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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

最低賃金引き上げで日本再生?2019.04.11

-人気の「非伝統的」政策をもう一つ-

近頃、経済の世界では「非伝統的」な政策が幅を利かしつつある。

日本を筆頭に先進国の景気がさえず、どんどん金利を下げていったらついにゼロになってしまった。もう金利を下げられなければ金融政策は打ち止めのはずだが、非伝統的な「量的金融緩和」があるということになった。

簡単に言えば、中央銀行が市中銀行の持っている国債をどんどん買い上げて、銀行をお札でジャブジャブにする。銀行はそれを中央銀行に預けても儲からないから懸命に企業に貸すだろう。さすれば企業は設備投資をして景気が良くなるに違いない。そういう理屈だ。日米欧とも揃って採用したが、その評価はいまだ定まらない。まあ、たいして高い点数はつかないだろう。

そして前回のコラムで触れたがMMT(現代金融政策)などという奇怪な理論ものさばり始めた。政府は紙幣を印刷すれば借金を返せるのだから、政府が破産することはありえない。したがって、インフレの心配がない限り財政赤字を気にすることはない(見通せる範囲でインフレの気配は皆無だ!)というものだ。本当ならいくらでも福祉の大盤振る舞いができる。まさに「非伝統的」な経済理論である。

そして、ここに来てもう一つ「非伝統的」経済政策が注目されている。「最低賃金の引き上げ」である。最低賃金の引き上げは左派の政治家・論客が好む政策だが、正統派の経済学者は否定的だった。なぜなら、最低賃金を引き上げるとコスト高で企業が雇用を維持できなくなる。で、結局失業率が上昇してしまう懸念が強いからだ。

韓国の文在寅大統領は親北朝鮮の左翼政権である。庶民派がウリで「最低賃金 時給1万ウォン(約1000円)の実現」を打ち出し、昨年16.4パーセント、今年10.9パーセントと大幅な引き上げを行った。日本はこのところ年3パーセントの引き上げだが、それでも中小企業から悲鳴が上がっている。この結果、韓国では製造業の質の良い雇用が急速に減少し始めた。国際通貨基金(IMF)が「危ない、スピードを緩めなさい」とイエローカードを出したほどだ。

しかし、である。わが国ではこの非伝統的な経済政策である最低賃金の引き上げが、経済再生の有力なカードという見方が強まっている。韓国にはノーと言ったIMFも日本に対しては「やるべきだ」という報告書を出した。 

経済協力開発機構(OECD)によれば、働き手1人の1時間あたりの賃金は、この20年で日本は9パーセント下落した。主要国でマイナスは日本だけ。英国は87パーセント、米国は76パーセント、ドイツは55パーセントの増加。あの韓国は2.5倍。日本は人手不足が深刻な割に賃金が上がらない。老人と女性がどどっと労働市場に参入してきたのがひとまずの理由だが、根本的には労働生産性が下がっているのが原因である。生産性が上がらなければ賃金を上げられないのは道理である。

ではなぜ生産性が上がらないのか。これは難問であるが、「非伝統的」な見地からすれば、通説と逆に賃金が上がらないから生産性も上がらない可能性が大だ。バブル崩壊以来、日本の経営者は守りを固め総人件費の圧縮が習い性になった。

そこで、最低賃金の引き上げである。ゴールドマンサックス出身の論客デービッド・アトキンソン氏(小西工芸社社長)は「賃上げショックで生産性を一気に引き上げるべきだ」と主張する。

経営者は、低賃金に頼って事業の革新を怠っている。その結果、付加価値の低い仕事がはびこり生産性が上がらない。だから賃金も上がらない。いわば「貧者のサイクル」である。これを最低賃金引き上げのムチで産業構造を変えてしまえ、というわけだ。それも地域差を認めず全国一律にやるべし、と。

英国はこれで成功した。韓国はやりすぎで失敗しつつある。ムチの入れ具合が難しそうだが、与党でも検討が始まった。この際、非伝統的政策をもう一つやってみますか。