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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

コップの中のご先祖さま2018.9.11

-「散骨」の素粒子物理学を考える-

ノーベル平和賞受賞の反体制派中国人、劉暁波氏は死後、墓を造ることを許されなかった。死亡から2日後、遺体は火葬され灰は海に撒かれた。墓を造るとそれが反体制派の「聖地」になりかねない。そういう懸念の故である。「散骨」されたわけだ。

いま、日本では遠い郷里のお寺に先祖代々のお墓がある人が困っている。「墓を移す? つまり檀家から抜けたいというのか。だったら『離檀料』として800万円払え」とか言われるらしい。

だから「お墓はいらない、死んだら遺灰は散骨してくれ」と考える人が増えている。だが、散骨もそう簡単ではない。

作家の藤枝静男さんはたいへんな愛妻家であった。その奥さんが闘病の末、亡くなった。遺言は「お墓はいらない、散骨してほしい」だったそうだ。「私は少量の遺骨をビニール袋に納めポケットに入れて1週間の旅行に出た。妻は全くの無宗教で平静から遺骨は少女時代親しんだ浜名湖と、大好きな倉敷の美術館の庭の隅に埋めて砂利でもかけて踏んでくれ、墓は作ってくれるなと言っていた」(『茫界偏視』)

藤枝さんはその希望通り、倉敷の大原美術館に出かけ、事務員の了解を得て庭の一隅に骨片を埋めた。ところが翌日、美術館長から骨を掘り出して持ち帰ってくれと苦情が来る。うろ覚えのところを掘り返しそれらしきものを持ち帰ろうとしたところ、館長が追いかけてきて、「念のため近くの盛り上がっているところを掘り返したらこれが出てきました」と奥さんの骨を手渡したそうである。

「私は生前の大原総一郎氏から手紙をいただいたことがあった。大原氏が生きていて私のしたことを見ていたら、たぶん知らぬ顔をしてくれたろうと思った。大原美術館は素晴らしい美術品でいっぱいである。しかし、もう二度と行きたくない」(『同』)

自分の家の庭ならいいだろうと思うかもしれないが、それが知れると不動産としての評価が下がるそうで、なかなか悩ましい。また、海ならどこでもいいというわけにもいかない。それを嫌がる漁業者がすくなくない。「人の骨を食った魚じゃ売れない」と。

散骨も簡単ではない。これで思い出したのが、宇宙物理学者の池内了氏が岩波書店の広報誌『図書』に書いた話である。

原子はご承知のように「元素の特色を失わない範囲で達し得る最小の微粒子」である。小さいなどというものでない。例えば人間の脳というものは1兆を1兆倍してさらに千倍したほどの原子で成り立っている。見当がつかないほどの数である。したがって、例えばアインシュタインの脳細胞がバラバラになって中空に拡散し、雨に洗われてやがて海に流れ込んだとする。その海をかき混ぜて任意の地点でコップ一杯の海水をくむ。するとコップの中にはアインシュタインの脳細胞を構成していた原子が、およそ200個ばかり含まれることになる、のだそうだ。

そこで読者諸氏、あなたは朝目覚めて水道水をコップに注ぎ、グッと飲み干すであろう。その水を構成するH2O分子がいかほどかは知らぬ。ましてその原子の数たるや想像を絶する。

ひょっとすると釈迦牟尼の体を構成していた原子が混ざっているかもしれない。いや、それは思いのほか高い確率らしいですぞ。ましてやあなたの先祖の誰それの原子となるとまず、間違いなく含まれている。だから散骨を気味悪がる必要はない、と思うけどね。

仏教の「輪廻」の正体がこれだなどというつもりはないし、葬式を粗略にしていい理由にあげるつもりもない。しかし、私の心は鎮まる。南無阿弥陀仏。