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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特任教授、国際厚生事業団理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

遠くて、さらに遠くへ行くのか?2019.06.11

-韓国との和解がこれほど難しいわけ-

対馬から韓国釜山まで100キロメートル余り。東京―小田原間の距離にすぎない。にもかかわらず物理的な距離と、心理的隔たりのギャップは広がるばかりだ。根底に日本による植民地支配の後遺症があることは間違いない。しかし、実際に体験した世代が少なくなるにつれむしろ怨念が増幅、結晶化されているようだ。

かつては、「近くて遠い」と評された状況を、「近くて近い」関係にする努力が試みられたこともある。しかし、ソウルから帰任した友人によると「文在寅政権は、国の基本原理を譲ってまで関係改善をはかる必要はない」と腹をくくっているそうだ。かたや安倍首相は数年前、産経新聞とのインタビューで、「過去に自民党政権時代にやってきたことを含め、周辺国への過度の配慮は結局、真の友好につながらなかった」と述べている。村山談話に象徴される「和解路線」の否定で、この信念は今後も変わるまい。

この関係を一層難しくさせているのが大陸国と海洋国の違い、北朝鮮の脅威に対する温度差、大国・中国の影の濃淡、米国との距離感――など外的条件だ。しかし、文政権の対日姿勢の根底には、「基本原理」がある。慰安婦、徴用工問題などへ感情的な“嫌韓意識”を募らせだけでは相手の本音が見えてこない。

文在寅政権が実現しようとする国家の基本原理とは何だろう。「韓国現代史において国の名で行われた犯罪行為被害者の正義を回復する」こと、つまり歴史を糾すことだ。文大統領は就任直後、このための委員会を作り自ら責任者となった。

歴史被害者は三類型に分かれる。第一が朴正煕軍事政権以来の民主化運動で犠牲となった人々(文氏本人や故廬武鉉大統領も含まれる)。第二が李承晩大統領時代(朝鮮戦争期)に北朝鮮のシンパと見なされ虐殺された約30万人と、弾圧され強制収容された人々。第三が日本による植民地時代の独立運動家、犠牲者達である。いわゆる徴用工、慰安婦はこれに当たる。

類型の時系列が逆になっている点が面白い。現代に近いほど記憶が新たで犠牲者の多くも生存しているからだろう。いずれにしてもこれらの人々の恨みが癒され、名誉回復がなされぬ限り民族のアイデンティティーが確立できないというのだ。

文大統領の求める国家原理とは

李承晩ラインと呼ばれる一方的な海域規制で日本漁船を拿捕した李承晩大統領以来の歴代政権と日本の関係は、険悪化と改善の間を行き帰りしてきた。しかし、現代韓国を知る友人は、「廬武鉉、文在寅政権は他の政権とは全く異なる。二人以外の時代は悪化も改善も底が浅かった」と言う。日本統治時代を知り、流ちょうな日本語を話した金大中氏や、大阪で生まれた李明博氏などの時代、日韓関係の基本は良好で、強硬な反日姿勢を取るのは多分に国内世論対策上からだった。

廬武鉉、文在寅両氏の対日姿勢は、こうした戦術的なものでなく信念から生まれている。当初から廬、文氏が弁護士として関わった徴用工裁判の最高裁判決は言う。「日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争と直結した日本企業の反人道的な不法行為に対する個人の請求権は消えない」。この文脈からは植民地統治のみならず、国交を正常化させた1965年の日韓議定書も否定する「原理」がうかがえる。

皮肉にも日韓旅行客の数はうなぎ上り。氷のような政府関係と対照的だ。国家関係と文化交流は別という“大人の”判断が浸透しているのかもしれない。文政権はあと2年で終わる。次期政権が「基本原理」を継承するか否かは分からないが、希望を持たせる兆候である。