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警備業ヒューマン・インタビュー
――パラリンピック出場2021.10.21

飯倉喜博さん(日本通運関西警送支店大阪ビジネスセンター事業所)

スカウトされ日本代表に

日本通運関西警送支店(大阪市東住吉区、山岸直樹支店長)に勤務する飯倉喜博さんは、東京2020パラリンピック競技大会の「シッティングバレーボール」に日本代表選手として出場した。この競技は臀部(お尻)を床につけて行う6人制バレーで、コート面積は通常の約半分、ネットは高さ1メートル15センチの規定で行われる。

<<パラリンピック出場、おつかれさまでした>>

日本は、ロシア、エジプト、ボスニア・ヘルツェゴビナ、中国の4か国と戦いました。残念ながら勝利をあげることはできませんでしたが、自国開催でストレスなく試合を楽しむことができました。

私のポジションはアタッカーで、点を取ることはもちろんですが雰囲気を盛り上げたり緊張をほぐす役割も担っていると感じていました。

<<競技を始めたきっかけは?>>

私はバレーの前にはサッカーをやっていました。足や腕に切断障害のある人が行う7人制の「アンプティサッカー」で、身体を杖で支えながらプレーします。私が通う義肢装具士の所に大会のチラシがあり、「自分と同じ境遇の人がどんな感じでサッカーをしているのだろう」と関心を持ち、見学に行ったのがきっかけです。

入団したサッカーチームにシッティングバレーの日本代表選手がいました。勧められて体験してみたところ、面白く自分に合っていると感じました。早速、障害者スポーツセンターを拠点とするクラブマンチーム「大阪アタッカーズ」に所属させてもらいました。試合に出場していくなかで東京2020の日本代表選手にスカウトされ、目標に向かって頑張ることを決めました。

<<仕事と練習をどのように両立しましたか>>

私は以前、鉄骨を組み立てる「とび職」をしていましたが、鉄骨にはさまれる事故に遭い左足を失ったのです。事故後も義足で仕事を続けましたが、腰や膝に無理な力がかかって思うように働けず転職を図り日本通運に入社しました。

私の仕事は、当社警備員が貴重品運搬警備業務で銀行や店舗からお預かりした紙幣・硬貨の計算、選別・精査業務です。東京2020出場前の約1年間は、仕事は午後5時30分の定時まで行い、夜7時にチームで集まって10時過ぎまで練習しました。深夜0時近くに帰宅して翌朝また勤務に就くハードな生活が続きました。

職場では同僚たちからエールを受け、気持ちよく送り出してもらいました。大会後も「開会式に映ってたで」「試合、点とってたね」など温かく声を掛けられ、職場に復帰しました。2018年にオランダ、19年にインドネシアで世界選手権に出場しましたが、いずれも日本で放映されなかったため、試合をしている姿を皆に見てもらえたことはうれしかったです。

<<家族からは、どのような声がありましたか>>

私が練習と試合を続けてきたことを皆よく知っていて、気心が知れていることもあり「ようがんばったな」ぐらいのものでした。

娘は大会中、SNSに映像をあげてくれて多くの人からコメントが寄せられ、励みになりました。私は子供が4人いますが、娘2人は学生時代にバレーボールをやっていました。シッティングバレーの体験イベントを手伝ってくれたり、障害者と健常者が混合でチームを組める大会に一緒に出場したり、練習もサポートしてもらい、感謝しています。

<<東京2020出場選手として、警備JVの警備員にはどのような印象を受けましたか>>

あいさつをはじめ業務を明るくキビキビと動き、しかも丁寧に行っている印象でした。細かいことですが、選手がバスに乗り込み出発するときに笑顔で手を振るなど、海外の選手やメディアにもよい印象を与えたと思います。

<<パラリンピックでは車椅子の警備員が業務を行うなど警備業でも多様性が求められています>>

東京2020をきっかけに障害者も活躍できる社会になってほしいと思っています。国際試合で海外に行くと障害者と健常者が共生する光景が当たり前のようにあり、日本もどんどん変わってほしい。私は試合を通して障害者も健常者も関係なく頑張れば輝けることを訴えていきたいし、やり方次第で障害者が社会で活躍できる場はもっと広がると信じています。

<<今後の目標は何でしょう>>

3年後の「パリ2024」出場を目指していますが、自国開催ではないので予選からの厳しい戦いになります。それまで数多くの国際試合に参加するなど、さらに経験を積むことが重要と考えています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――青年経営者2021.10.11

