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警備業ヒューマン・インタビュー
――新会長 鹿児島警協2024.08.21

松下健一さん(東洋警備 代表取締役)

勇気持って価格交渉を

<<鹿児島県警備業協会の第6代会長に就任されました>>

私は理事の中で最高齢でもあり、役員の世代交代を進め、若い役員に協会運営をスムーズにバトンタッチしていくことが使命だと思っています。

会長就任後、全国警備業協会総会や九州地区警備業協会連合会の会合などに出席しました。改めて協会会長という職責の重要性を認識しています。

今回初めて出席した東京で行われた全警協総会は、警察庁長官も出席されるなど警備業が威厳と伝統ある業界であることを実感しました。

一方で、地方の中小企業の社長である私のような者が出ていいのかと思いもしましたが、総会会議で警備業が抱える問題や課題、さらには解決へ向けた今後の取り組みなどを聞き、「これまで自分が取り組んできたことと方向性は間違っていなかった」との思いを新たにしています。

<<長く地元協会役員として活動しています>>

協会理事や副会長として県内警備業の発展に尽力してきました。また、協会の委員会を統廃合し、契約のあり方などを検討する委員会の委員長も務めました。特に取り組んできたのが「ダンピング防止」と「適正警備料金の確保」です。ダンピングについては、その弊害について会員に広くPRしてきたこともあり、以前に比べ大幅に減りました。

適正警備料金については、“下請け根性”や“請け負け”などの思いが抜けきらずに、いまだに発注者の言いなりになっている会員も見受けられます。しかし、時代は大きく変わりました。「勇気を持って価格交渉に臨んでほしい」と呼び掛けています。

<<県内警備業の現状・課題をどのように捉えていますか?>>

協会員87社中約90%が2号警備、交通誘導警備業務主体の会社です。各社ともに人手不足が深刻で人材確保が共通の課題です。

人手不足の原因は、何と言っても警備員の処遇、つまり賃金の問題でしょう。

しかし、このまま何も手を打たなければ、これまで以上にトラックドライバーなど他業種に人材を取られてしまいます。現在は“危機的状況”と言っても過言ではありません。

<<今後、会長として取り組みたいこと・やってみたいことはありますか?>>

官民の業務発注者を問わず、警備料金の適正化に努力し、警備員の福利厚生のレベルアップを目指します。

具体的には、早急に賃金を上げて警備業を“夢の持てる仕事”にすることです。せめて全産業平均くらいまで警備員の賃金を上げていくことが必要です。

<<自身で警備会社を創業されました>>

高校卒業後、東京にある東洋大学に進みました。学生時代は空手部に所属、空手三昧の毎日でした。全日本学生空手道選手権大会に3年生から出場、4年生の時には「大将」として試合(組み手)に臨み2連覇を果たしました。

空手の流派本部(糸東流)の推薦もあり、大学卒業後はメキシコで空手指導員となることが内定していましたが、母から泣きつかれて指導員の道を断念、故郷に戻りました。

40歳を過ぎたある日、地元の警備会社の経営者から警備業について話を聞く機会があり、警備業に関心・興味を持つようになりました。ちょうどその頃、大手警備会社に勤務していた大学空手部の後輩などから「警備会社をやりませんか」との誘いがあり、東洋警備を立ち上げました。

警備業に興味を持ったころに創業の誘い――。いま思うと「警備業をやりなさい」という“天命”だったのかもしれません。

ちなみに社名は、充実した青春時代を過ごした東洋大学から拝借しました。

<<警備の質向上にも果敢に挑戦しました>>

20年ほど前、当時は全国初だったと思いますが、市街地のような敷地の狭い店舗でも車両を出入り口に横付けでき、集金業務を安全に行えるよう“軽自動車”の「警送車両」を導入しました。2001年にはISO(国際標準化機構)の認証を、九州の警備会社では初めて機械・常駐・交通・貴重品運搬の4部門で取得しました。

<<これまで多くの苦労があったと思います>>

創業30周年を迎えます。お蔭さまで業務各部門の“人財”に恵まれたことに感謝しています。会社立ち上げを助言し、創業時から仕事を手伝ってくれた仲間6人のうち3人は、今も私を支えてくれます。

常に苦労しているのは、慢性的な警備員不足です。お客さまから要望に応えられないことに忸怩たる思いです。一方で、料金を上げていただけない会社との取り引きは止めるようにしています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――新会長 秋田警協2024.08.01

鈴木伸也さん(日本海警備保障 代表取締役)

