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警備業ヒューマン・インタビュー
――青年女性委員会2021.09.21

森田沙耶さん (三協警備保障 常務取締役)

「若い感性」と「女性目線」と

<<今春、福岡県警備業協会・青年女性特別委員会の委員長に就任されました>>

青年女性特別委員会は3年前に新設され、協会の青年部「警翔会」と女性部「あやめ会」の活動を推進しています。

私は警翔会設立時より理事を務め今年6月まで警翔会の部会長を3年にわたり務めました。警備業協会の青年部会長を女性が務めたのは、全国で初めてと伺っています。併行して、あやめ会でも設立時から理事を務めてきましたが、委員長就任に伴い理事を退任、現在は会員として両部会活動にも参加しています。

主な活動では昨年、福岡県の警備業イメージソング「Key of Safe to Peace Flowers」を制作しました。多くの若者が警備業に興味を持ってほしいとの思いを込め、警翔会メンバーが「安全の鍵」「安心の花」といった警備にちなむ言葉を100余りも考え、プロが歌詞にまとめたのです。現在、ユーチューブで配信中ですのでぜひご覧ください。また、あやめ会は昨年度に引き続き「女性活躍推進事業」に取り組んでいますので今後の活躍にご期待ください。

<<委員長が担う役割はどのようなものですか>>

委員長は、本来なら先頭を走って委員会をリードしなければならないと思いますが、青年女性特別委員会は若干異なり、基本は青年・女性部会の両部会長が先頭に立って活動します。その中で私は、両部会が企画する事業に対してのアドバイスを行うとともに、協会役員との橋渡しをすべきと考え、両部会がより活動しやすい環境づくりを心掛けています。

協会役員はじめ業界を築いてこられた諸先輩方の意見を伺いながら、他県の青年部・女性部が着手していない新たな取り組みを推進していきたいと考えています。

警備業界が抱える課題は山積していますが、特に若い世代が思っている警備業のイメージを改善していくことが重要と感じます。青年部会と女性部会の特性を生かし、若き感性や女性の目線を取り入れることにより、多様なアイデアが生まれてくるものです。SNSを広報活動に活用するなどのアイデアを出し合い取捨選択して練り上げ、活動にどう落とし込むかが鍵になると思います。

<<青年部・女性部に加えて、協会の特別講習講師も長年務めていました。旺盛な活動の原点は何でしょう>>

少し話がずれるかもしれませんが「原点」でいうと、小・中・高と剣道を続けた私は、体育教師をめざし大阪体育大学に進学しましたが、腰を痛めたことで、やむなく教員の道を断念しました。大きな目標を見失った時、父の森田慶次(会長)と母の森田節子(社長)が起業した「三協警備保障」に19歳で入社しましたが、幼少の頃から両親の背中を見て「警備会社は大変だな」と思っていたため、家業を継ぐことは一切考えることもなく、社会の厳しさも知らない状態で業界に飛び込んだのです。

入社1か月後に交通誘導警備2級の特別講習を受講、その2か月ほど後に、福岡警協開催の交通誘導警備の技能競技大会へ出場するため、社内で厳しい訓練を重ねた結果、優勝することができました。

特別講習で考査員の方との出会いがご縁となり、その年の12月に全国警備業協会・技術研究専門部会(技研)部員として委嘱をいただいたのです。わずかな期間で沢山の教育現場に携わり、技研の一員として全国レベルの教育事業を経験、全国の先輩講師の方々に接しました。

福岡警協に協会職員として出向し、福岡県警察本部が開設した「警備員教育センター」で県警の方々とともに講習に取り組み、まさに必死になって多くの事柄を学んだ日々でした。警備業の奥深さを知るにつれ、「本物の警備業を!!」という思いが活動の原点であると感じています。

<<ご両親とご主人の森田亮取締役部長とともに社業に取り組まれています>>

当社は、親族経営する企業として“社員もまた家族”というアットホームな雰囲気が社風です。より働きやすい職場づくりを進めて警備員の定着促進を図っています。職場環境を改善し、従業員がより安定した生活を確保できるよう策も講じてきました。新型コロナウイルスとの長期戦が続いていますが、私たちの心が折れることのないよう、日々さまざまなことを従業員と話し合っています。

これからも時代の変化に合わせた警備業を目指して、日々精進しながら取り組みを一層進めていきます。

警備業ヒューマン・インタビュー
――コロナ禍の経営2021.09.11

絵野裕美さん(東洋相互警備保障 代表取締役)

