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警備業ヒューマン・インタビュー
――警備服メーカー2023.04.21

武田昌也さん(セフティ繊維 常務取締役)

「空調ウエア」「校倉造り構造」

<<セフティ繊維は警備服や警備用品メーカーとして業界に知られています>>

当社の母体は1916(大正5)年に東京都渋谷区恵比寿に創業し、警察官の警棒・手錠など装備品の製造・納入を主業務とする「武田商店」です。

警備員が着用する制服や装備品も扱うことになり、武田商店の関連会社として85年、千代田区神田に「セフティ繊維」を創業しました。当時の体制は初代社長で私の祖父にあたる武田昭二と営業担当者2人、事務員の4人のみでした。現在は2代目として父の武田昌雄が務めています。

当社は武田商店の時代から100年以上にわたって「守りを支える」をコンセプトに、警備服や警備用品の開発に創意工夫を重ねてきました。1996年の名古屋を皮切りに福岡に支社、盛岡に営業所を設置。コロナ禍の期間に大阪と沖縄に営業所を開設するなど、おかげさまで拠点を着実に広げています。2008年には埼玉県川口市に倉庫を建設、21年には2か所にあった倉庫を同県八潮市に統合し流通の効率性が向上しました。

<<武田常務は学校を卒業してすぐセフティ繊維に入社したのでしょうか>>

私は両親の方針で、小学校から高校まで東京都世田谷区内にあるインターナショナル・スクールに通いました。大学は私から希望して渡米し、マサチューセッツ州のアマーストにあるマサチューセッツ大学で経済学を学びました。キャンパスは自然が多い閑静な場所にあって勉強するのに申し分ない環境で、寮生活をおくりながら有意義な4年間を過ごしました。

卒業後、2017年に帰国して当社に入社しました。武田商店にも出向しながら、商品知識をはじめ製造、管理、販売、出荷、経理など各工程の業務内容について多くのことを学んでいるところです。

<<熱中症対策に効果を発揮する高機能の空調ウエアが人気だそうですね>>

自社開発の「AIRベストPro(エアベストプロ)」というベスト型の警備服が好評です。ファンの位置を従来より上げて背中に配置したことで、襟裳と脇下に効率よく風を送ることができます。柔らかい素材で筒状の「ネックスペーサー」2本を背中に内蔵しており、取り込んだ外気が襟元へ効率よく抜ける仕組みになっています。前後に反射テープを付けて夜間の安全性も確保しました。

<<社名に「繊維」という言葉があり、警備服の素材には特に力を入れているように感じます>>

昨年発売した春夏用警備服「グランシリーズ」は、熱がこもらない「校倉あぜくら造り構造」の生地を使用しています。校倉造りといえば、奈良・平安時代に宝物倉庫として活用された東大寺「正倉院」が有名で、通気性がよく安定した湿度を保つ建築様式です。グランシリーズの生地は太さの違う経糸たていと緯糸よこいとを規則的に配置し、通気性とサラッとした着心地を生み出します。ボタンダウンシャツとスラックスに採用しています。

夏におすすめのLED夜光ベストも販売開始しました。従来品のメッシュ部分をなくし、より快適な着心地になりました。反射素材は視認性が高く、自然環境の変化に強い素材を使用しています。

<<秋冬用警備服にも、独自の製法を採用しているとか>>

色あせしにくく深い色が持続する「グランブラックシリーズ」が警備会社の皆さまから好評です。原料段階で黒色顔料を投入し繊維の奥まで黒が練り込まれ着色されることで、洗濯や日光、摩耗による色の劣化が少ないのです。

<<立派な体格ですが、何かスポーツをしていましたか>>

小学校から高校まで水泳に打ち込みました。今も週1回のペースでジムに通い、プールで泳いで体力維持に努めています。

スポーツは昔から好きで「スポーツボランティア・リーダー」の資格をとり、休日にはボランティア活動に積極的に参加しています。東京2020では会場間をスタッフなどが移動する際に使用するオフィシャル車両の運転手をしました。WBC(ワールドベースボールクラシック)では東京ドーム内の案内係、東京マラソンは給水場で選手の支援スタッフをやりました。こうした活動は競技イベントの深い部分で経験を積むことができ、学ぶことが多いです。

