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警備業ヒューマン・インタビュー
――連名表彰2022.11.11

遠藤孝廣さん(警備開発 関西事業部 部長)

警備料金改善に取り組む

<<6月に開催された全国警備業協会の定時総会で、警察庁長官と全警協会長の連名による警備業功労者表彰を受けました>>

大きな表彰を受けて恐縮しています。私は滋賀県警備業協会の理事になってわずか4か月で周囲の推薦を受け、協会会長に就任しました。何も分からない状態の中で会長職がスタートしましたが、気が付けば4期半・9年余の長きにわたって務めていました。

会員各社や高山他喜男氏・木下隆夫氏・小林孝行氏の3人の専務理事、事務局職員など多くの皆さまに支えていただいたおかげです。近畿地区警備業協会連合会・各府県の会長には会長就任時から多くのご教示をいただき、大変参考になりました。

<<会長在任中、最も苦労したことは何でしょう>>

警備業の課題である適正料金への取り組みです。研修会を開催して会員に積算基準や全警協が策定した自主行動計画を学んでいただく機会を設けました。協会に加盟していない会社や他府県から進出した会社によるダンピングで、県内の警備料金はなかなか上がらない状況が続きました。現在は会員各社の営業努力や協会加盟員の増加などにより、警備料金は改善されつつあります。

私が会長に就任したときは、協会が社団法人から一般社団法人に移行する時期でした。高山専務理事の任期が終了するタイミングでしたが、一年延期してもらい移行作業の対応をお願いしました。

「びわ湖マラソン」や「びわ湖毎日マラソン」「びわ湖花火大会」など県内の大規模なイベントは、会員社によるJV(企業共同体)を構成して警備業務を行い、全ての行事を無事に終了させることができました。

そのほか語り尽くせないほどさまざまな出来事や問題が発生しましたが、会員や事務局の協力のもと乗り切ることができました。

<<滋賀警協は10月21日に「創立50周年記念式典」を開催しました>>

全警協の中山泰男会長に記念講演を行っていただき、県警の音楽隊が生演奏を披露するなど、大変盛大な式典となりました。私は祝賀会で乾杯の音頭をとらせていただきました。そのときには会長在職中の出来事を思い出して、感慨深い思いがこみ上げてきました。

協会運営の舵取りを新会長の井上雅裕氏に引き継ぎ、今は正直、ホッとしているところです。ご提示があった協会の役職はすべて辞退させていただき、今後は自社の業務に注力します。私が管轄する支社の受注量と従業員数を増やすことを目標に、警備業の発展に引き続き貢献したいと思います。

<<警備業に関わるきっかけは何だったのでしょう>>

私は北海道・室蘭市の出身です。叔父が室蘭港内でタンカーなど大型船の誘導を行うタグボートの操縦士で、プライベートで所有する釣り船に子供の頃から乗せてもらっていたことから、船に関わる仕事をしたいと思っていました。室蘭市内の造船会社に入社し、船のスクリューや推進器などそう部品の設計、組立などの仕事をしていました。

その後、横浜市、広島市の造船会社に転職しましたが、広島の造船会社では当時社会問題になったオイルショックを受けて、人員整理が行われました。退職した私は広島市内の会社に就職して健康機器の営業職に就いたあと、知人の紹介で1979年に警備開発に入社したのです。会社が設立されてまだ4か月ぐらいの時で、現在約1300人を数える従業員数は、当時はわずか10人余でした。

<<警備開発では、どのような業務を行っていたのですか>>

入社後、しばらくして私は管制業務を担当することになりました。その後、当社は大津市内に創業した大型商業施設の警備を受注して「滋賀営業所」を設置し、私はその営業所長、そして支社長を務めました。今は後任の者に支社長を任せて、関西事業部長として滋賀支社と三重県桑名営業所を統轄する業務を担当しています。

<<休日はどのように過ごしていますか>>

私の趣味は読書です。タブレットには歴史書など1000冊ぐらいをインストールし、暇ができると読みふけっています。私は昔から人と話すことがあまり得意ではなくアルコールもほとんどたしなみません。今振り返ると、我ながら「よく協会会長を長く務められたなあ」と感じています。

