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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

待てば「ふつうの国」になるだろう?2018.10.21

-米国と衝突するイスラム&中国文明-

米国の政治学者サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」を『フォーリン・アフェアーズ』誌に発表したのは1993年だった。これは弟子筋ともいうべき同じ政治学者のフランシス・フクヤマが冷戦終結を受け、1989年に『ナショナル・インタレスト』誌に書いた「歴史の終わり?」が大評判になったのに刺激され、反論を試みる目的だった、と言われる。

フクヤマは西欧民主主義が最終的な勝利をおさめ「イデオロギー的進化の終着点」に達した、つまり「歴史は終わった」のだと宣言した。ハンチントンは馬鹿なことを言うもんじゃない、これからは文化と宗教の衝突の時代に突入するのだ、と叱ったのである。とりわけ西欧キリスト教文明に対するイスラム文明と儒教文明(中国)の衝突に警鐘を鳴らした。

その後の展開を見ると、同時多発テロが起き「テロとの戦争」が始まって米国はなかなか足抜きできずにいる。儒教文明はというと、中国の習近平主席は清朝の全盛期、乾隆帝の昔の栄華を取り戻したいという。米国からの覇権奪取を事実上表明したものだから、アメリカを怒らせて「米中冷戦」が始まった。

ハンチントンの言う通りじゃないか、という気がするが、フクヤマは強情に抵抗する。『ウォールストリートジャーナル』に2014年寄稿した一文は大意、次のように言う。

「私の歴史の終わり仮説はいまでも本質的に正しいと考える。民主主義の理想の力は今でも計り知れないものがあり、歴史の終わりにどのような社会が存在するかについては、何の疑いもない」。

さて、論争をざっと振り返ってみたが、いずれにしてもイスラム文明と中国文明が米国の頭痛の種になっているのが現状である。「文明の衝突」という言葉が適当かどうかはともかく、この不安定な状況がいつまで続くか、答えるのは難しい。

ただ、フランスの人口学者エマニュエル・トッドの議論が面白かった。面倒くさいことを言っているが紹介してみよう。

結論から言うと、イスラム世界の暴力的傾向はイスラム特有のものでなく他の文明も通過してきたものである。人口学的には、男性の識字率が50パーセント超となると社会全体の不安定性が増して攻撃的になる。トッドが「移行期危機」と呼ぶ歴史的段階である。

地域によって差はあるが、遅れて女性の識字率が50パーセントを超えてくる。すると出生率が2ぐらいまで低下して、社会全体が落ち着きを取り戻す。攻撃性・好戦性が薄らいでくる。イスラム世界はいま「移行期危機」にあるのだが、女性の識字率が上がってきている。従って早晩戦闘性が薄らぐと予見できる。

あれこれ例をあげ綿密に調査したうえでの結論だから、なかなか説得的である。「まあ、しばし待て」。これが処方箋である。

中国は厄介だ。私は中国専門家の津上俊哉さんの説を買っていた。中国は国内総生産(GDP)で世界一になると各方面から言われ、すっかりその気になった。「中華民族の偉大な復興」はそこに発する「ユーフォリア(Euphoria=多幸感)」の所産である。しかし、津上氏によれば「中国は米国を抜けない」。少子高齢化等の成長制約が多いからである。それが見えてくれば中国の熱狂は静まり、普通の国になるだろう、と。分かりやすい。

ところが、先日津上さんと話していたら「中国のハイテク化がすごくて米国を抜かないとは言えなくなった」と前言を翻すではないか。中国の出生率はすごく低くてトッド理論も適用できない。弱ったね。トランプ流でねじ伏せるしかないのかね。