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「知」に備えあれば憂いなし

河内 孝の複眼時評

河内 孝 プロフィール
慶応大法学部卒。毎日新聞社に入社、政治部、ワシントン特派員、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て退社。現在、東京福祉大学特別教授、全国老人福祉施設協議会理事。著書に「血の政治―青嵐会という物語」、「新聞社、破たんしたビジネスモデル」、「自衛する老後」(いずれも新潮社)など。

朝鮮半島の地政学(下)2017.6.11

北朝鮮の人質と化した韓国国民

前回、朝鮮半島軍事境界線沿いに配備されている北の長距離砲、多弾装ロケットの脅威下にさらされながら韓国では首都ソウルの移転が進まない、と述べた。

ソウルを南北に分け、屈折しながら流れるのが韓国最大の河川、漢江(ハンガン)である。ソウル付近の流水幅は1.2キロメートルから300メートルと変化に富み、水深は平均3メートルある。朝鮮戦争当時、ハンガンにかかっていたソウル付近の橋は、4車線の車道を持つ漢江大橋、同橋と平行に走る鉄道橋、ソウル東部の広壮橋の3本だった。無論、戦略的に最も重要なのは漢江大橋である。1950年6月28日、ここで悲劇が起きた。

開戦3日後、ソウルに突入した北朝鮮軍第105機甲旅団のT34戦車隊は同日未明、40万人とも言われる避難民と韓国敗残兵を蹂躙しながら漢江大橋に迫った。当時、韓国軍が持っていた米軍の2.5インチバズーカ砲と57ミリ対戦車砲では、厚い装甲に身を包み85ミリ砲を搭載するT34戦車には、全く歯が立たなかった。

ハンガンを渡河されたら水原(スウォン)〜大田(テジョン)間で北朝鮮軍の進撃を食い止める最大の抵抗線が失われる。そこで蔡参謀総長は午前2時、大橋の爆破を命ずる。当時、橋上には3列となった各種車両と荷車、多数の避難民がひしめき合いパニック状態で南を目指していた。爆破は、一瞬にして約800人の人命を奪うとともに未だ北に残っていた韓国軍主力の退路まで遮断してしまった。これが朝鮮戦争史上有名な「漢江大橋の過早爆破事件」である。

ちなみに北朝鮮軍は、点火に失敗して無傷で残った鉄道橋に土嚢を積み鉄板を渡して苦も無くハンガンを渡河してしまう。この事件では実際に爆破を指揮した工兵隊の責任者が処刑されている。

1980年代の全斗煥政権時代、外務省担当記者として難航した日韓経済協力交渉を取材するため度々ソウルを訪ねた。「漢江の悲劇」は、未だソウル市民の記憶に鮮明だった。だから南北間の軍事的緊張が高まるたび、「ハンガン北の地価は暴落し、南は暴騰する。誰もが避難を考えるからだ」とソウル特派員に聞かされた。そんな思いまでして何故、遷都を考えないのだろう、と思ったものだ。

遷都をためらう本音とは?

その答えらしきものにたどり着いたのは、日韓経済協力交渉について朝鮮日報主筆が書いた社説を読んだ時だった。当時の取材メモによるとこんな趣旨だ。「なぜ日本は、韓国との経済協力に熱心なのだろう。それは、日本国内で起きているひとつの現象を思い出させる。日本では今、<釜山港に帰れ>が大ヒット、さらには、<大田ブルース>も流行ってカラオケ人気の上位を占めている。これこそ、いつかまた釜山から、大田を経てソウルを取り戻したい、という日本人の潜在心理を象徴している」。うかうかしていると植民地化の屈辱が繰り返しかねない、という警鐘だった。

遷都は、否応なく日本に近づくことを意味する。どうやら韓国人には「北も怖いが日本に近づくのはもっと恐ろしい」という潜在心理が働いているようなのだ。一方で北の弾道ミサイル発射、核実験に韓国民が誰より冷静なのは、「同一民族を撃つはずがない」という同朋心理のためだ。歴史を振り返れば根拠のない願望なのだが。

最近、北朝鮮についても似たような話を聞いた。同国では、ワイロが横行する地下経済の拡大でヤミ成金が生まれている。彼らが目指すのは鴨緑江沿いの高級マンション。何かあったら同朋の暮らす中国北東部へ逃げ込めるというのが人気の理由とか。危機感と対応に南北差があるところが興味深い。