河内 孝の複眼時評
河内 孝 プロフィール |
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。 |
鏡の国のアリスと北朝鮮交渉2018.6.01
-ゲームのルールを決めるのは誰?-
金正恩と一緒にしては「不思議の国のアリス」も気を悪くするかも知れない。アリスは第二作で「鏡の国」に迷い込み、上下左右が錯綜したチェス盤上の世界をさまよう。当事国、関係国のあい矛盾する利害と打算が交錯した北朝鮮をめぐる攻防は、まさに現代版、「鏡の国のアリス」と言えないだろうか。
6月12日に予定されていた米朝首脳会談は、かけ引きに失敗、タナ上へ。今後の成り行きは全く不透明だ。しかし、仮に開催されたとしても、一回の会談で決着がつくことはあり得ない。
この問題の当事国は、北朝鮮と韓国。利害関係国は、米国、日本、そして中国とロシアである。各国とも「非核化」という建前では一致しているが、それを具体化する熱意と道筋に関しては同床異夢である。
かつてアラブ諸国の首脳が集まり議論紛糾、空中分解しそうになると、「イスラエル非難決議」を採択して終わるのが通例だった。全会一致が保障されているイスラエル非難で足並みの乱れを糊塗し、対外的なイメージダウンを避ける知恵だった。「北朝鮮の非核化」というスローガンも、これに近い。
問題は、「非核化」の定義、そこから派生する様々な問題について各国の思惑、優先度が異なることなのだ。例えば非核化は「北朝鮮の」か、あるいは「朝鮮半島の」なのか。「朝鮮半島」であるなら、いつでも核武装可能な在韓米軍や近海に控える第七艦隊の存在、さらに中・ロのミサイルにもにらみを利かせる韓国内のTHHD迎撃システムも対象になりうる。
一方、韓国(の革新政権)にとって最優先課題は、朝鮮戦争の正式な終結を経て互いの主権を認め合う連邦国家、最終的には統一に向けたロードマップ作りだ。つまり非核化は最優先ではない。中・ロにとっては、米国と軍事同盟を結ぶ統一国家が国境を接して誕生することだけは、なんとしても避けたい。さらに米国主導の世界秩序に挑戦している両国にとって米国の影響が拡大する形で北東アジアの平和秩序が図られることは望ましくない。むしろ米国が北朝鮮に鼻づらを引き回され威信が傷つくことが望ましい。
一方、交渉に臨む米国にとって最低線は、北朝鮮が自国に到達する大陸間弾道弾の開発を断念することだ。少なくともこれが明確になってから各論に入るという姿勢だろう。
早急な問題解決は困難、日本は毅然と
では日本の立場はどうか。安全保障面では日本を射程距離に置く北の中距離核の廃棄、人道面では拉致された人々の奪還である。当然、各国の優先順序とは落差がある。ここから「日本蚊帳の外」論が出てくるが果たしてそうだろうか。日本以外の関係国の最優先事項が一致していて、日本だけ異なるというならそうかもしれない。しかし、関係各国の優先順位も万華鏡のようにバラバラなのだから、大切なのは自分のスタンスを毅然として守ることだ。
「文在寅大統領は、わが国民に対する罪でいえば、獄につながれている李明博、朴槿恵両大統領よりも百倍にも千倍にもあたる大罪を犯した北朝鮮の政権トップと嬉しそうに会い、親しそうに対面した」。5月20日付の保守系朝鮮日報は、北の揺さぶりに安易な妥協はするべきではないと主張する社説をこのように書きだした。手を携えて軍事境界線を越えたTV映像は、金正恩のイメージを著しく改善させた。しかし、同じ人間が実兄や、義兄ら多くを冷酷に謀殺した事実は消えない。
確かに核の脅威下で暮らしてゆくのは容易ではない。と言ってこのような指導者に成功の甘き果実を与えていいとは思わない。