河内 孝の複眼時評
河内 孝 プロフィール |
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。 |
不安定な時代をどう生きるか(下)
ー求められる賢い間合と見切りー2025.03.11
1996(平成8)年死去した高坂正尭京大教授は、いわゆる戦後民主主義者の多い政治学者の中で異色の存在だった。吉田茂元首相の戦後選択を評価し、リアリズムを分析の基礎に置いた。政治学者・北岡伸一氏はその業績を「未知の事態を様々な手法を使って、平易な言葉で解き明かした第一級の知的営為だった」と評価している。
高坂氏が晩年、最も懸念していたのは日米関係の非対称性から生じるマネージメントの難しさだった。非対称性とは? 一言で言えば米国の「傷ついたプライド」と、日本の自立願望に基づく「反抗的ナショナリズム」との心理的葛藤である。
米国は「冷戦」に勝ったが、失ったものも多かった。朝鮮戦争(50〜53年)、ベトナム戦争(75年、サイゴン陥落)、湾岸戦争、ワールドトレードセンタービル攻撃後のイラク・アフガン戦争(2003〜21年)。米国に言わせれば世界的リーダーシップ(自由世界の警察官)のため払った巨額な戦費と犠牲だった。そして気が付けば、同国は世界最大の貿易赤字、債務国に転落していた。
他方、「守ってやった」西欧諸国、韓国、日本は米国市場を席捲するだけでなく中国と一緒になって米国内の製造業を骨抜きにしてしまった。残ったのは失業者の群れと借金。プライドは傷つき地に落ちた。その怒りが時に(先日のトランプ・ゼレンスキー会談のように)、「野蛮な外圧」となって表出する。こうして見ればトランプの言動も、それなりに理解できるし、決して彼が始めた交渉スタイルでもない。
91年2月、細川首相とクリントン大統領の首脳会談が決裂した。クリントンが「最恵国待遇を外すぞ」とまで脅して求めた対米貿易黒字削減の「数値目標要求」に細川が答えなかったからだ。民間貿易を国家が管理することなど無理と分かったうえでの要求だった。
この経過を高坂は、「米国の対日要求は、人間的だが誤った心理と誤った理屈に基づいていた」という。他方、受け止める日本の「反抗的ナショナリズム」も制御不可能になる危険性を秘めている。
元々、国内には日米安保、特に地位協定が「従属的だ」という不満が沈潜している。何かをきっかけに爆発しかねない。これを「身勝手だ。憲法を盾に半世紀にわたり外交と安全保障という最も重要な問題について、ほぼ完全に棄権してきた国に対等を求める資格はない」と切り捨てることは可能かもしれない。と言って国民感情に火がついては身もふたもないだろう。
最高峰改名の意味
トランプが就任当日乱発した大統領令の中で注目したのは、「米最高峰のデナリ山(標高6190メートル)名をマッキンリーに戻す」決定だ。潮田氏も前回書いていたように25代大統領マッキンリー(共和党)は、19世紀末の不況克服のため高関税、金本位制復帰、更にハワイ併合、米西戦争でフィリピンを領有化したことで知られる。
彼の名を冠した山名を先住民の呼び方「デナリ」に代えたのはオバマ大統領。トランプが、「最も尊敬している」というマッキンリーに戻したのは当然だろう。
歴史は繰り返す。1929年、大恐慌が発生した当時のフーバー大統領(共和党)もまた悪名高いスムート・ホーリー法を盾に国内産業保護と称して約2万品目の輸入品の関税を30〜40%も引き上げた。この決定が不況を悪化、長期化させた元凶とされている。つまりトランプ現象は、急に生まれたものではない。脈々と続く米国孤立主義のサイクルなのだ。
こうした米国とどう付き合えばいいのだろう? かつてキッシンジャーは、「アメリカを敵に回すのは危険だ。しかしアメリカの友人になろうとするのは致命的だ」と語った。中南米との関係について語った言葉だが米国と他国との“間合い”の取り方の難しさを巧みに示唆している。ケンカか、丸呑みか、諦観か。時に応じ譲るは譲る、言うべきは言う賢さが求められている。