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警備業ヒューマン・インタビュー
――教育功労表彰2020.09.21

中田多美子さん(京都府警備業協会事務局課長)

講師と事務局勤務こなす

《事務局員として勤務しながら特別講習講師も務めています》

私は事務局員として2001年3月に入局し、すぐに特別講習の申込受付を担当しました。それまでは警備業とは全く関係のない仕事をしていたため講習の内容が全くわかりませんでした。しかし、受講生はそのような事情は知らないため「どのような勉強をしたらいいですか?」や「三角巾の作り方を教えてください」といった質問に答えることができませんでした。

その場で的確な回答ができれば、受講生は講習までに十分に備えることができるのに…と考えると申し訳ありませんでした。そこで自分自身が講師になれば受講生にしっかりアドバイスできるのではないかと考えました。上司や講師の先生方の勧めもあったことからその年の12月に「研修センターふじの」の講師候補者研修会に2期生として参加したのです。翌年1月に交通誘導警備業務2級講師に委嘱されました。

《講師になるための勉強はスムーズに進みましたか》

それまで警備業とは全く関わっていなかったため、教本に書かれている内容が理解できませんでした。1ページを理解するのに3日はかかるような有様で、泣きそうになりながら勉強しました。しかし協会理事や事務局、講師の皆さんの励ましがあったことや、期待されていると感じていたため投げ出すことはできませんでした。

当時は事務局の仕事も忙しい時期だったため、まとまった時間を勉強に充てることは不可能でした。そこで一日に10分は時間を作り、毎日欠かさず教本を読むことを続けました。

家族がサポートしてくれたことも大きかったですね。当時2人の子供は高校生で手が掛からなかったのですが、神奈川県にある「研修センターふじの」で3泊4日の研修会に参加した時は夫が食事や洗濯といった家事を担ってくれました。講師になってからも日曜日に家を空けることが多いのですが、快く送り出してくれます。

《教壇に立つ時に重視していることは?》

受講生の誰もが初めに抱く「何もわからない、何もできない」という不安な気持ちに寄り添うようにしています。研修生のときの私もそうだったため、決して恥ずかしいことではないと伝えます。教え方としては私自身が学んだことや勉強方法を、わかりやすく受講生に伝えるようにしています。

常に最新の情報を取り入れて講義に生かすことも大切です。その点では、さまざまな情報を知ることができる事務局で勤務させていただいていることは大きなメリットだと思います。

《家族のサポートがあるとはいえ、仕事と家庭の両立は大変でしょう》

精神的にも体力的にもハードです。講師になった最初の3年間は、まだ慣れていなかったこともあり周りの人に時間がないと不満を言っていました。ある時、先輩の男性講師に「時間は作るものや」と言われ、「主婦と仕事を両立させることの大変さをわかってほしい」と思ったこともありますが、今となっては先輩の言葉は正解だなと感じます。おかげで、時間の使い方や講習の組み立て方は無駄なくできています。

仕事に達成感を感じた時は疲れも吹き飛びます。事務局では経理や総務、特別講習の計画などを担当しています。先日は新型コロナウイルス感染症の影響を受けた法人に対する、政府の持続化給付金の申請を担当して受給することができました。警備保障タイムズに記事が掲載されたところ、会員や全国の協会から申請方法を教えてほしいと連絡があったため、マニュアルを作って送りました。すると「受給することができました」との報告が相次ぎました。皆さんが厳しい状況にある中、お役に立つことができました。

《警備員の資質向上への貢献が認められ全国警備業協会から教育関係功労表彰を受けました。京都警協の宇多雅詩会長や小林茂専務理事からも高い評価を受けているそうですね》

宇多会長には日ごろから「頑張っていますね。中田さんには期待しています」という言葉を掛けてもらっています。その期待を裏切ってはいけないという思いも、これまで頑張ってこれた理由です。

これからも講師と事務局員として警備業界の発展に寄与する所存です。

警備業ヒューマン・インタビュー
――警備業功労表彰2020.09.11

関山信子さん(ルート・エスピー代表取締役)

教える〝引き出し〟増やす

《秋田県警備業協会の特別講習講師を務める中で、重要視してきたことは何でしょう》

3日間の事前講習と2日間の特別講習という限られた時間の中で、受講者一人ひとりの個性、知識と技能のレベルを把握した上で教えなければなりません。学科講習で受講者が50人いれば「講師1人対50人」ではなく、「講師1人対受講者1人の50通り」となる講義を常に心掛けてきました。

