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警備業ヒューマン・インタビュー
――全警協表彰警備員②2022.12.21

遠藤直人さん 加藤大智さん(ALSOK警送埼玉支社)

「脈がない!」心肺蘇生開始

遠藤直人さんと加藤大智さんは2022年6月20日午後3時50分頃、埼玉県寄居町の国道254号を現金輸送車で走行中、進行方向左側の歩道に倒れている心疾患の持病がある50代男性を発見、迅速に救護活動を行った。

<<全警協の「模範警備員」表彰。寄居警察署長と深谷消防本部長から感謝状を受けました>>

加藤 ありがとうございます。救護のことは支社長に報告しましたが、それきり気にかけていませんでした。支社長から埼玉県警備業協会に報告、そこから全警協に連絡が行き表彰を受けることになったそうです。

遠藤 当然のことをしただけですので、私も気にかけていませんでした。警察署、消防署から会社に連絡があり表彰されると分かって驚きました。

<<表彰された救護活動はどのように行ったのですか>>

加藤 よく晴れた暑い日に、銀行4支店を回ってメール便を回収する業務で3店舗目に向かう途中でした。片側一車線、左側に1メートル幅の歩道がある国道を遠藤さんが運転し、私は警乗していました。

走行中、歩道に自転車が倒れているのを発見し、よく見ると自転車の下に男性がうつ伏せで倒れていました。安全を確認しながら車を左に寄せてもらい、倒れている人の方へ走って行きました。呼び掛けましたが、反応がありません。

自転車を起こし顔からマスクをはずすと、唇は血の気がなく真っ白でした。脈を取ると反応がなかったので、とっさに社内教育で習った心肺蘇生を始めました。

遠藤 私はハザードランプを点滅させ倒れている人の5メートルほど先に車を止めました。加藤君が呼び掛ける声の大きさから、事態の重大さが感じられました。加藤君は携帯電話で119番通報、私は会社に電話を入れて状況を報告しました。交代しながら心臓マッサージを繰り返していると救急隊が到着。傷病者の状況を説明して救急隊員に引き継ぎました。

加藤 傷病者を引き継いだ後、業務に戻ろうとしたのですが「事件の可能性もある」ということで、その場で警察官に30分以上事情聴取を受けました。あと2店舗分のメール便回収があり、気が気ではありませんでした。3店舗目の作業を終えると、会社から連絡があり4店舗目は他のコースの警備員が回収してくれるとのことで業務は無事時間内に終わりました。

<<救護活動の際に印象に残った事はありますか>>

遠藤 私たちが救護活動を行っていると、対向車線の車が止まり降りてきた人が傷病者の「気道確保」をしてくれました。首から下げている社員証に目をやると看護師さんでした。

現場から100メートルほど先のコンビニからはAED(自動体外式除細動器)を持って駆け付けてくれた人もいました。救急隊が到着してAEDを使うことはありませんでしたが、現場に居合わせた皆さんが協力的で心強かったです。

<<お二人が警備業に就くきっかけは、何だったのでしょう>>

加藤 私は高校、大学と野球一筋でした。卒業後も社会人として野球を続けようと思っていましたが、大学4年時の野球の成績が振るわず、目指す企業の選考にもれてしまいました。頭を切り替え、警察官か消防署員を目指しましたが、就職活動のスタートが遅く、すでに採用試験が終了していました。その時、頭をよぎったのは民間の立場から社会の安心・安全を守る警備の仕事でした。

遠藤 私は“就職氷河期世代”で、多くの会社を受験しましたが苦戦しました。警察官を目指し試験を受けましたが残念ながら採用とはなりませんでした。それから堅実なイメージがあり社会に貢献できる警備業に関心を持つようになり、当社に応募しました。

<<今回の表彰に、ご家族の反応はいかがでしたか>>

加藤 妻に話したら、最初は信じてもらえませんでした。深谷消防署の感謝状授与式には滅多にない機会だと思い、6歳と3歳の娘を連れて行きました。上の娘は「私も将来、人を助けるような仕事に就きたい」と言ってくれました。

遠藤 私は12歳の娘と10歳の息子がいます。子供から褒められることは滅多にないのですが、2人から「パパ凄いことをしたんだね」と言われました。

やりがいのある仕事に就けたと実感しています。業務を通じて今後も社会に貢献していきたいです。

警備業ヒューマン・インタビュー
――全警協表彰警備員①2022.12.11

上原経寛さん(大日警 名古屋支店)