山本芳樹さん(ジャパンセキュリティプロモーション代表取締役)

グループの補完機能を

<<ジャパンセキュリティプロモーションは昨年4月、KSP(本社・横浜市、田邊中社長)の100%子会社となりました>>

当社は、以前から売り上げが伸び悩んでいることが課題でしたが営業戦略のノウハウに乏しく警備業に精通した人材も不在で、外部との連携を含め新たな手法で局面を打開する必要がありました。このため前経営陣が同業他社に経営を委ねることを決め、KSPグループが立て直しに乗り出しました。これにより、私が代表取締役として派遣され経営のかじ取りを担うことになりました。

私はKSP在職時に「(要求に対し)無理でもノーと言わず目標に近い結果を目指す」「決断、行動、報告を即実行する」ことを心掛けていました。自身の長所は忍耐力と実行力で、我慢しながらやり抜くところは誰にも負けない自信があります。

警備業界に入って22年目となります。学生時代に国際警備(現KSP)で交通誘導警備員としてアルバイトをしていました。卒業を控え長く続けられる仕事に就きたいと考えていた矢先、当時の上司から「正社員にならないか」と誘われ今日に至ります。これまで現場の警備員を6年、管理部門で7年、営業を1年半、支社の管理を5年務めました。

入社後は交通誘導警備だけでなく施設警備やイベント警備などさまざまな現場を経験しました。管理部門に異動してからは多くの業務に携わり、「自分ならこうしたい」という気持ちも芽生えてきました。

<<異なる企業文化の融合をどのように進めましたか>>

当社は今年創業35年を迎えましたが、これまでの歴史の中で法令順守や経費削減の徹底などに力を入れてきました。こうした点は当社の財産であり今後も継続すべきですから、私も尊重していくことを社員に伝えました。

一方、課題をクリアするため経営者として譲れない部分もあります。それを明確化し社員の意見も聞くよう努めました。社員とコミュニケーションを何度も重ねる中で社員一人ひとりの考えを知ることができ、社員も私の考えや姿勢を理解してくれるようになってきたと思います。

どんな企業であれ成長を目指す必要があります。私自身「(経営者の立場になったら)こうしたい」と考えていたこともあり、社員の処遇改善などに着手し「新たな方針策定」「営業体制の構築」「社内ルール整備」なども進めていきました。最初の1年は社員に会社の現状を理解してもらう一方、課題克服に必要なことを明確化することから始めました。2年目となる今年度からは、飛躍のための具体策を順次実行しています。

<<売り上げアップが最大の課題ですね>>

規模の拡大を図るためには、警備案件の数をこなす必要があります。その中にはグループで対応しきれなかったものも含まれます。田邊社長からは「グループ各社との連携を図り手が付いていない部分を埋めることで、グループ全体の補完機能を果たす働き」をしてほしいと言われています。それにより、当社もグループ内の存在感が高まり社員のモチベーションアップが見込めます。

営業体制強化のため、今年度は東関東営業所(茨城県つくば市)を新設しました。グループ内で手薄だった千葉・茨城地区の需要を開拓します。また、制服をグループで使用しているものに一新し、ホームページも刷新して視覚的な変革姿勢も打ち出しました。新たなニーズに応えられるよう警備員も積極的に採用していきます。

こうした施策を展開し、2022年度までの3年で売上高10億円の達成を目指します。3年で売上高を倍増させることになり決して簡単ではありませんが、社員が自らの存在意義、役割を理解し意識改革を進めていけば、達成不可能ではないと考えています。それが自分の仕事に誇りを持ち、やりがいを持つことにもつながります。

<<大きな目標を掲げました。社内の反応はいかがですか>>

正直「自分の考えを理解してもらうには時間がかかるだろう」と思っていましたが、社内で積極的にコミュニケーションを図ることで、予想よりも早く浸透してきたようです。

また、社会全体が多様化し若手社員を中心に従来と異なる価値観を持つ人も増えています。地域貢献や社会貢献を重視する人、ライフ・ワーク・バランスを大切にする人などです。こうした考えは当社が継続的に成長していくためにも大切です。全従業員が自己実現を果たすため、さらに意識改革を進めていきます。

警備業ヒューマン・インタビュー
――特別講習講師2021.10.01

中山文男さん(日本通運北関東警送支店 業務推進)