子どもたちに〝種〟まこう

<<秋田県警備業協会の第6代会長に就任されました>>

2期4年にわたり務められた本光雄前会長は、コロナ禍の影響で思うような協会活動ができなかったことを悔やんでいました。前会長の分も含め協会活動に励みたいと思っています。

山積する業界の課題克服に向けて、人材確保や警備料金の適切な価格転嫁などについては全国警備業協会主導のもとに今やるべきこと、できることから取り組んでいきます。また、特別講習など教育事業のさらなる推進を図ります。加えて5年先、10年先の業界発展を視野に“子供たちへの種まき”も必要だと考えています。

<<種まきとは何でしょう>>

5年後や10年後に職業を選ぶ子供たちに向けたアピールです。「警備業界で働きたい」と思う人を継続的に増やしていくには、求職者にPRするだけでなく、未来の警備業を担う人たちへ“先行投資のPR”が大切だと思います。

例えば子供たちが「警備業は、こんなことができるのか。警備会社ってすごいなあ」と驚き感動するようなことや「あの時は警備員さんにお世話になったなあ」と良き思い出になる交流の機会など“警備業界の記憶の種”をまき、それが芽を出すようなプランを関係者と練っているところです。

<<秋田警協青年部会に所属して活動を重ねてきました>>

青年部会は、春と秋の全国交通安全週間に小学校の通学路で「登校指導」を行って12年を数えます。歴代の部会長と会員各社の警備員が一致協力して取り組み、学校関係者に好評です。

また、協会は秋田県警察と「子供・高齢者見守り協定」を2021年に締結し、警備員がお年寄りを保護して表彰を受けています。

こうした活動は、協会加盟企業を育ててくれる地元の皆さまへの恩返しであり、引き続き前向きに取り組みたいと考えます。

<<社業では「日本海警備保障」代表取締役を務めています。創業者でお父さまの鈴木清榮氏(故人)は秋田警協の第3代会長を9年にわたり務められました>>

父は、綜合警備保障の本社に長年勤務した後に、秋田市内で当社を起業しました。毎朝早く家を出て、帰りは夜遅く、当時小学生の私と遊ぶ時間もほとんどなく、子供心に“警備の仕事は大変なんだ”と思っていました。

人情深く面倒見が良く、家族と従業員を大切にしていました。私に対しては口数少なく“男は、背中で語るもんだ”と言わんばかりの昔気質の人でした。

私は学生時代にバンドを結成し、音楽の道で身を立てようと考えていました。警備会社を継ぐ気持ちはないことを両親に伝えると、父は一言、「自分の人生だからな」とだけ言いました。

後で母から「あなたが継がないならそんなに頑張らなくてもいいかなって、お父さんと話したよ」と聞いて、申し訳ない気持ちになりました。

<<社業を継いだきっかけは>>

19歳の時に、所用のため東京に出掛けるという父に誘われ、同行しました。

警備業界の関係者の方々と会って話をしている姿、立ち居振る舞いを見て、憧れを感じました。“仕事が人間をつくる”と言われますが「警備業界で汗を流してきたから今の姿があるのではないか」と考えて、自分も父のようになりたいと思い立ったのです。

会社を継ぎたいと話した時、喜んだ父の顔は今も目に浮かびます。「まず、他人の釜の飯を食ってこい」と言われ、いわゆる丁稚奉公の形で東京・湯島に本社を置く「全日本ガードシステム」に入社しました。機械警備やガードセンター、現金輸送、営業などを7年にわたって経験する中で、警備業務の奥深さを実感し、会社経営に携わりたい意欲が高まりました。

その後、中小企業大学校東京校に入学して経営ノウハウを学び当社に入社。営業からスタートして、29歳の時、代表に就任しました。それから半年ほど後に、父は67歳で病気のため他界しました。

経営に取り組んで20年余り、多くの出会いに恵まれて、今日があるのだと思っています。

<<経営で特に大切にされていることは何でしょう>>

定着を促進し離職者を出さないことは経営基盤の安定に結び付きます。日ごろから従業員と話す機会をつくりコミュニケーションをより深めるよう心掛けています。これは父の背中を見て学んだことの一つです。業務の改善を提案する場を設け、従業員が積極的に意見を出し合い、より働きやすい職場環境をめざしています。

<<オフの日の過ごし方は>>

小学5年生の息子が所属する「野球スポーツ少年団」の会長を務めていまして、夫婦で練習や試合にかかりきりです。

子供たちが安心して暮らすことのできる地域社会づくりに警備業が担う役割は大きいと改めて思います。