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警備業ヒューマン・インタビュー
――IT活用推進2021.11.21

宮宗唯さん(AIK 代表取締役)

実務の中から課題探る

<<AIK(エーアイケー)は警備業界でIT活用を推進するため、2017年に設立されました>>

データ分析によってリスクを検知するIT企業・エルテス(東京都千代田区、菅原貴弘社長)が親会社です。当社はエルテスセキュリティインテリジェンス(10月1日付でAIKに改称)として発足し、警備実務をはじめ警備業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するアプリケーション開発、警備会社向けコンサルティングを手掛けています。

<<警備業界向けサービスを提供するとはいえ、実際に警備実務も手掛けているのですか>>

警備業界向けサービスを提供するには、何が問題であり、どんな仕組みが必要なのか熟知する必要があります。そのためには実務に携わることが一番の近道であり、的確に把握できる最良の手段です。

警備業務は設立の翌年、親会社の顧客企業から役員の身辺警護について相談されたことがきっかけでした。サービスの開発にも役立つと考えて警備業に参入することを決め、指導教育責任者資格を持つ警察OBの方に入社してもらい、警備員を募集し教育も行いながら身辺警護業務をスタートしました。

発足当時はノウハウなど一切ありませんから、警察OBから初歩的なことを学びながら手探りで進めました。その後施設警備や交通誘導警備、雑踏警備へと裾野が広がり、警備員数も一時は30人程度まで増えました。

<<畑違いの分野から来て警備を始めましたが、戸惑いや違和感は感じませんでしたか>>

IT業界は個人それぞれの業務内容が明文化されていることが多いのですが、警備は仕事の多くを「経験、勘」でやっている印象を持ちました。それが違和感として感じた部分だったかもしれません。私も最初の現場では「ハードルが高く、何をしてよいのか分からない」のが実情だったと思います。

<<それでも警備の仕事を続けてきました>>

私は大手メーカーやコンサルタント会社を経てエルテスに再入社し現在に至りますが「自分が主役になって成功したい」という気持ちが常にありました。警備会社に業務を効率化し、利益をアップできる提案を行っていけば当社とともに私自身が成長できます。

警備業界のDX化を推進することで業界発展と自分自身の成功を両手にできると考え、チャレンジすることに決めました。最初は何も分からず勉強の毎日でしたが、実務に携わりながら警備業界を肌で学んでいきました。

警備はマンパワーに頼る部分があり、デジタル的な発想だけではどうしても現実とのギャップが生じます。それを埋めるには現場経験が必要で、サービス開発の強みにもなります。その強みを手に入れ、当社とともに自分も他者との差別化を図りたかったのです。

<<20年12月には首都圏の警備会社も子会社化しました>>

警備業を学び、警備業向けに開発したサービスの初期実証を行うところまではAIKで完結できます。しかし、効果を高精度で測定するには、もっと警備員の多い現場で実証を行う必要があります。

このため、警備員数約150人で列車見張り警備や交通誘導警備、雑踏警備などで半世紀近い歴史を持つAndSecurity(アンドセキュリティ・横浜市、10月1日付でアサヒ安全業務社から改称)に、当社グループに入ってもらうことにしました。

サービスの効果測定以外でも、同社の持つノウハウをサービス開発に生かしたり、アプリの開発原資を稼ぐなど多くのメリットが出ています。同社自身、「新しい風を入れ活路を見出したい」との思いがあったことから、当社グループ入りを決断してくれました。

<<今では複数のサービスメニューを展開しています>>

警備現場での経験を踏まえ、警備の依頼者と警備会社をつなぐサービスの提供を始めました。これは、依頼者と警備会社のマッチングシステムで、依頼者は頼みたい警備条件をウェブ上で入力し、警備会社は依頼内容を閲覧して受注希望案件の依頼者と折衝、契約に結び付ける仕組みです。今年2月に開始しましたが警備会社の登録数は順調に伸び、依頼側も病院や劇団などの興行団体から案件が寄せられています。

今後も警備業のDXを進めることで警備会社の経営効率化や若年層へのアピールにつなげ、ビジネスパートナーも募りながら警備業界に新風を吹き込みたいと思います。

警備業ヒューマン・インタビュー
――創立50周年2021.11.11

深谷彰宏さん(カナケイ 代表取締役社長)