警備業ヒューマン・インタビュー
――障害者雇用2022.11.01

水沼孝夫さん(インターセック代表取締役)

〝適材適所〟で働く機会を

<<栃木県の「障害者の雇用安定に貢献した団体」として今秋、知事表彰されました。障害を持つ社員は、どのような部署で働いているのでしょう>>

表彰制度があることは知りませんでした。県の方からお話をいただいた時は驚きました。当社が障害者雇用率や高齢・障害・求職者雇用支援機構の推薦を受けているなどの条件を満たしているとのことで、お受けしました。

現在8人の障害を持つ人が働いています。業務内容は1号警備2人、2号警備4人、営業2人。1号警備で常駐警備を担当する警備員は腎臓機能に疾患があるため、人工透析を受けながら業務についています。この警備員は、1日置きに透析があるので1週間に3日の勤務です。

病気で腕と足に障害が残り、腕が肩より上に上がらない人が商業施設の常駐警備についています。交通誘導警備は少し難しいですが、常駐警備は十分できます。この警備員は当社に入社するまでに何回か転職をしています。当社の水があったのか、現在は現場責任者として警備隊長を務めています。入社7年目、結婚して子供も生まれ、週5日の通常勤務をしています。

営業の2人は管理部門にいます。“万引きGメン”(店舗保安警備)の警備員は心臓に障害を持っています。担当するスーパーでは欠かせない存在になっていると聞いています。障害等級1級ですが、待遇は健常者と変わりません。

<<身体に障害がある人を雇用されるきっかけは何でしたか>>

10年ほど前、入社時には健常者だった方が肝臓機能障害を患い、障害者となったことです。そのことで障害者雇用に関心を持ちました。その後、その方は肝臓の数値が下がって元気になられ仕事は順調でしたが、5年前に本人から申し出があり、退社しました。

<<障害者雇用についてどのような意識をお持ちですか>>

経営者の方の中には障害者雇用について先入観がある方が多いのではないでしょうか。車イスを使う重度障害者のイメージを持っているようですが、軽度の障害者も数多くいて“適材適所”で業務についてもらえば十分働くことができます。これからも障害者の方たちに働く機会を持ってもらえるように考えています。

警備業は公共性を帯びた仕事で、社会に必要不可欠なエッセンシャルワーカーです。ライオンズクラブに入って19年。同じ志を持つ仲間、地元企業の経営者たちがボランティア活動に頑張っているので「自分もやらなければ」という意識が芽生えました。

最近はフードバンク、いわゆる“子供食堂”の支援活動にも力を入れています。ここ10年の間に貧困層が増えてきています。子供の貧困はイコール親の貧困とも言えます。子供食堂に米、野菜、肉などの食材を会社として支援しています。時には子供食堂に金銭的なサポートも行っています。

<<警備業との出会いは、どのようなものだったのですか>>

大学卒業時、父親(貞夫氏)がALSOKグループの北関東綜合警備保障(宇都宮市、青木靖典代表取締役社長)の青木勲代表取締役会長と知り合いでした。私は2つ下の弟の就職を相談に行ったところ、自分の方に声が掛かり、同社に入社しました。

ばく然とですが、地元に帰って仕事したい気持ちがあったことと、「警備業は堅い仕事なので良いんじゃないかな」との思いで入社を決意しました。会社では交通誘導、常駐警備、機械警備など身辺警護以外はすべての業務を経験しました。学んだことが、現在の仕事の確かな基盤となり8年勤務した後、インターセックを立ち上げました。弟(良二氏)は現在、当社の監査役です。

<<警備業界には人手不足、適正な警備料金の確保などの課題が山積しています>>

人手不足はこの先も続き、少子化でさらに厳しくなっていくと認識しています。対策をしていかなければなりません。当社でも先進技術を活用し監視カメラから送られてきた画像を受けて警備員が駆け付けます。でもやはり、警備業務の中心となるのは“マンパワー”だと思っています。

警備料金については、現在より請求額を上げていかなければならないと思っています。一時は低料金で受注している会社も見受けられましたが、“ダンピング競争”は結局、自社の経営悪化につながることを、経営者は肝に銘じなければなりません。