ピンチ 改革に取り組む

<<東京ビッグサイトなど展示場でのイベント警備に特化した会社として、昨年来のコロナ禍は大変な経験でした>>

昨春、緊急事態宣言によりビッグサイトが全館休館になると知った時は、非常に驚きました。千葉県内、神奈川県内の展示場も含めて、当社が予定していたイベント警備業務は軒並みキャンセルとなりました。

昨年3月から8月までの半年間にわたり、当社は売り上げゼロが続くという極めて厳しい状況に置かれたのです。資金繰りには内部留保の貯金を取り崩し、助成金も活用し、社員の給与を含む固定費は払い続けました。

まさに創業以来の試練でしたが、冷静に考えた末“たくさんの時間ができる”と思い、BPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング=企業変革)に取り組むことにしました。

<<BPRでは、どのようなことを行いましたか>>

ピンチはチャンスと捉えてBPRを進めました。経営コンサルティングの経験が豊富な社員を新たに迎えて、社内の業務を足元から見直したのです。総務や経理、事務作業の効率化を図り、紙資料を電子化するペーパーレスなど細かな改善の積み重ねです。

このほかにも社内の知恵を出し合って業務マニュアルの改善などを行い「もし明日イベントが開催されることになっても的確に対応できる」という意識を皆で共有するようにしました。お客さまとの連絡、近況報告もこまめに重ねるよう社員に呼び掛けたのです。

展示会の警備は、施設内での立哨と巡回、展示物の保全、関係車両の交通誘導、来場者の安全確保など多岐にわたります。来場者への気遣い、車椅子の方や目の不自由な方を適切に案内するなどの接遇が求められ、スキルとともに意識を高く持つことが欠かせないことを改めて社員に訴えました。

イベント再開の見通しが立たない時であっても警備員として仕事への自負、意欲を持ち続けることが大切と思ったのです。対面とオンラインを活用してコミュニケーションを深めるよう心掛けました。

社員からは「社長も含め、そろってミーティングをすることができて対話する大切さを改めて確かめた。会社から大事にされていると実感して希望を持つことができた」との言葉を聞いた時はうれしく思いました。コロナ禍の中で社員を励ますことは自分の活力にもつながったと感じています。

<<その後、新型コロナ予防対策を取り入れたイベントが各地で行われるようになりました。1年延期された『東京2020』を見据え、多くの警備会社が取り組みを進めていきました>>

昨年の夏が過ぎる頃から複数の会場で展示会などが再開され、当社は再び警備を担いました。警備員の健康管理を再徹底するチェック体制を整え、スタンド型の非接触体温計やPCR検査キットなども用意し、感染者を出すことなく業務を遂行しています。おかげさまで売り上げも回復基調にあります。

<<創業者はお父さまです>>

大手警備会社に勤務した経験を持つ父・手島茂彦が46年前に創業し、東京・晴海にあった東京国際見本市会場の警備業務からスタートしました。展示会の警備に特化するというのは、新しい着眼でした。父が他界した後は、母・手島和子が経営を引き継ぎました。

私は、子育てが一段落した後は美容と健康に関する事業に取り組みたいと考えていました。しかし、高齢の母から「会社を継いでほしい」という強い思いを聞いて、著名な実業家の名言「天与の尊い道がある」を思い出しました。父が築いた会社を継ぎしっかりと社員を守っていくことは自分の使命、進む道だと思ったのです。

<<依然としてコロナ禍は終息が見通せない状況が続きます>>

自社の目標に向かって取り組みを重ねる中で、活路が開かれると信じています。日本に警備業が誕生して半世紀以上が過ぎましたが、将来の警備業界に「創業100年企業」が多く存在してほしいと思います。自社さえ良ければ良いという時代ではなく、お互いの会社が良くなってこそ長期の発展や社員皆の幸福につながると考えます。

技術革新が進み多くの仕事が、人からAIに代わる時代になりました。警備業務は、新たな技術を取り入れながらも人間の感性や心遣いは一層重要になると確信しています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――災害支援2021.09.01

松尾浩三さん(近畿警備保障 代表取締役社長)

正しく恐れ、正しく備える

全国警備業協会(中山泰男会長)が定時総会で報告した基本問題諮問委員会アクションプラン(案)5テーマの一つ「災害時における警備業の役割の明確化」の部会長を務める近畿警備保障・松尾浩三社長に、実行に向けた取り組みを聞いた。

