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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

国家は悪意に満ちている2017.9.21

バルト三国とポーランドの旅

ワシントン支局に勤務していたとき、自宅の隣人があの「命のビザ」で九死に一生を得たユダヤ人だった。戦時中、バルト三国のひとつリトアニアの領事館領事代理、杉原千畝氏(1900〜1986)が欧州各地から逃れてきたユダヤ人に約6000通のビザを発給しナチから命を救った。

「なんとなく噂が流れてきた。日本領事館に行けば日本のビザがもらえるらしいと。半信半疑で駆けつけたらユダヤ人が詰めかけていた。地獄に仏。私たちはビザを握りしめてシベリア鉄道に乗った。長い旅路の果てにウラジオストックに着き連絡船で日本に上陸した。その後、上海に渡り日本人居留区で暮した。日本人は憲兵までみな親切だったよ。そこからアメリカに移ったのさ」

それを思い出してこの夏、リトアニアを含むバルト三国とポーランドを回ってきた。

いずれもソ連(ロシア)にいじめられた国だから、さんざん悪口を聞かされた。エストニアの首都タリンのツアーガイドによれば、街の住民の4割をロシア人が占めており扱いが難しい。住む地域は画然と別れ、お互い干渉せずに没交渉で暮している。不自然だが摩擦が起きない。

2007年には「タリン解放者の記念碑」というソ連賛美の記念碑撤去に怒ったロシア系住民が暴動を起こした。ロシア政府はそれに呼応して大規模なサイバー攻撃を仕掛け社会を麻痺させた。ロシアはいまだに傍若無人で油断ならない。それだけに2004年に北大西洋条約機構(NATO)とEUに加盟できて心底ホッとしたそうだ。

ロシアの悪口の白眉は大戦末期1944年、ポーランドで起きた「ワルシャワ蜂起」である。

ソ連軍がワルシャワから10キロメートルの地点まで迫ったのをうけ、ポーランド軍が一斉蜂起した。客観的に見れば「暴発」でドイツ軍に殲滅された。そこまで来ていたソ連軍は動かず見殺しにした。

ワルシャワの解放をソ連に任せたのでは戦後のポーランドはソ連の属国になる。それが見えていたから蜂起したが、ソ連軍はそれがわかっていたから、ポーランドレジスタンスをナチ・ドイツに虐殺させたのである。

進駐してきたソ連軍は残存するレジスタンス勢力を処刑し、ワルシャワ蜂起の歴史を隠蔽した。蜂起参加者は反革命分子とされ、見つかると処刑された。歴史の真実が語れるようになったのはこの十数年にすぎない。

ドイツ人への報復

さて、旅の終わりはユダヤ人虐殺の現場アウシュビッツだった。この世には絶対的な悪があるものだ、という感想をもった。そう述べるにとどめたい。収容所の入り口に掲げられた「労働は人を自由にする」という標語ほどこの収容所の邪悪さを物語るものはない。連行されたユダヤ人たちは貴重品を剥奪された。その倉庫は「カナダ」と呼ばれた。収容者たちが最も行きたがった地がカナダであり、豊かさの象徴だったからだ。悪意に満ちた冗談だ。

ただ、因果応報ということがある。戦後、ソ連はポーランドの東部地域を強奪したが、ポーランドはその代わりとばかりにドイツの東部地域を併合した。こうした戦後処理の過程で欧州東部に散らばっていたドイツ人1383万人は本国に追放された。いまのシリア難民同様、帰還は困難を極め約200万人が命を落とした。また350万人のドイツ人がシベリアに抑留され死者は110万人にのぼった(日本人は抑留者70万人、死者6万人)。戦後ドイツ人があまり悪口を言われないのはこのようにかなりの「報復」が行われたためという見方もある。

やれやれ、結構疲れる旅だったが、国の独立が失われれば何が起きるか。それを知るのに最適の周遊コースとしてお薦めしたい。