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警備業ヒューマン・インタビュー
――新会長 徳島警協2024.07.11

五島寛治さん(ファイブセキュリティシステム 代表取締役)

「価格転嫁」を粘り強く

<<定時総会で会長に就任しました。喫緊の課題は何でしょうか>>

警備料金の適正化と人材確保です。適正料金によって利益を確保しなければ、警備員の処遇改善が進まず、人手不足はさらに深刻化していくかもしれません。価格転嫁を推進していくことが急務だと考えています。

国土交通省が定めた公共工事設計労務単価を下回る金額を提示してくる建設元請け業者もいると聞きます。交通誘導警備員の単労務価が大幅に引き上げられたことを知りながら「これを丸々支払ったら、僕たちの給料はどこから出るん?」と意に介さないそうです。年度が改まると工事が減り交通誘導警備は閑散期。「仕事を確保するだけで精一杯」という警備会社の営業担当者を揺さぶってきます。ここで粘り強く交渉しなければ警備員の処遇は改善できません。

警協は県庁に、業界の政治連盟は保守系県議団に対し、業務発注が下期に集中することを是正し、繁閑差の解消などを求める要請活動を行っています。こうした取り組みも継続していきたい。

<<警備員不足についてはいかがお考えですか>>

協会としてハローワークと連携した合同説明会などに取り組んでいます。一方、会員各社は、無料配布される情報誌やインターネットに求人情報を有料で載せていますが、費用対効果を考えると「求人情報会社を稼がせるだけじゃないか」という声も聞かれます。

協会では人材確保に関する実態調査の実施を検討していこうと考えています。会員がどんな採用活動に取り組んでいるのかアンケートを通じ情報を集め対策につなげたいと考えています。

また、毎年3月の「とくしまマラソン」と8月の「阿波踊り」イベント警備では、ALSOK徳島が幹事会社となって協会加盟会社でJVを編成し、一丸となって会場の安全を守っています。県内外からの来場者に徳島の警備員をPRする絶好の機会でもあります。道案内などさまざまな対応をしながら安全確保に努めていきます。

<<警備業の世界に入ったきっかけは?>>

大学進学で上京しましたが、東京で就職が決まらず徳島に帰りました。遠縁が営む材木商でアルバイトから始め、39歳まで商売のノウハウを学びました。

しかし、会社が倒産したのを機に独立し、自ら材木商を始めることになりました。材木といっても建材ではなく、仏壇や床柱などニッチな用途の木材を扱っていました。

その頃、知人から「警備業の仕事を始める気があるなら」と警備員指導教育責任者を紹介されたことがきっかけで警備会社を設立し、その会社に私は入社しました。しかし、設立当初は仕事が少なく、私は事務所で指教責の方と将棋を指し、“盤上を警備”するような日々が続くこともありました。

ところが、県内の大きな警備会社から、大型商業施設の開店に伴う警備業務を発注していただいたことを契機に軌道に乗りました。徐々に規模を拡大し現在、グループ6社合わせて8拠点を展開しています。

ここまで支えてくれた妻には頭が上がりません。警備業以外に居酒屋、養鶏などさまざまなビジネスに挑戦しては挫折するという経験があります。引き返せるところで私がアクセルを踏み込む前に、妻が助手席からサイドブレーキを引き上げて暴走を止めてくれるのです。

28年前の創業当時、看板を掲げると近所の方に「あんた、警備会社を始めるんか。ここら辺は安心やなあ」と声を掛けられ、始めた仕事の社会的責任の重さを感じたものです。警備員を雇えず、私と妻で冬の堤防工事で通行止めの現場の警備を担当した日、近所のおばちゃんに「ご苦労さん」と私たちに缶コーヒーを差し入れていただいたことは忘れられません。

<<社員数は現在、100人を超えました>>

東日本大震災の後、仙台が現場の警備の仕事を受けたことがあります。数人の隊員を現地に送りましたが、数か月後、一回り大きくなって戻ってきました。

コロナ禍の中で開催した2021年夏の東京の会場警備を担当した隊員もさまざまな経験を積んで戻ってきました。大きな現場が隊員を育ててくれました。

ドローン操縦資格を持つ社員がいるので、地元鳴門市とは災害時におけるドローンを活用した支援協定を結んでいます。技術や経験を持つ隊員とともに私も会社も成長しています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――新会長 和歌山警協2024.07.01

