歌川令三の複眼時評
歌川令三 プロフィール |
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。 |
故・蔡焜燦氏の思い出2017.9.1
〝古き良き〟台湾の<大和魂>
7月17日、台湾歌檀代表の蔡焜燦(さいこんさん=和読み)氏が亡くなったのを日本の新聞記事で知った。享年90歳。蔡さんは司馬遼太郎の「街道をゆく・台湾紀行」に<老台北>という名で登場する“愛日家”だ。
1997年4月。当時の李登輝総統府の紹介で、台北でお会いしたのだが、びっくり仰天の“古き良き思い出”がある。何が驚きだったか? それは、新聞記者出身で<国語>にはいささかの自信を持つ私がこの人の風刺とユーモアを織り交ぜた日本語にたじたじとさせられたのである。台湾料理を楽しみつつ会話が弾んだ。
――この魚はなんという名前ですか?
「マナガツオです」
――エッ マナガツオ?
「今の日本の方、サカナの名前知らない。サバとイワシの区別がつかない若い人もいるんですって? この魚は“2号さん”です」
――エッ?
「正面から見ると肩身がせまい。でも横にして寝かせたら部屋中占領して威張っている。アッ、ハ、ハ」
蔡さんは岐阜陸軍航空整備学校出身の少年航空兵だった。そして、「日本が敗れるまでは日本人で、今は台湾人である」と名乗っている。歌人の彼は会社をいくつか経営するビジネスマンで、大金持ちだ。「でも、お金はあの世に持っていけないから…」台湾・日本の友好ボランテイア活動を“天職”としているという。
――でも蔡さん、あなたのご先祖は大陸でしょ?
「そう。でもあれから四百年経っている。大陸とは異なる民族が形成された。台湾の原住民のDNAは、明らかに大陸のそれとは“異質”。我々“本島人”には、その血が混ざっている。だから私は台湾民族なのです」。
「時にねえ。今の日本人、“大和魂”のこと忘れちゃった、みたいですね」と言われ、どきっとさせられた。血は台湾だけど「文化的には私、戦前の日本の美徳であるサムライ、侘び寂び、大和魂、万葉集の心、継承しています」。
「一期一会のかくも短き…」
台湾映画の名作に「多桑(台湾語で読むと父さん)」という作品がある。<日本好きで大陸嫌い>の炭鉱夫の父さんと戦後の<反日教育で育った息子>との間の“文化摩擦”が主題だ。
いつも言い争いをしていた父さんだったが、死後、息子は、「一度でいいから、日本に行ってみたい」と言っていた父さんの願いを叶えてあげた。位牌に富士山と皇居を見せるべく日本に旅する。親子の“心の和解”の物語だ。
蔡さんはいう。「ハイ。その通りです。つまりですね。<子は親の言う通りにはならない。でも親の通りになる>のです」と。
「いや、ごもっとも! まさしく言い得て妙です」と私。日本語の用法にはかなりの自信を持っていたつもりだったが、この修辞法の見事さには一本取られた。
彼の日本語にはなかなかの含蓄があり、台湾で日本語のニュアンスの美しさを教えられる思いだった。
<大陸中国>の版図に目を奪われ、日本人の心の中の台湾の存在がだんだん小さくなりつつあるようにも思える。
「人と人、意気こそよけれ、さりながら、一期一会の、かくも短き」――
老台北が私の持参した司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ、「台湾紀行」の裏表紙に、彼の署名とともに、一筆したためてくれた二人の遭遇記念の言葉だった。