防災警備に今後も磨き

<<創立50周年を迎えました。感慨はいかがですか>>

1972年12月20日、京浜工業地帯の石油化学コンビナート工場で産声を上げた「神奈川企業警備」がカナケイの前身です。64年の「東京オリンピック」、70年の「大阪万博」、この2つの大きなイベント警備を通じて警備業の社会的認知度が上がっていた当時、独立・起業した3人の警備員が創業者でした。

「地元・川崎」を大切にする思いを引き継いできたことで今があると思いますので、今後もそのスタンスは大事にします。

<<警備業に携わるようになったきっかけは>>

実家が農家で東京農大に進みましたので、社会人の出発点は「農協」です。作付けの仕方などを農家に教える「営農指導」の道に進むつもりでした。しかし、都市化が進み田畑や農家が減る中でなかなか道が開けませんでした。

仕事に対するモチベーションの維持が難しくなっていたその頃、警備会社の広告が目に留まり、学生時代の警備のアルバイトを思い出しました。「“生活安全産業”という言葉の響きや仕事の社会的意義」に魅力を感じ、農協で積んだ経験を民間企業で試したい――そんな思いも抱えながら思い切って警備の世界に飛び込んだのが37歳の時です。2人の息子は当時7歳と1歳。正直不安でしたが、やれるだけやってみようと覚悟しました。

会社は、神奈川県警備業協会加盟の和光産業です。仕事は営業で毎晩遅くまで積算業務やプレゼンの準備に明け暮れ、時には徹夜しサウナで寝泊まりすることも。始発で自宅に帰ってスーツを取り換え、そのまま会社に出社したこともたびたびです。

最終的に代表取締役を務めることになりましたが、諸般の事情で自ら会社を辞しました。そんな折、同社が加盟していた神奈川警協や川崎美化協会を通じてお世話になっていたカナケイ経営者の方から「うちにこないか」と誘われたのです。

お会いしたのは2代目社長、本吉正氏(神奈川警協副会長)で、私の顔を真っすぐ見つめて「カナケイ50年、100年の歴史に向かって力を貸してほしい」と口説かれ心が動きました。カナケイ(神奈川企業警備)を創業した3人のうちの一人が本吉さんです。

カナケイに移籍後、3代目社長の大宮清一氏(同警協副会長)からも薫陶を受け、私が副社長時代に大宮さんを支えた関係で4代目の指名を受けたのです。今年は代表就任5年目になりますが、偉大な二人の経営者に追い付けるよう「頑張りたい」の一心です。

<<今後どのように会社をけん引していく決意ですか>>

当社の主要な現場は石油化学コンビナートが集積する京浜工業地帯の中でも重要な「浮島地区」というエリアです。隊員たちは普段、工場の門での立哨業務や入出門受付などを行っていますが、いざ近隣で火災が発生した場合、大型免許や消防関係の資格を持つ当社の隊員が、地域の企業で共有する消防車を運転して消火に駆け付けます。危険物が多い石油化学コンビナートという場所柄、火の手が回ればエリア全体に甚大な影響が出かねないためで、ユーザーとの警備業務契約には防災業務が含まれています。

つまり、防災を兼ねた「防災警備」の技を磨き上げることが最大の目的であり使命でもあるので、いざというときに力を発揮できるためのリーダーシップが重要だと考えます。

消火の技を競う総務省のコンテストが毎年開かれていますが、初出場した2017年に7位に入賞し「消防庁長官賞」をいただきました。4年ぶりに今年のコンテストに出場しましたが、隊員の演技の出来も悪くなかったので、11月中旬の結果発表を楽しみにしています。

<<間もなく新しい半世紀に向けてのスタートです>>

大きな節目に合わせ、川崎市立川崎総合科学高等学校デザイン科の生徒さんに会社の「ロゴマーク」を作ってもらいましたので、12月に開催する記念式典の表彰式で披露します。また、川崎市の広告宣伝バスの車体でロゴマークの宣伝も行います。マークの横には「川崎市立川崎総合科学高校デザイン科生徒さん作品」と記し、地元への感謝をアピールします。

