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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

大和心のニッポン2018.11.11

-ともかく「常識」が先決だ-

就寝時に音楽を聴くのもいいが、近頃は講演を聞くことにしている。その多くが退屈なので眠るのに都合がいい。

先日は小林秀雄を聞いた。これは面白くて寝るどころでなかった。ややかん高い江戸弁である。高級な漫談ですな。そのなかで「新知識」を仕入れたので読者にご紹介しようと思う。「大和心」(「大和魂」と同じものであるが)の本来の意味である。

小林さんは晩年を大著『本居宣長』の著述に打ち込んだ。宣長は江戸期の不世出の国学者であり、いまわれわれが『古事記』を読めるのはこの人の読解のおかげである。小林さんも古典を勉強し直してえらく苦労したそうだ。

その宣長の「しき嶋の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」は知らないひとのない歌だ。やまとごころといえば引き合いに出される。小林さんは「匂う」ということばや「山桜」についてもあれこれおっしゃっているが、長くなるので割愛。

肝心なことは、大和心ということばは平安期の女房文学に使われて以来、長く忘却されてきたということである。江戸期まで大和心などという言葉を使う人はいなかった。宣長のころから復活してくる。

日本の文献で最初に出てくるのは「源氏物語」の乙女の巻。源氏の長男、夕霧が12歳になって元服する。源氏は息子を大学に入れる。最高位の貴族の子弟だから大学なぞ行かずとも出世は既定路線だ。周囲が反対するのに対して源氏はこう反論する。

「才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましい)の世に用ひらるる方も、強う侍(はべ)らめ」つまり「大学で漢文を学んでこそ、大和魂もいっそう強化されるのだ」という。ここで大和魂は机上の学問に対する実世界での知恵という意味で使われている。

その大学に大江匡衡という博士がいた。奥さんは美貌の歌人、赤染衛門。赤ん坊が生まれて乳母(めのと)をやとったが乳が出ない。匡衡が皮肉って詠んだ歌は「はかなくも 思ひけるかなちもなくて 博士の家の めのとせむとは(乳〈知〉もないというのに、博士の家に乳母にくるとは、しょうもない話だ)」。

これに対し赤染衛門は「さもあらば あれやまと心し賢くば 細乳につけて あらすばかりぞ(それならそれで結構。やまと心さえ賢ければ、細乳であっても無知でも乳母は務まります)」。ここでも学問に対する実用の知を意味する。

もうひとつ『今昔物語』から。やはりこのころの博士、清原善澄は泥棒が侵入してきたので縁の下に隠れてやり過ごしたが、あまりにも悔しいので去っていく泥棒たちに「お前たちの顔はみんな憶えたぞ。朝には検非違使に訴えてやる」と怒鳴った。それを聞いた泥棒たちは取って返して善澄を殺してしまった。今昔物語の作者は「善澄は学問はあるが大和魂(常識)がない」とあきれている。

幕末以来、大和魂は政治的に再解釈が行われ、勇敢・高潔の日本精神を意味する言葉になった。しかし、国粋主義、排外主義とは本来、無縁のことばであった。小林さんはその本来的な大和心、大和魂が日本人におのずと備わっていることを信ぜよ、と説いているのであろう。

「私はインテリが大嫌いでね」と小林さんは何度も繰り返している。宣長もそうだった、のだそうだ。本人が大インテリなのにおかしな話だが、言わんとすることはよく分かる。トランプ以来、世界は極端に走る国だらけになったが、日本は「大和心」があるから大丈夫、ですよね?