日本赤十字社の災害支援ボランティアにも登録しており、有事が発生した際には参加したいと思っています。NPO法人の活動として区から委託され、経済的な事情で塾に通えない小中学生に勉強を教えるボランティア活動も行っています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――主任講師2023.04.11

藤野祐司さん(西部綜合警備 専務取締役)

料金アップ広がってほしい

<<京都府警備業協会・特別講習講師部会の主任講師を務めて9年目となります>>

京都の特別講習講師は、私を含め25人です。会員企業の経営者や幹部社員、協会職員が日頃の業務と併行して講師活動に取り組んでいます。

講師陣は、2日間の事前講習と2日間の特別講習という限られた時間の中で、受講生の知識と技能のレベルを把握して教育を行うのです。

事前講習では「あなたが資格取得をめざしスキルを高めることは、警備業の地位を高めることにつながるのです」と伝えます。柔らかく接する講師や厳しい印象の講師、それぞれが役割分担して、受講生のやる気を一層引き出そうと努めています。

<<主任講師の役割はどのようなことですか>>

全国の主任講師、経験豊かな講師の方々は、それぞれの方法論をもとにリーダーシップを発揮して取り組まれています。私の場合は、講師陣をまとめ、皆がのびのびと活躍できる環境づくりを心掛けています。

個性の強い講師、控えめな講師、ベテラン、中堅、若手が交流を深めて率直に意見を交わすことは重要です。教える技術を高め合い、一丸となって合格率アップに向けて取り組むうえで、私は講師陣の潤滑油に徹しようと思っています。

教える立場として勉強は欠かせません。特別講習講師の研修会では「模擬講義」を行って、より効果的な講義の方法について活発に討論します。他の講師の意見を聞いて、自分の講義スタイルに磨きをかけるのです。

近畿地区2府4県警協の講師陣が集まるブロック研修会では、切磋琢磨するとともに、講師仲間と業界のあるべき姿を熱く語り合っています。

<<講師活動の原点にあるものは何でしょう>>

スキルアップを通じて警備員の地位向上を図りたいという思いです。

私は20代のはじめに警備業界に入り、交通誘導警備や雑踏警備、管制業務、営業など一通り経験してきました。警備員は、日常生活に密着し安全を守る不可欠な存在でありながら、世間から十分に評価されず、他の業種に比べて賃金が低い状況を変えていきたいと強く思ったのです。

30歳を過ぎて特別講習講師の委嘱を受け、教育活動に18年力を注いできました。より多くの警備員が警備業務検定の資格を取得して、質の高い業務を実践し顧客や社会の評価を引き上げることで、処遇改善の原資となる警備料金アップの動きが一層広がってほしいと願っています。

警備業界がさらに発展するために、若手講師を確保して育成を図ることは重要な課題です。

京都警協の特別講習講師25人のうち経験年数5年以内の若手は7人ほどです。なかには特別講習を受講して“自分も講師になりたい”と憧れを持ち、講習補助員を経て講師になった若手もおり非常に嬉しく思います。

若い講師は、例えば法律の知識などを説明する際、正確に伝えようとして難しい説明になりがちです。そこは伝える内容をいったん噛み砕いて、時事問題や豆知識、余談なども織り込み講義にメリハリを付けることで、受講生に伝わりやすくなるものです。

諸先輩の講義を多く聴講して研究を重ね、先輩方のアドバイスを参考にしながら自分に合った講義のスタイルを練り上げ、成長を期待しています。

<<京都警協青年部会(発足時は青年育成委員会)の初代部会長を務めました>>

まだ全国に青年部会が少なかった2015年4月にスタートし、メンバーを集めることから始めました。皆で話し合って任期などを決め、取り組み内容を模索し、少しずつ形になっていく過程は充実感がありました。

講師活動と青年部活動には、共通点があると実感します。同業者と力を合わせ、会社の垣根を超えて交流し、業界発展という同じ目標をめざすことです。

<<警備会社40社で構成する「関西連合警備業協同組合」の代表理事も務めています>>

警備員不足が慢性化する中で、組合員は連携してマラソン大会や花火大会などで安全安心を守っています。

より質の高い業務サービスを行うため、警備技能を高める研修のほか、先日は女性アナウンサーを講師に招いて警備員の接遇スキル、コミュニケーション力を磨く研修を行って好評でした。