警備業ヒューマン・インタビュー
――女性の活躍促進2021.11.01

幡優子さん(テックサプライ 代表取締役)

「ママ友」警備隊で会社成長

<<専業主婦から、ビルメンテナンスと警備業を手掛ける「テックサプライ」を起業されて27年になります>>

ビルメン会社に勤める夫と職場で出会って結婚10年目、3人の子供に恵まれ家を新築したばかりの33歳の時でした。病気で入院していた夫が他界し、9歳と7歳の息子、4歳の娘を抱えて働く必要に迫られたのです。

少しでも知っている仕事をしたいとビルメン業を選びました。結婚前に、複数のビルを巡回し管理する業務を1年半ほど経験していました。住宅ローンを毎月払い子供3人を養うためには、普通に就職するのではなく“起業するしかない”と決断しました。

夫を見送った4か月後、当社を立ち上げ、多くの方々の力添えを得てきました。ビル清掃の手順や道具について現場のスタッフから教わり、夫が残した手帳を見て業務の進め方を勉強し、毎日全力疾走する思いでした。警備部門は創業3年後にスタートしました。

<<警備部門はどのように成長したのですか>>

ビルメンと警備は、緊密に連携して安全安心を守る二人三脚の関係にあると思います。私は警備員指導教育責任者、施設警備業務2級、交通誘導警備業務2級の資格を取得して現場に立ちましたが、当初は長期契約の安定した警備業務は受注できませんでした。

ある夜、残業が長引き、子供たちが寝静まった後に帰宅すると、小学1年生の娘からの手紙が置いてあり「おかあさん。おしごとがんばってね」と書いてあるのを見て、疲れも吹き飛んで気持ちが奮い立ち“何がなんでも頑張ろう”と、がむしゃらに働いたものです。

スーパーマーケットの駐車場警備を受注し警備員の確保に追われました。その時、助けてくれたのは子供を通じて知り合った母親仲間「ママ友」たちでした。「週末だけ警備の仕事をしてもらえない?」と声を掛けると、快くOKしてくれました。

複数のママ友の警備員によるソフトな対応は、スーパーを訪れるお客さまに好評でした。「女性ばかりの警備隊」は珍しく、地元で知られるようになったのです。その後、学生アルバイトも加わって女性警備員は12人を数え、交通誘導警備、イベント警備、施設警備の受注が増えていきました。

ママ友警備員の1人は現在、社長室長兼警備課長に就き、北海道警備業協会の特別講習講師も務めています。ビルメンで長く勤務した社員もいます。ママ友は皆、大切な存在です。

<<人材が活躍するためのポイントは何でしょう>>

当社の社員380人のうち、女性は230人で、ビルメン、警備、環境事業、家事代行などで活躍しています。警備は厳しい仕事ですが、力仕事ではないので女性も活躍できる職業なのです。屋外の警備現場では、トイレや休憩所の確保が重要になります。併せて、社外の人からのセクハラ・パワハラに対しては、相手側に申し入れをして警備員を守ることは、経営者の務めと考えています。

女性に限らず警備員全員が、職場での悩みごとを一人で抱え込むことのないよう、経営幹部が現場を巡察して警備員の意見や思いを聞いて、より働きやすい職場づくりと離職予防を図ってきました。

男性、女性、若者、高齢の方、社員それぞれの個性を把握した適材適所の配置が、活躍と定着促進につながると実感します。子育てや介護を抱えて働く社員が、気兼ねなく休暇を申請できる職場の雰囲気と柔軟な勤務シフトによるワークライフバランス(仕事と生活の調和)が大切になります。

私が子供を育てるため働いてきたように、社員も家族や生活のために働いて当社は成長してきました。私にとって社員は皆、家族なのです。

<<3人のお子さんを育て上げ、近年は社会貢献活動にも取り組まれています>>

息子2人は他業種で働いています。娘は当社に入社して7年目、社長室副室長として社業全般に携わっています。無我夢中で走り続けてきた私の背中を見て育った娘が入社したことをうれしく思います。

当社はSDGs(国連が掲げる持続可能な開発目標)の活動として、環境保護のためペットボトルや古着のリサイクルなどにも取り組んでいます。ビルを守り、人を守り、地球環境を守ることに力を注ぎ続けます。