版図>は目立たぬ“良き時代”だった。

「武蔵丸はトンガ人」 故ヴァエア首相のこと 

綺麗な英語を話す73歳(当時)のこの首相もラグビー選手並みの巨漢だった。相撲談義に花が咲いた。「残念だが、今はトンガ人の上位の力士はいない」と切り出したら、「私の村の出身のべニタニ、ほら、ムサシマルを知らんのかね」と。「横綱の武蔵丸はハワイ出身の米国人では…」と言ったら、「彼が子供の時、親が職を求めて一時、ハワイに移住したんだよ」と。

「彼は父親の葬式で、日本から一度トンガに戻ってきた」と当時の新聞記事の切り抜きを見せてくれた。半袖の喪服と黒のスカート姿の二人の大男が並んで写っていた。それが武蔵丸とこの総理大臣だった。

今や、中国に乗っ取られかかっているトンガ王国。第一列島線、第二列島線と中国が線引きした<海の防衛ライン>のはるか外側に位置する南太平洋の“軍事拠点”の飛び地になりつつある。