真冬の海を泳ぎ救出

全国警備業協会(中山泰男会長)は11月7日に都内で開催した協会創立50周年記念式典で、顕著な功労があった「模範警備員」13人(10事案)を表彰した。当欄では、表彰者をシリーズで紹介する。

1回目の上原経寛さんは2月9日午前10時ごろ、名古屋港内の金城埠頭で海に落下したワゴン車から70歳ぐらいの男性が脱出する様子を目撃。真冬の海を泳いで男性を救出し、通報で駆け付けた警察官と消防署員に引き継いだ。

<<真冬の冷たい海を泳ぎ、人命救助を行う勇敢な行動でした>>

その日、私は港湾施設を担当する機械警備機動隊員として、埠頭に止めた業務車両の中で待機していました。目の前を白いワゴン車が通り過ぎ後方で方向転換のため切り返していたのですが、後退中に突然大きなエンジン音とともに急加速し、岸壁から3メートル離れた海に落下したのです。

満潮の時間帯で、落ちた場所は水深4メートルぐらいあります。私はすぐに110番通報し、業務車両を出てワゴン車が落下した方に向かいました。連絡を受けた警察官の指示で119番通報も行いました。

30秒ぐらい経って沈んだ車両から高齢の男性が自力で脱出し水面に浮上してきたので、私は業務車両に積んでいた浮き輪を男性に向かって投げました。勤務地が海に近い場所なので、万が一自分たちが海に落ちた時、または事故に遭遇した時に備えて浮き輪を常備していたのです。

しかしそこは河口近くで流れが速く、男性は流されながら水面に顔を出して呼吸することに夢中で、浮き輪をつかむことができません。気温7度の寒さでしたので水温は低く、男性の動きが次第に鈍くなっていくのがわかりました。私は「しっかりしろ!」と大きく声を掛けました。

<<男性は低体温症で溺れそうな絶体絶命の状況です>>

周囲を見回しても他に人は見当たりません。男性は動かなくなり水中に沈んだので、私は「このままではいけない」と意を決し、助けにいく覚悟を決めました。制服を脱ぎ下着一枚になると、階段を下りて冷たい海に入りました。約5メートル泳いで意識がなくなった男性の首を自分の右腕で抱え込むと、平泳ぎで階段下に戻りました。

ところが私自身、寒さで震えて思うように男性を引き上げることができません。丁度そのとき、警察官と消防署員がほぼ同時に到着し、大声で自分の場所を知らせ、男性を引き渡すことができました。通報してからわずか6分ほどで駆け付けてもらい助かりました。

<<間一髪の状況でした。水泳の心得はあったのですか>>

私は小学生のときは水泳部で、10年程前にスポーツジムで泳いでいたことはあります。中学・高校とラグビー部に所属し、バックスとして激しいタックルを受けることも度々でした。当時は体力があったのですが、今は特に運動はしていません。目の前で命を落としそうな人を救いたいという気持ちで必死の行動でした。

職場の先輩からは褒めていただく一方で「危険な行動だった」と指摘を受けました。両親や兄弟からも心配されました。私は男性を引き上げるときに階段のフジツボで腕を少し切ったぐらいで済みましたが、今思うと一歩間違えば私自身の命も危なかったと思います。

<<警備員を仕事に選んだきっかけは何でしょう>>

母が当社の事務を過去に担当しており、当時の支店長に紹介を受けて入社しました。

私は子供の頃から巨大なクレーンを操縦することが夢で、職業訓練校で特殊技術を学んだ後、港湾会社に就職し船内作業員の仕事に就きました。船で運送されてきたコンテナをクレーンで陸揚げして内陸の運送担当者に引き渡したり、逆に船に積み込む業務で、国家資格を5種取得しています。

今は警備業に転職しましたが、勤めていた港湾会社から発注をいただき、機械警備業務を担当しています。発注元の業務内容をよく理解していることが現場で役立っています。

<<全警協以外の表彰も受けたそうですね>>

名古屋市港消防署長から3月に感謝状を授与されました。当社からは7月に支店長から表彰を受け、本日このインタビューが終わったあとは本社からも表彰されることになっています。

消防署からは「通報から救助まで全てを一人で行ったこと」を評価されましたが、今後はまず周囲に協力・応援してもらえる人がいないか探すなど、自分の安全を確保しながら行動することを心掛けます。

