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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

リベラルは復活するか2019.03.01

-気前がよくなきゃ政治じゃない-

安倍晋三首相は2月の自民党大会の演説で「民主党政権時代は悪夢だった」と評して物議をかもした。悪夢という表現は挑発的すぎるかもしれないが、有権者が民主党に愛想を尽かしたのは選挙結果で明白である。

鳩山由紀夫、菅直人。民主党の2人の首相。前者は沖縄の基地問題で、後者は原発の事故対応で致命的な失敗をしでかし、それが民主党崩壊につながった。

そういうことではあったが、私の考える民主党の最大の罪はそれではない。民主党の犯した取り返しようのない過ちは「リベラリズム」を殺したことである。「リベラル」はプラスイメージの言葉だった。「リベラルな政治集団」といえば、まず第一に池田勇人以来の自民党の派閥「宏池会」であり、保守本流を自認し首相を輩出してきた。

民主党政権はあろうことか、このリベラルの金看板を横取りした。プラスイメージの簒奪(さんだつ)(政治の実権を奪い取ること)である。しかし、実際にはお粗末な政策に終始し(失政を挙げていくとキリがないのでやめる)その結果リベラリズムをおとしめてしまった。以降、「リベラルな政治家」を称するのは政治的自殺行為になったのである。

自転車の転倒事故で大けがをしなければ、ポスト安倍晋三の一番手だった宏池会の谷垣禎一氏は法相だった2014年、集団的自衛権の行使容認問題で「リベラルの谷垣氏はどう考えるか」と尋ねられ「私はリベラルだと思っていない。保守だ」と答弁した。リベラル呼ばわりは迷惑だったのだ。

リベラルという言葉は英米と日本では大きく意味がずれている。だが、重なる部分ももちろんある。その説明だが、まず米国の地図を眺めてみよう。ほぼ真ん中にカンザス州があり、その南の州境近くに「リベラル」という町がある。大草原に囲まれた人口2万人余の町だ。

この町がリベラルという風変わりな名前になったのはなぜか。西部開拓時代、この地を開いたロジャーズという男がカウボーイや旅人に無料で水を振る舞ったからである。このあたりでは当時、水は貴重品で金を出さなければ飲めなかった。それをただで提供したから人々はこう言って感謝した。「なんてリベラルな人でしょう」。これが町の名前の由来である。

辞書を引くと「自由主義的な」という意味もあるが、真っ先に出てくるのは「気前がいい」ということである。したがってリベラルな政治とは日米とも、ケチケチしないことである。最低賃金をドーンと引き上げ、年金は増額、医療費はただが理想。これでは財政が回らなくなり国民もスポイルされる。それがリベラルの衰退の根本原因であった。

さて、リベラリズムからもう一歩踏み出すと社会主義だ。リベラルが不人気なのだから社会主義は終わっている。と思っていたら、米国では社会主義復活の兆しだそうだ。

先の米大統領選の民主党予備選では、どこから見ても社会主義者のバーニー・サンダース候補(上院議員)に、18〜29歳の83パーセントが投票していた。また、ミレニアル世代(ベルリンの壁崩壊前後の20年間ぐらいの生まれ)の49パーセントが「社会主義に肯定的」だった(2015年ピューリサーチ・センター)。こうした例は枚挙にいとまがない。

貧乏人がますます貧乏になるグローバリズム教では救われない。で、保守主義の鬼っ子・トランプ大統領に奇跡を夢見たが、選択を間違ったのはいよいよ明らかだ。というわけで振り子はもう一度揺り戻しをはじめてリベラリズムというわけだろうか。

2020年の大統領選は訴追されない限り共和党はトランプが指名されるだろうが、民主党は乱立の雲行き。リベラルの復活が本物か、米大統領選の見どころの一つである。