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「知」に備えあれば憂いなし

歌川令三の複眼時評

歌川令三 プロフィール
横浜国大経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、経済部長、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、多摩大大学院客員教授。著書に「地球紀行 渡る世界は鬼もいる」(中央公論社)「新聞がなくなる日」(草思社)など。

<沖縄>は一つに非ず2017.3.1

18年前<与那国>での回想

安倍・トランプ首脳会談で「尖閣防衛は日米安保5条の適用範囲」と確認された。「日米の具体的合意の第1号」と外交専門家は言う。何を意味するのか? 若干の絵解きから…。

<尖閣の領有主張>など東シナ海での“中国の版図”拡大の意図はかなり露骨だ。そこで陸上自衛隊は昨年3月、尖閣まで戦闘機でわずか6分の日本の最西端の離島、沖縄県与那国町にレーダー基地を立ち上げた。150人の“兵力”で、中国の艦船や航空機の動きを常時観測するシステムだ。ここまでは旧聞だが、与那国こそ対中沿岸監視の最先端の“戦略ポイント”と日米の首脳が正式に位置付けた。かくて「同盟はオバマ時代より一歩前進」した。

ところで私、1999年6月、琉球王国の古い都、那覇のある沖縄本島、そして石垣島経由で、晴れた日には台湾が見える与那国島を旅したことがある。「沖縄は一つではない」――4日間の旅で得たキーワードだが、今でもそれは有効である。

翁長県知事のもとで、いま沖縄は<日米安保&米軍基地反対>の沖縄本島と<日米安保&自衛隊基地賛成>の石垣、与那国などの八重山諸島に分裂している。でも、それは“中国寄り”とされる彼の登場によってにわかにそうなったのではなく、18年前の沖縄でも日本の本土に対する意識は、同じパターンだった。それは時局の変化ではなく、島々の持つ異なる文化と長い歴史の違いに由来している。

そこで、当時、某経済誌に連載していた私の<世界の旅日記>の中の「与那国紀行」を下敷きに“沖縄の今”を語らせていただく。

沖縄の県都、那覇から与那国に行くには石垣島経由で、合計620キロも飛行機に乗らねばならぬ。東京?広島とほぼ同じ距離だ。前夜、那覇の琉球放送の論客4人と芋焼酎を肴に激論、「ヤマトンチュは、基地を持つ琉球の苦悩を全くわかっておらん」と予想通りの反応。いやはや無理もない。このうち2人は「与那国には行ったことがない」という。

翌朝、石垣島にわたり、さらにYS11に乗り換え120キロ。黒潮の源流の島、与那国空港へ。この島、周囲27キロ、人口1750人(当時)の孤島だ。

17世紀・琉球王朝の“重税奴隷”に

この島でまずびっくりしたのは、私のような“日本の内地人”に対する態度が極めて好意的だったこと。なぜ? この島で<入船>という名の旅館を営む新嵩毅八郎さんに聞く。

「与那国をいじめ抜いたのは、琉球です。あなた方、大和人ではないから」。「その昔、この島は、女酋長に率いられた村落共同体の独立国だった。17世紀突然、琉球王国が攻めて来て、重い<人頭税>が課され、島民は生活に困窮したのです」と。

この重税騒動、震源地は薩摩藩だった。17世紀、中国貿易で潤っていた琉球王府を支配下におき、多額のピンハネをした。その琉球は与那国から人頭税の名目で米の収穫の8割を巻き上げた。薩摩→琉球→与那国の過酷な収奪構造の下で、与那国の恨みはもっぱら<琉球>に集中した。だからヤマトンチュは、琉球では<悪玉>だが、この島では<善玉>だ。2015年5月、与那国町は、住民投票の実施に踏み切った。「自衛隊の駐屯は島の将来を決める重大選挙」と位置づけ中高生も投票に参加、有権者1284人中、60パーセントの賛成で受け入れを決めた。それが何よりの証拠ではないか! 

重ねて言う。「沖縄は一つに非ず」――。