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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

朝鮮半島の地政学(上)2017.5.21

北朝鮮の人質と化した韓国国民

朝鮮半島軍事情勢の核心は、北朝鮮が韓国の人口5000万人のうち、約40パーセントが集中するソウル特別市及び広域首都圏内の住民を長距離砲、ロケットの射程距離に収め人質化しているという単純な事実だ。

南北軍事境界線からソウル市まではわずか40キロメートル弱。東京―千葉県佐倉市、茨城県取手市、都下八王子市、横浜市戸塚区を円で描いた距離にすぎない。北朝鮮陸軍の3分の2が配置されている軍事境界線に沿って600門以上の170ミリカノン砲(最大射程52キロメートル)、240ミリ、300ミリ連装ロケットランチャー(最大射程65〜180キロメートル)300門以上が配備されている。多くは自走式で山腹のトンネル内に秘匿されており捕捉、破壊が難しい。ロケットランチャーは、1回に1基当たり12〜40発のロケット弾を発射する。ミサイルのような正確性はないが、数百発を一斉発射することで「ソウルを火の海にする」ことは可能だ。この場合、少なく見積もっても10万人以上の死傷者が出るとみられる。無論、首都のインフラ機能は壊滅、アジア太平洋で中国、日本、インドに次ぐ経済大国が一夜にして廃墟と化すことになるだろう。

つまり北は、対韓国に対しては核とミサイル抜きでも十分な戦略的優越性を保持している。1994年、北の核実験とノドンミサイル発射に対しクリントン政権は、核実験サイトへの空爆を決意した。しかし、時の金泳三保守政権の必死の要請により断念したのは、この被害想定の大きさによる。それから13年、状況は弾道ミサイルと核弾頭の小型化による実戦化でより北に有利に傾いている。これだけ見てもトランプ政権が明日にも対北朝鮮軍事攻撃に踏み切るかのようなコメントや報道がいかに非現実的か分るだろう。

そこで、ひとつの疑問が生じる。朝鮮戦争(1950〜53年)の惨禍から64年経ったといえ、その記憶は多くの韓国国民に生々しい。それなのに何故、かくも危険な所に首都を置き人口の集中を放置してきたのだろう?

遷都論は繰り返されてきたが…

朝鮮戦争では3年余りの戦いで米軍4万5000人、韓国軍6万5000人、北朝鮮軍40万人、中国軍50万人(いずれも推定)が戦死した。これに南北の非戦闘員を加えるとおよそ500万人もの犠牲者が生まれている。日中・太平洋戦争6年間の日本軍人、市民の犠牲380万人と比べても死傷率の高さが分る。

1950年6月25日、怒涛のごとく38度線を越えた北朝鮮軍の戦車部隊は、わずか3日間でソウルを陥落した。韓国政府は、退却を重ね釜山まで追い詰められ、臨時政府の所在地も水原、太田、大邱と移った。

こうした経験から休戦後、引き続き首都をソウル市に置くことの是非が議論の的となってきた。しかし荒廃した財政状態で新都心建設の費用が捻出できない。後になると都市機能が肥大化し過ぎ、また歴史的文化の中心、ソウルへの郷愁の強さから移転は実現しなかった。一方、米韓両軍が想定する第2次朝鮮戦争の戦闘プランでは、両軍は一旦ソウルの南約120キロメートルまで引き、航空優勢を得て北朝鮮軍を消耗させながら38度線まで北上することになっている。韓国陸海空統合本部が忠清南道のケリョン市にあるのはそのためだ。つまり軍事上、「ソウルが火の海」になることは織り込み済みなのだ。

この中で、北に友好的であった急進派、廬武鉉政権がソウルの南約120キロメートルの忠清北道付近に首都機能を移転する法案を成立させた。人質化した首都を北から解放しようとした唯一の試みだった。しかし、ソウル市長を務めた保守派、李明博政権の誕生とともに首都移転論は消えた(この稿続く)。