妻から「教え方」教わる

<<今年の埼玉県警備業協会の総会の際、特別講習講師として表彰されました>>

埼玉県警察本部の生活安全部長と埼玉県警備業協会会長の連名で「感謝状」をいただきました。埼玉警協の非常勤講師として警備員教育や特別講習講師として尽力したということが理由でしたが、特別講習講師になってまだ3年なので身に余る光栄です。

当社にはドライバー、フォークリフト、警備、引っ越し、美術品輸送の5業種のインストラクター(業種ごとの社内指導者)がおり、社員の品質を上げるための指導を行っています。その指導する姿勢に感銘を受け、2016年にインストラクターになりました。特別講習講師になる前です。

伊豆にある本社の研修所で先輩インストラクターとさまざまな話をした時のことです。何を聞いても素早く、的確に、そして分かりやすく回答してくれたことに非常に驚き、質の違いを見せつけられた思いでした。「このままではだめだ」と痛感し、先輩インストラクターの多くが持っていた「特別講習講師」の資格を私も目指すことにしたのです。

入社して間もない1995年に仕事の必要で貴重品運搬警備業務検定2級を取りましたが、それからおよそ20年も経つと、資格こそ違いますが学ぶべき内容が大きく変わったので改めて猛勉強しました。実技は「指導者」レベルまで技術を磨き上げなければなりませんから、それこそ必死の思いで取り組み、ようやく18年、特別講習講師の資格をとりました。

<<実際に特別講習講師になって何か心掛けていることは>>

「分かりやすく」がモットーですが、理解してくれる人となかなか理解してくれない人が必ずいますので「伝えること」の難しさを感じています。

しかし、なんとかうまく伝えたいので自宅で妻を相手に教え方の特訓をしています。妻は以前、看護学校の教員だったので、私の仮講義を受けながら「なんか分かりにくいな。違う表現できない」「『例え話をすると伝わりやすい』と言うけど、例えが悪いと例え話ばかりが頭に残って大切な話が頭に残らないから注意して」と厳しくアドバイスしてくれます。

警備業のことを妻が詳しく知らないことも私の成長には好都合です。相手に少しでも知識があると私の話が分かりにくくても相手が理解してしまうためです。同僚を相手に車の中で試した際にそう感じました。最も身近に最良のアドバイザーがいて幸運です。

<<埼玉県は警備員が襲われた事件もありました。「安全確保」の教育が怠れません>>

自動車の運転や警備業務に従事する時の安全について職場で指導しています。例えば運転は、「なぜ、制限速度が決められているのか」「走行速度により、人が急に道に飛び出してきたら停止するのに何メートル必要か」「安全にこの道を走行するには何キロで走ればいいのか」などです。また、警備業務は「周囲の人から見て自分の警備警戒の仕方や動作の取り方で安全を確保できていると思うか」と、いずれも映像などを用いながら自問自答させています。

こちらから一方的に答えを与えはせず、相手に答えさせるようにしています。そうすると相手の理解できていない点が鮮明になり、その部分の修正を通じて安全に対する相手の理解がより深まります。回答を間違えても修正すればいいだけのこと。正しい知識がしっかり身に付けば目的達成です。

警送は一般的に「現金輸送」と呼ばれます。現金だけでなく、手形や有価証券、宝石、貴金属、美術品などさまざまな貴重品を扱います。それらの所有者が指定する場所へ、盗難などの事故の発生を警戒し、防止する業務です。リスクが高く、埼玉県では現金輸送車が何者かに襲われた事件が過去にあったのも事実です。

しかし、事件以来、夜間の警送業務を行わなくなった会社も多いので、かつてと比べリスクは格段に減りました。とはいえ、日頃からの教育を通じていつでも警備警戒できるよう準備は怠りません。

<<若者に警備業を選んでもらうにはどうすれば>>

とくに警送の仕事は、安全が確保された職場であることを理解してもらうことが重要だと思います。確かに夜間の業務は減りましたが、明るい日中の業務でもリスクがないわけではありません。今年、茨城県のディスカウントスーパーで警備員がスタンガンらしきもので襲われる事件が発生しています。犯人は一瞬の警備のすきをついて犯行に及ぶため、私たち警備員は一瞬たりとも気を抜けないのです。裏を返せば「安全確保」を最重要と位置付けて活動しているのが警備業界であり、そのことを若者にはぜひ訴えたいです。