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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

台湾はわが事にあらず
-アメリカにタテ突くマクロン大統領-2023.07.11

フランスは米国にタテ突くとき、もっとも輝く。最近も台湾問題でひと騒動だ。4月の中国訪問の帰途、マクロン大統領がフランスメディアに語った一件である。「台湾の問題をエスカレートさせるのは我々の利益にならない」、「我々の問題ではないものに巻き込まれてはいけない」、「米国の家来にはならない」などなど。なかなか勇ましい。

ホワイトハウスは黙っていたが、対中強硬派・ルビオ米上院議員は「米中のどちらに付くか明確にしないなら、ウクライナ問題は欧州が自力で対応しろ」と猛反発した。マクロン大統領は米CNNに「バイデン米大統領と立場は変わらない」と述べてハレーションの修復を図ったが、前言を撤回したわけではない。

さらに日本にも火の粉が飛んできた。NATOが東京に連絡事務所を設置する話が進んでいたが、「NATOは北大西洋のためのものだ。地理的な観点から拡大すれば誤りとなる」と反対を表明した。NATOは全会一致の組織なのでフランスが反対すれば設置はできない。

先のG7では首脳宣言で中国の「威圧」に対し一致して対抗していくことが明記された。日本はフランスとドイツの対中姿勢が融和的すぎると懸念していたから、これは大きな成果だった。しかし、今回のマクロン発言は中国認識において彼我の隔たりが依然大きいことを示した。

フランスにとって中国は「極東」であり、脅威と認識するには遥かに遠い国なのである。台湾問題にはウクライナ戦争のような切迫感は感じない。米国にとって台湾の喪失は覇権の終わりの始まりだから見過ごしにできない。

一方、フランスは最近、「インド太平洋国家」を自称する。インド洋南部にマイヨット島、レユニオン島など、太平洋にニューカレドニア、仏領ポリネシアなどを有するからその資格ありという。先ごろは強襲揚陸艦をインド太平洋に派遣したりもしている。が、死活的利益がかかっているわけではない。

欧州の大国のうちイギリス、ドイツ、イタリア、スペインは米国と戦争をした経験があるが、フランスはかんを交えたことがない。そのフランスが米国の下風に立つことを拒絶し、節目で異議申し立てをするのは不思議なことである。

かつて、ある日本の外交官がフランス外相に呼び出され、コンコンと説教されたそうだ。日本がフランスの核実験に抗議したからである。外相は普仏戦争以来、フランスが国土を蹂躙された3度の経験をあげ、どこの国もフランスを守ってくれないことを痛感したという。米国は来るにはきたが開戦から何年も経ってからだ。国は自分の力でしか守れないことを痛感している。だから核保有を選択した。日本はそれを理解しなければならない、と。

マクロン大統領自身がはっきり言っている。欧州は(つまるところフランスは)長期的に米国と中国に対抗できる「第三極」にならなければならない、と。これはドゴール大統領以来のフランスの悲願である。

フランスの栄光は決してウソではない。あの『小公子』を書いた英国出身のバーネット夫人に『小公女』という小説がある。没落富豪の娘セーラが英国の寄宿学校でミンチン先生にいじめられる話。セーラはフランス語がとびっきり上手いがゆえに「精神的上位者」として人気者になり、かつフランス語が下手なミンチン先生の憎しみの対象になる。この本が書かれた1905年、英国社会においてフランス語は英語より遥かに格上の言葉と認識されていたのである。

フランス人が覇者アメリカに時に楯突くのは、そうした過去の歴史的栄光に支えられた自負があるからだ。『戦略的思考とは何か』の外交官、岡崎久彦氏は「フランスから見るとアメリカがよく分かる」と言ったそうである。外務省の英米派の代表のような人だけに含蓄がある。今回の発言はいただけないが、フランス人が何か言ったら、笑止と一蹴せず耳を傾けてやった方がいいらしい。