警備員一人ひとりの技能を磨く積み重ねが、業界発展の大きな力になると信じて取り組みを続けます。

警備業ヒューマン・インタビュー
――全警協表彰警備員⑩2023.04.01

濱川孝平さん(セコム 鹿児島統轄支社)

火事だ!高齢夫婦を救出

セコムの濱川孝平さんは2021年11月27日午後10時30分頃、自宅近隣にある80歳代の高齢夫婦の住居で火災が発生していることに気付いた。直ちに父親と駆け付けて高齢夫婦を救出し、通報を受け到着した消防隊に引き継いだ。人命救助の功労で、21年12月に鹿児島県鹿児島中央消防所長から感謝状、22年5月には鹿児島市自衛防火防災協会から表彰状が授与された。

<<すぐ近くの家が燃えていることがわかったときは、驚いたでしょう>>

私は鹿児島市桜島町に住んでいます。7歳の息子を寝かせているときに、外からパチパチと音がしたので、火山の細かい噴石が屋根に当たる音かと思いました。しかしその後、物が燃える異臭に気付いたのです。

父の「火事だ!」の叫び声で私は飛び起き、窓から隣家が燃えていることを確認しました。両親は我が家と同じ敷地内に住んでおり、火災があった家屋とはわずか10メートルほどの距離なので驚いたことと思います。

私は妻に119番通報するよう伝え、父と現場に向かいました。火の手は既に屋根まで上がっていました。家主であるご夫妻の姿が周囲になかったことから「まだ家に居る」と判断し、意を決して父と中に入りました。

すぐご主人が居間でコタツに入っている様子を確認できましたが、状況を理解できないように呆然としていました。奥さまは足腰の具合が良くないためか奥の部屋で横になっていました。私は父と協力して介助しながらお二人を誘導し、避難させました。

<<火災への気付きが遅かったら大変な事態になるところでした>>

ご主人は錯乱しているのか家の中に戻ろうとしたので、父がそれを何度か制止しました。その間、母は近隣の家をまわり、火災の発生を伝えてまわりました。時刻は午後11時ごろでしたから、就寝していた方も多かったようです。

火災が発生した家屋の外壁にはプロパンのガスボンベがありました。私は妻に「奥さまと子供たちを車に乗せ、離れた場所で安全を確保してほしい」と伝えました。

間もなく消防車のサイレンが聞こえ広い道まで到着したので、消防隊を現場に誘導しました。家は全焼しましたが、ご夫婦には身体的な異常がなかったため、救急搬送されることはありませんでした。

<<業務の中でこれまで、火災発生に対応した経験はあったのでしょうか>>

私の業務はビートエンジニアで、機械警備の契約先からの異常信号を受信した際に、コントロールセンターの指示でいち早く現地に急行し安全を確保することが主な業務です。3年ほど前にお客さまの自宅で鍋の空焚きを煙センサーが検知し、駆け付けたことがあります。今回は業務中の事案ではありませんが、火災に対応した初めての経験となりました。

<<火災対応を経験して感じたことはありますか>>

消防隊は、通報してからわずか4分で到着しました。しかし火災現場で待つ私の中ではとても長い時間に感じたのです。そのとき「警備員が駆け付けるまでの間、お客さまも同じことを感じているはずだ」と気が付きました。職場の後輩や同僚には、異常信号を受けてから迅速に到着することの大切さを伝えています。

<<濱川さんが警備の仕事に就くきっかけは何だったのでしょう>>

私は以前、スポーツ用品店に勤めていました。小学校、中学校、高校とサッカー部に在籍し、ポジションはフォワードでした。仕事でもサッカー用品の販売を担当していましたが、その会社が倒産してしまったのです。

家族のために「早く新しい職に就きたい」と思っていたときに知人からの勧めがあり、セコムの入社試験を受けました。今は「安全のプロ」として自分を高めたい気持ちが芽生え、知識や技能の習得度合を計る社内資格4段階の最高位「グレード4」を取得することができました。

<<資格取得が今回の冷静な判断と行動につながったのでは?>>

今回の事案は私一人の功績ではなく、父と母、妻がそれぞれやるべきことを判断し行動した結果です。チームで行動することの大切さを学びました。

救助したご夫妻は、私が小さい頃からお世話になっている方々で、子供たちにもカブトムシやクワガタを頂くなど親切にしてもらっています。その人たちを助けることができて、とても嬉しかったです。お二人は同じ場所に新しい家を建て直して、今もお元気に暮らしています。