自信のない様子だった人が事前講習で学ぶうち、実技の動作が機敏になり大きく変化することがあります。そのためには的確な指導、相手の心に響く言葉掛けが重要です。こうしたマンツーマンで実技を行うのと同様の心構えで、学科講習に臨みます。教壇で説明しながら受講者それぞれの反応、表情を観察し、質問をはさみ理解の度合いを確かめて講義を進めます。

《1対1の50通りの講義を行うためには、どのような準備が必要ですか》

“教え方の引き出し”を増やすことです。一つの知識を説明する場合、どんな切り口から入るか、新しい情報や事例をどう織り込むか、教え方は何通りもあります。法律知識などは、受講者が身近に感じ理解しやすいよう噛み砕いて話すことが大切になります。

教える引き出しを増やすには、アンテナを広げ社会の幅広い情報をキャッチするとともに、他の講師の講義を数多く聴講し研究することが必須です。講師が互いの講義に対する意見を述べ切磋琢磨することが大切であり、主任講師として私は、講師陣が忌憚なく話し合える雰囲気づくりを心掛けています。若手の講師には「受講者の気持ちになることが出発点です」と強調しています。

受講者が知識を丸暗記するのでなく、知識をもとに思考の方法を身に付けるように、実技の動作一つひとつの持つ意味に理解を深めるように教えなければなりません。たとえ不合格であっても、学んだ知識を日々の業務に活かせれば、受講は無駄ではないのです。

《秋田警協に女性講師がいなかった20年前に、講師を目指した経緯はどのようなものでしたか》

当社を創業した母・菊谷正子(故人)から講師になるよう勧められたことがきっかけです。

母は警備会社の事務員を務めた経験があり、起業を志して警備員指導教育責任者の資格を取得するなど準備を進め、56歳の時に警備業の経験者とともに当社を設立しました。父が定年退職を迎えたのを機に、家のことは父に任せて起業を実現したのです。

私は子育てをしながら経理担当として入社し、警備員教育を受けて現場に出るようになりました。母から「資格を取って社業に活かすことが大切」と勧められ、交通誘導警備2級と施設警備2級の検定を取得しました。そして入社6年目のある日、母が全国の特別講習講師の名簿を見て「他の県では女性の講師が活躍している。挑戦してみたら」と言ったのです。

当時、長男は中学2年生、次男は小学3年生でした。講師になることに憧れは感じたものの、講師候補者の研修会は東京で泊まり掛けで行われるため躊躇しました。すると長男が「母さんが出張する間は、ボクが弟の面倒を見る。だから頑張って」と励ましてくれました。この言葉に背中を押され、なんとしても講師になろうと決心し、仕事と家事を終えた夜などに勉強を重ねました。

講師活動を通じて全国の関係者の方々と出会い、成長できたと思います。施設・交通誘導・雑踏警備の講師を務めて10年後、全国で初めて女性の主任講師に就いた時、特に気負いはありませんでした。警備業は男女の別なく活躍できる職業だと思っています。現在、秋田警協の講師は10人で、女性講師は私を含めて2人です。

私と母が警備業に取り組む背中を見て育った次男が5年前、当社に入社したいと言った時は嬉しく思いました。現在、業務の傍ら資格取得に向けて勉強中です。

《協会初の女性理事に就任されました。女性警備員の活躍推進が期待されます》

今後は子育てや介護など働く人の事情に合わせた短時間の勤務シフトや、家から近い警備現場を選べるなど、働きやすさを整備することが男女とも雇用と定着の促進につながると考えます。警備員教育、人材確保など諸課題について、会員企業の発展に役立つ情報の発信など協会活動に取り組んでいきます。

警備業ヒューマン・インタビュー
――警備業功労表彰2020.09.01

佐々木仁さん(三沢警備保障 代表取締役社長)

減量の辛さに比べれば…

《警備業への功労が評価されて全警協会長・警察庁長官の連名表彰を受けました》

警備業の健全な発展と警備員の指導育成に少しでも貢献できたことが何より嬉しく、頑張った甲斐がありました。無我夢中でここまできて、まさかこんな大きな表彰を受けるとは思わなかったです。

