警備保障タイムズ下層イメージ画像

「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

デジタル人民元はドル基軸体制の脅威か2019.11.01

-「リブラ潰し」にほくそ笑む中国-

フェイスブックが打ち上げた仮想通貨「リブラ」。この欄で8月初めに取り上げた。その後、どうなったのか。米議会でボコボコにされ、同社CEOのマーク・ザッカーバーグは10月23日の米下院金融委員会で「米政府の承認が得られるまでリブラは立ち上げません」と恭順の意を表した。

通貨の発行体はシニョレッジ(通貨の発行益)を手にできる。中央銀行の場合は銀行券を発行して国債等を買い入れており、その利息収入が発行益となる。リブラも裏付け資産の米国債から利息が入ってくる。

これは政府・中央銀行の聖域への侵犯である。先頃ワシントンで開かれた20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議でも警戒感が強く、有り体に言えば「リブラまかりならん」と言う合意文書が発出された。

しかし、ザッカーバーグは議会で気になることを言っている。「こうして議論している間も世界のほかの国々は待ってはくれない。中国は迅速に動いていて、数か月以内に同じような構想を打ち出すだろう」

そう、その通りである。アメリカの経済誌「フォーブス」が8月末に中国の「デジタル人民元」構想をすっぱ抜いた。中国の中央銀行は5年もの年月をかけて研究していたデジタル通貨(暗号通貨)「CBDC」(通称「デジタル人民元」)を11月11日にスタートさせると言うのである。四大銀行(中国銀行、中国建設銀行、中国工商銀行、中国農業銀行)のほか電子マネー「アリペイ」を発行しているアリババ、同じく電子マネー「ウィーチャット・ペイ」のテンセント、中国銀聯など7つの企業を通じて発行される、という。

詳細はよくわかっていないが、政府がデジタル人民元を銀行等に発行し、そこから消費者に法定通貨と交換できる形で提供される。国家がその価値を保証する点でビットコインなどとは本質的に異なる。

プロジェクトの責任者とみられる中国人民銀行支付結算司の穆長春副司長によれば、「現段階のデジタル通貨は設計上、M0(現金つまり紙幣、硬貨など)を代替することに重点を置いており、M1(現金通貨+預金通貨)やM2(M1+定期預金、据置貯金、定期積金、CD)の代替ではない」と言う。

中国人民銀行は通貨の偽造、借名取引、マネーロンダリングなど違法な取引による資金流出に頭を痛めている。デジタル人民元は現金同様でありながら、資金の流れがデジタル管理で追跡でき、資金の海外逃避(キャピタルフライト)やマネーロンダリングを防止できる。

通貨が暴落した国で暗号資産が買われる。2013年に金融システム不安に陥ったキプロスではビットコインに資金が流れ込んだ。最近ではアルゼンチンとベネズエラでビットコインへの資金流入が急増している。リブラができればこうした国の通貨がリブラに置き換わる可能性がある。

そして、先進国でも国債格付けの低い国ほど仮想通貨など暗号資産への傾斜が強い。これまでの逃避資産は金(ゴールド)だったが、先進国でも暗号資産が逃げ場となるかもしれない。

デジタル人民元構想はこうしたリブラの破壊力に対するカウンターアタックの意味合いがある。米議会はリブラが米ドルの基軸通貨体制を危うくしかねないと言う見方だが、中国は逆にリブラは米ドル基軸体制による中国の通貨主権への挑戦、と受け止めているらしい。つまり、人民元の流出に歯止めがなくなる恐れがある。

先ほど指摘したベネズエラ等々の通貨価値が不安定な国々では、デジタル人民元が急速に普及する可能性がある。預金口座不要、送金が瞬時にできてコストが低い、匿名性、価値保存ができる、スマホで簡便に買い物ができる等々、魅力が大きい。

周知のように中国は一帯一路でアジア・アフリカの国々を中華経済圏に引き込もうとしている。5Gや衛星測位システムなどネット関連の最新インフラを提供する構えだ。欧米や日本でデジタル人民元が普及するかどうかは疑問だが、遮断する方法はない。中国の世界覇権の掌握つまり「社会主義現代化強国」の最終ゴールは人民元を基軸通貨とすることで完成する。デジタル人民元はその大きな武器になるだろう。

とすれば、米国が遮二無二「リブラ潰し」に走っているのは、経済覇権をかけて争っている中国にオウンゴールで得点を献上するようなものだ。考え直したほうがいいかもしれない。