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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

「セネカの崖」に転落か2017.11.1

ものづくり日本の危機

「セネカの崖」という経験則がある。何事によらず発展・増加するときは長い時間がかかるが、それが衰退・減少するにはごく短時間しかかからない、というものである。

セネカはローマ帝国の暴君ネロの家庭教師だった。ネロが皇帝になると政治の実権を握って善政を敷いた。しかし、後年ネロに嫌われて自死に追い込まれる。そのセネカが次のように言う。

「もしもあらゆるものが出来上がるのと同じくらいゆっくりと滅びるのであれば、それは私たちの弱さと私たちの住む世界にとって何らかの慰めとなったことだろう。だが、現実には成長の速度は遅く、破滅に至るときはすみやかだ」(ルーキリウスへの手紙『セネカ哲学全集6』岩波書店)。自らの人生を踏まえて、味わい深い。誠に高みにいたる時間は長く、破滅は瞬時であったに違いない。

気になるのは日本は今、この「セネカの崖」を目の前にしているのではないか、ということである。というのも、日本を代表する大企業の不祥事が相次ぎ、ただごとでない。

2011年のオリンパスの損失隠しから始まって、一昨年来の東芝の利益操作と経営危機。今年は日産自動車の無資格検査と大量リコール。そして震度において超弩級なのが、神戸製鋼の製品データ改ざん・納入問題だ。

強度の足りない製品を「強度十分」と偽って、何十年も納入し続けていたという信じられない話である。日本の製造業が営々として築き上げてきた「メード・イン・ジャパン」の名声が揺らいでいる。

安全が懸念される部材(部品・素材)の供給を受けていたのはトヨタ、日産、ホンダ、GM、フォードなどの自動車メーカーを軸に500社といい、三菱重工、米ボーイングなど航空・防衛産業にも及んでいる。

この話が深刻なのは、ことが部材の品質に関わっているということだ。日本の製造業を今、牽引しているのは(自動車産業を例外として)、加工組み立て産業でなく部材産業なのだ。この分野にいわゆる「オンリーワン」の、つまり世界シェアの過半を握る日本製品がひしめいている。

自動車に使われる高張力鋼の8割は新日鉄など日本製だし、半導体の素材のシリコンウエハーは7割近くが日本製。列挙すればそれだけでこのコラムが終わってしまう。その競争力を支えるのが「メード・イン・ジャパン」への信用だ。

10月11日付けのニューヨーク・タイムズは1面トップで神戸製鋼事件を取り上げ「日本のイメージに打撃」と報じた。戦後間もなくの「安かろう悪かろう」の安物イメージを長い時間をかけて払拭し、やっと築き上げた輝ける日本ブランドに「セネカの崖」が迫っている。

後は蛇足である。まさか神戸製鋼がこんなことをやっているとは誰も思わなかったよね。大学卒業後3年間、神戸製鋼に勤務した安倍首相もそうらしい。6月24日、神戸市で開かれた「神戸『正論』懇話会」の設立記念特別講演会で要旨次のように語った。

――もう時効だから話すと、私の初任地は加古川工場。そこでパイプの長さを間違って入力してしまった。それが大量に出来上がってきて、さすがに一瞬クビを覚悟した。しかし仲間というのは有り難いものだ。これは誤差の範囲内か直ちに調べていただき、ぎりぎり許容範囲内であるということになった。そこで無事出荷できて、クビにならずに済んだ――

知っていればこんな“不祥事”を自白することはなかっただろう。安倍さんらしい脇の甘い話だからご紹介した。他意はない。