特別講習講師を11年務め、警協教育委員会委員長として委嘱を受けて警備員教育を担当してきました。警備会社にとって警備員一人ひとりは財産であり、教育を通じて資質向上を図ることは不可欠です。これからも微力ながら優秀な警備員の育成に全力を尽くしたいと思っています。

《経営の舵取りで大事にしていることは何でしょう?》

警備業は目に見えない「安全・安心」を扱うビジネスですから社会からの信用・信頼が不可欠です。私は専務取締役に就任した30年以上前から、毎日の上下番報告とともに服装・アルコールチェックと毎年決める安全標語の復唱を警備員に義務づけています。地域貢献活動として三沢市内の小学生を対象に登下校時の安全標語を記した下敷きを提供したり、映像や劇を交えたわかりやすい防犯教室をボランティアで続けてきました。

《人材確保の一環で、自衛隊OBを積極的に雇用しています》

青森県は国内で唯一、県内に陸・海・空の3つの自衛隊があります。自衛官は53歳と早期に退官しますので退官日が近い自衛官を対象に当社で毎年、勉強会を開いています。退官者は教練が身に付いていますから、スムーズに警備業務に入ることができます。

《東日本大震災の復興にも協力しました》

震災発生の翌日3月12日に従業員全員が出勤し、無事を確認しました。県警本部に連絡すると、行方不明者の捜索が難航しているとのことで、協力することを伝えました。三沢漁港の津波被災地で当社警備員が、車内で犠牲になった人を発見し三沢警察署長から感謝状をいただきました。

災害発生から一週間後、同業者から宮城県内の復興支援を頼まれ、社内で希望者を募りました。被災車両を集めた場所の警備などの業務は約1年間続き、当社は営業所を設置しました。新卒者の採用と併せて地元の会社で定年を迎えた警備員を再雇用しています。

《会社は実父の登氏が創業しました》

父は今年6月に亡くなりましたが、最期に連名表彰を報告できました。少年飛行兵(特攻隊員)として知覧(ちらん)基地で終戦を迎えた父は、復員して故郷の三沢市に戻り、生活のために米軍基地で働き始めて100人体制の基地警備隊の中隊長を務めました。業務は軍用犬を連れて基地の周囲を警戒したり、積み荷の違法物検査なども行ったと聞いています。

《長男で副社長を務める文仁氏は、青森警協の初代青年部会長として活躍しています》

副社長には私の右腕以上に頑張ってもらっています。私には息子が3人おりまして、次男・政仁は航空自衛隊員として松島基地に勤務しています。三男・貴仁は当社の専務取締役です。将来は3人で当社を継ぎ、力を合わせて発展させてもらうことが私の夢です。2年前に他界した妻の文江は、営業と経理、事務すべてを取り仕切ってくれていました。今も当社を見守ってくれていると思います。

《佐々木社長はかつてボクシングに打ち込み、メキシコ五輪日本代表の最終選考に残ったとか》

私は中学校の教師からの勧めでボクシングが盛んな光星学院高校(当時)に推薦入学し、県王者になりました。大学時代は法政大学ボクシング部で主将を務めました。

卒業後はプロの道に進み、三迫(みさこ)ジムに所属してバンタム級で約3年間試合をしました。印象に残っているのは、対戦相手と5度ずつダウンし逆転KO勝ちした試合です。合計10度のダウンは当時日本新記録で、セミファイナルの試合がメインエベントをしのぐ大歓声だったと新聞に載りました。

急に日程が決まったため2週間で10キロ減量した過酷な引退試合も忘れられません。計量のあと水分を口に入れたら砂漠に水をまいたようなスーッと身体に染み込む感覚でした。試合は会長がタオルを投げ入れようとしたのですが最後までリングに立ち続けました。

それらの経験は今も脳裏に残っていて警備員に話すことがあります。当時を思えばどんなに辛いことでも頑張れるという思いで私は今日までやってきました。

先日、青森大学から依頼を受け「挑戦」というテーマで講義を行いました。「自分自身に勝ってこそ相手に勝てる」「死ぬほどの苦労を味わった人だけに結果が与えられる」などのメッセージは、講義後のアンケートを見ると学生の皆さんの心に響いたようで、嬉しい限りです。