前田達也さん(新生舎 代表取締役社長)

当たり前の風景を目指す

<<5月20日に開かれた和歌山県警備業協会の総会で会長に就任されました>>

警備業界が安心して業務をこなせるように、安定した仕事、安定した警備料金を確保したいと思います。家族を養うことができる給料を得ることはもちろん、健康で働ける環境をつくっていきたいです。警備員が朝から生き生きとして仕事を始め、心地よい疲労感とともに労働を終え、家族とともに夕食を取る――。そんな当たり前の風景を目指していきたいと思っています。

私は和歌山県御坊市内で警備会社を経営しています。今は本当に、警備員を募集しても応募がありません。5年ほど前だとハローワークに求人を出すと、5、6人は確実に来ていました。警備員という職業に魅力を感じてもらえるように取り組んでいかなければなりません。

具体的には給料を上げていくこと。ただ、他の職業の給料も上がっていきますから、それ以上のこと、それ以外のことをやらなければいけないと、協会の理事と話したことがあります。

社会保険の加入や年次有給休暇の取得促進は当たり前で、本人だけでなく家族の健康も考えていく必要があるのではと思います。警備員に応募しやすい環境をつくっていきたいですし、住むところを提供する必要もあるかもしれません。これから具体的に、いろいろとアイデアを出していきたいと思います。

協会に加盟しているメリットを感じられる、入りたいと思ってもらえるような取り組みもしていきたいです。

協会の日常業務については、事務局からメールで日報が送られてきます。日報を通じ、日々の動きを把握できるようになっています。

<<カメラマンを目指していた時期があるそうですね>>

大阪の写真専門学校で勉強しました。具体的にはスポーツカメラマンを目指していました。在学時に被写体を探して大阪の街を歩いていて、行き着いたのがボクシングジムです。初めてジムに入った時は怖かったです。雰囲気を持った男性たちが汗びっしょりになって、体を鍛え、殴り合いをしているのですから。写真を撮らせてもらって、次に行った時に撮った写真を見せると喜んでもらえて、うれしかったです。それから1年半ぐらい、毎日のようにジムに通い、選手と話したり撮影したりしました。試合の写真を撮る機会にも恵まれました。

けれど、カメラマンでは「食べていけない」と思い、その道は諦めることにしました。専門学校を卒業して、綜合警備保障和歌山支社に入社しました。携わったのは警送の仕事です。現金輸送車の後部座席に銀行員を乗せて一緒に集金先を回っていました。

<<綜合警備保障で2年働いた後、父親が創業した新生舎に入社しました>>

市役所や商業施設の駐車場で交通誘導警備をしたことがあります。12時間以上立っていたこともありました。交通誘導で一緒に苦労すると仲間意識ができて、「戦友」のような気持ちになります。

社業は施設警備が中心です。役場の仕事を多くやっていて、住民サービスも求められています。電話で行政への苦情を受けることもありますが、「そうですか」「それは大変ですね」と言うしかありません。当社の警備員が宿直中に近くの住民から「救急車の赤色灯を消せ」と電話で言われ、2時間応対したこともありました。

当社では70歳以上の警備員が多いです。知らないことが少なく、ベテランの安心感があります。第三、第四の人生として入社する方もいますが、それでいいのだと思っています。

<<今年1月に能登半島地震が発生、和歌山では南海トラフ巨大地震が心配です>>

和歌山県は北から南が非常に長い。住んでいる御坊市からは和歌山市内まで1時間、南の地域へ行くのには2、3時間かかります。南海トラフでは地震や津波で国道が寸断され、物資が運べなくなるかもしれません。災害支援を受け入れる側として、協会として決めておくべきことは、多くあるのではないかと考えています。

和歌山には陸上自衛隊の駐屯地があります。能登半島地震の被災地に行った自衛官と話をする機会があり、防災や減災を考える上で参考になりました。

<<続けている趣味、リフレッシュ法はありますか>>

プロになることは諦めてしまいましたが、カメラは趣味で楽しんでいます。写真を撮っているとリフレッシュできます。また定期的に、能楽協会喜多流の先生、紫洲流日本明吟会の先生の指導を受けています。