警備業ヒューマン・インタビュー
――協会活動2022.12.01

山砥浩さん(シンリュウ 代表取締役)

「我々が動く」会員主導で

<<兵庫県警備業協会(中尾忠善会長)の副会長として、9月に開催された創立50周年記念式典・祝賀会で実行委員長を務めました>>

実行委員会は、記念式典開催の1年半ほど前に立ち上げ、協会理事、事務局、青年部会の幅広いメンバー10人ほどで企画と運営を行いました。

広く意見を聞いて“皆で作り上げる新しい祝賀会”を目指すとともに「会員の皆さんが今まで以上に協会活動に関心を持って参加することにつなげたい」との思いも込めて準備を進めました。

<<祝賀会は、半世紀の歩みを伝えるフォトムービー上映に始まり、青年部会による活動報告、特別講習の新任講師紹介、獅子舞などのパフォーマンスも華を添え活気に満ちていました>>

フォトムービーには、阪神・淡路大震災で会員が行った被災地での防犯パトロールの写真を複数織り込みました。兵庫県警察からの協力要請に基づくパトロールであり、警察本部との災害協定締結につながったことを次世代に語り継ぐ必要があると思います。

青年部会員は、ステージに勢ぞろいし“参加と協力”を呼び掛けました。社員を青年部活動に送り出してくれる会員企業がさらに増えてほしい、警備業の魅力をPRするイベントで使用する資機材の貸し出しに一層協力してほしいと訴えたのです。

新任講師を壇上で紹介したのは、特別講習に対する一層の理解促進のためです。会員企業が受講者のために「送り出し教育」を充実させることで合格率は向上し、業界全体のレベルアップに結び付くはずです。

協会活動は、会員が主導していくものだと思っています。個々の企業だけではできないことでも、公共の団体として取り組めることは数々あります。当協会は、県や各市に最低制限価格制度の設定について陳情し、県建設業協会に適正価格での発注の申し入れを行ってきました。

協会は次に何をしてくれるか、と受け身で待つのでなく、より多くの会員が研修会や行事に積極的に参加して交流を深めることは大切になります。人手不足や料金問題など課題について意見交換する中で、社業の改善に通じる“気づき”を得られると思うのです。

会員が一致団結して「適正取引」を推進することで、自社の経営基盤強化、警備業の地位向上を図ることもできると考えます。

<<社業では「シンリュウ」の代表取締役を務めて16年目を迎えました>>

私は大学で土木工学を専攻し、建設コンサルタント会社に入社して設計に携わりました。一人で図面と向き合う仕事は好きでしたが、一方で“より多くの人々と交流する仕事をしたい”との思いもふくらみました。知人を通じて当社の新井龍昇代表取締役会長に出会い「警備業の可能性」に関心を持って転職を決めました。

営業、管理職として交通誘導警備、施設警備、イベント警備など複数の業務を同時進行で手掛け、急な業務では管理職全員が現場に出るなど多忙な日々が続きました。困難にぶつかった時は、チームの皆と「乗り越えた先には何があるか」を語り合って結束を高め、社員も会社も成長できたと実感しています。

<<人材確保はどのように進めていますか>>

若年層の確保では新卒採用に力を入れるとともに、スポーツやコンサートなど若者が興味を持つイベントの警備を受注して警備員を募集し、採用強化を図ってきました。学生アルバイトから正社員になり、役員に昇進した人もいます。

定着を促進するためには、キャリアアップを図ることのできる環境で社員が将来の目標を明確に持つことが大事です。警備のスペシャリストを目指すか、営業や管理の部門に進むか、本人の希望や適性によって進路は変わります。警備現場の業務だけでなく、例えば顧客に向けた企画書の作成にも携わることは視野を広げ、業務全体の流れを理解することに役立つものです。

「将来はこうなりたい」と考えた社員が意欲を持ってスキルアップし、その努力に応えることのできる職場づくりをさらに進めたいと考えています。

社会のデジタル化は加速し、警備業界もDX(デジタルトランスフォーメーション)への対応を求められています。そうした中で、協会活動も社業も“人と人の交流”から生まれるものは、これから先も重要になると確信しています。

「我々が動かないと変わらないが、動けば自社も業界も発展する」といった思いを共有する会員の輪が広がるよう願っています。