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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

白川日銀前総裁が回顧録2018.12.01

-自分も責任は免れない-

日本銀行の前総裁である白川方(まさ)明(あき)さんが回顧録を書いた。『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』。版元は東洋経済で758ページ、税込み4860円という本である。

2013年3月に総裁を退任して以来、沈黙を守ってきた。断り切れない義理や友情がらみでひそかにオフレコの講演は数回しているが、それだけに非常な注目を浴びた。そして記者会見も解禁した。皮切りは10月の日本記者クラブ。その後、旧知の記者からの依頼に限ってではあるが、日経や毎日など新聞雑誌のインタビューも多数受けている。

沈黙していたのは、何をどう言っても安倍晋三政権と黒田東彦日銀総裁批判として報道されるからである。実際批判的なのだから仕方ないわけだが、学究的で世間の雑音を極端に嫌う人柄である。かつ日銀の現執行部の邪魔をしてはいけないという思いもあって意見表明を控えていた。

それを解禁したのは、まあ5年も経っているということである。そして、著書に書いてあるが、海外では多くのセントラルバンカーが回顧録を残し、金融政策研究に良質の資料を残している。しかし、日本にはそのような例がほとんどない。井上準之助総裁が退任後に東京商科大学(現一橋大学)で行った連続講義ぐらいである(白川さんはとても参考になった、と言っている)。中央銀行をめぐる政治環境は違うが、日本はいささか消極的に過ぎるかもしれない。

それに加えて、というかそれ以上に自分の金融政策に対する世の誤解(あのノーベル経済学賞のポール・クルーグマン教授、自称「白川のゼミの恩師」イエール大学の浜田宏一教授、それ以下の頭の悪い多数の有象無象)に、総裁時代は禁じられていた反撃をしないではいられない。そういう人間的理由があった(に違いない)。

白川さんの時代は例のリーマンショックに見舞われた激動の時代だった。そしていわゆる「失われた20年」に対する日銀の「不作為の責任」が厳しく問われた。

リフレ派と分類される人々がおり、彼らは諸悪の根源は「デフレ」であると断言した。そして「デフレは貨幣現象である。したがって金融政策でマネーをじゃぶじゃぶにすればデフレから脱却できる」と浜田教授らが安倍首相に吹き込んだ。

デフレ期待で苦境に

デフレとは「物価の継続的下落」である。リフレ派は物価が上がれば経済が成長するというのだ。「逆でしょ?」。「経済が成長するから物価が上がるんじゃないの?」というと「時代遅れ」と批判された。不思議な時代だった。リフレ派への期待が世に満ちて白川日銀は苦境に立った。そしてリフレ派に洗脳された安倍首相の誕生。

この本のハイライトは退任を前に、消費者物価の目標値(インフレ・ターゲット)2パーセントを政府と約束せざるをえないところに追い込まれる白川さんの思考過程である。

すでにゼロ金利だ。これ以上の金融緩和はありえない。しかし世間は「量的緩和(銀行の保有国債を日銀が買いまくる)」すればもっと金融緩和され景気が良くなる、と信じ込まされている。さてどうしたものか。

国民の多くがそう考え安倍政権が誕生した。であれば、効果は期待できないが、中央銀行は国民の期待を無視するわけにもいくまい。そう考えて日銀は政府との「合意」に踏み切った。

この合意が後継総裁の黒田東彦氏による「異次元の金融緩和」に道を開いた。国債は事実上の「日銀引き受け」となり日銀の倉庫は国債でマンパンだ。国債崩壊の「Xデー」が取りざたされている。白川前総裁はこの事態について自身にも責任があると考えているようである。5年の沈黙がそれを示している。