<<災害列島といわれる日本で、警備業に向けた災害支援の期待が大きくなっています>>

警備業は、社会に必要不可欠な「エッセンシャルワーカー」として期待に応えなければなりません。首都直下型地震や南海トラフ大地震など震災が危惧されていますが、地球温暖化の影響を受けた台風の巨大化や線状降水帯による集中豪雨がもたらす大規模災害も頻発しています。自然災害は予測できないものもあり「正しく恐れて、正しく備えること」が大切です。

災害時の警備業の役割は、被災地における「被害の拡大防止」と「事件・事故の未然防止」です。災害が発生してまもない時期、復旧期、復興期と、フェーズに応じて求められる役割が変わることも、これまでの経験から分かってきています。具体的には「災害時における緊急交通路の確保のための交通誘導警備業務」「避難所等における犯罪防止のための警戒活動を行う施設警備業務」「被災地及び避難所等における交通誘導警備業務」などが挙げられます。

<<アクションプラン案を踏まえ、今後どのように取り組みを進めていきますか>>

当作業部会では今後、「安全ガイドラインの策定」「全警協防災委員会へ災害支援協定案書・覚書の見本を提案」「BCP(事業継続計画)の周知」などを、予定しています。

「安全ガイドライン」は激甚災害に限定したものを作成中で、内容について他の作業部会と協議する必要があります。大原則は、スマートフォン等で“警戒レベル4”の災害・避難情報メールを受けたら直ちに避難することです。

業務に従事する警備員も当然、レベル4で避難しなければなりません。特に河川の氾濫や崖崩れなどの恐れがある現場にいる警備員は命の危険にさらされており、判断の遅れが深刻な事態につながります。警備本部などの指示を待つことなく避難するよう、事前に統括リーダーと警備員に周知徹底しておくことが求められます。

<<災害支援協定は現在、どのような改善点があると思いますか>>

1997年から2001年の間に各都道府県協会が締結した災害支援協定の締結先は、警察本部が22警協、自治体は25警協と分かれました。広域支援協定は関東、中部、近畿、中国、四国、九州の6地区連合会で締結しています。災害支援協定は、国の「災害対策基本法」に則った内容に見直す必要があります。

1995年に発生した「阪神淡路大震災」、2011年の「東日本大震災」はもとより、これまで実施した警備業の支援活動はすべてボランティアでした。各警協で締結した災害支援協定書には有償出動の契約条項が盛り込まれていましたが、現実的に交渉には至っていません。「平成30年7月豪雨」で岡山警協が初めて有償出動し、その前例を受けて長野・宮城両警協が続きました。

費用の負担について具体的に明記した「覚書」等を早急に取り交わし、有償出動できる準備を整えておかなければなりません。交渉時には当作業部会員などが現場に出向き、適正料金の根拠の説明などサポートも必要かと思います。

災害支援活動には危険が伴い、警備員が活動中に被災した場合の迅速な救助活動や警戒活動中に窃盗犯などと対峙する可能性が高いことから、常に2人体制で行動する必要があります。出動した警備員の負傷・死亡についての補償、警備員が損害を与えた場合の賠償などについても記しておく必要があるでしょう。

<<協会事務局や警備会社は、被災して機能を失うことも想定されます>>

警備業協会や警備会社は、BCPを備えておかなければ警備業の社会的役割に応えることができません。緊急事態に遭ったときに事業資産の損害を最小限にとどめ、中核となる事業の継続や早期復旧を図るため、平常時のうちに方法や手段を取り決めておくことが大事です。

多くの感染者が自宅療養を余儀なくされている「新型コロナ」も“複合災害”と捉え、BCPに組み込む必要があります。各協会で見本となる実施要領を策定して加盟社に配信したり、指導教育責任者講習会や経営者研修会で周知する取り組みも必要です。

災害支援要員の組織作りも、机上の空論ではなく実際に出動できるように整備することが求められます。講師や青年部会などが中心となり、加盟社が連携する体制作りが効果的ではないでしょうか。

全警協の「防災基本計画書」には災害発生時、全警協会長を長とする「全警協災害対策本部」を設置し、協会の機能が失われ設置できない場合は、神奈川県相模原市にある「研修センターふじの」に対策本部を設置すると定めています。都心から離れた場所にあり、宿泊施設や研修室、非常用電源設備、食料備蓄、Wi―Fi機能などを備え、防災拠点として活用し長期にわたる災害対策ができます。地方の協会もこうしたバックアップ体制を平常時に考えておく必要があります。

災害はいつどこで起きるか分からず、バックアップ体制などの備えは、全国各地の協会においてもその必要性が増しています。また単県で難しい場合は、近隣県と連携し地域における共助をより具体化していくことが重要と考えています。