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警備業ヒューマン・インタビュー
――水難防止2021.05.21
水野克彦さん(NWS 代表取締役社長)
プールから海水浴場へ
<<プール監視業務を行っています>>
本社を置く和歌山県白浜町に「プール監視は警備業務」であることを伝え、2016年に「白浜町民プール」の監視業務を受注しました。
すぐに“警備のプロ”の目線から、運営や設備について提案しました。監視台2機の設置を要請し4人体制で見守っています。30分に1回、必ずプールから全員あがってもらい、事故が起こってないか、水底に異物がないかなど確認を行うことで、お客さまの注意喚起を図ります。
しかしどんなに注意しても事故の危険はゼロにはなりません。子供は声をあげたり音を出したりすることなく突然溺れるので注意が必要です。特に幼児は、両腕に浮き輪を付け顔だけ沈み込み溺れてしまうケースが起こりやすいのです。
当社ではお客さまがプールサイドに入場した時点で、まず「溺れる可能性がある人か」を判断しており、それが業務の“肝”になると感じています。現在、コロナ禍でプールが営業中止の状況ですが、今後も事故の未然防止に努めます。
<<海水浴場の安全も守っているそうですね>>
白浜町にプール監視業務を評価していただき、安全面での人員確保に向けて地元でもライフセーバーを育てようということから依頼を受けました。18年から近畿有数の海水浴場「白良浜(しららはま)」で、ライフセーバー活動を行っています。白良浜には毎年、白浜町が委託した日本ライフセービング協会(JLA)がライフセーバーを派遣しますが、人員が不足する平日やJLAが派遣できない期間を補完する形で担当することになりました。
プールと比較すると警戒範囲が広大で、水深も一定ではなく、波もあります。特に浜から沖へ向かう「離岸流(りがんりゅう)」に流されると危険です。遊泳エリアの範囲内に監視塔3機を設置し、エリアを分担して危険な行為がないよう監視したり、危険区域で泳がない広報を行います。集中力を高めて監視する必要があることと熱中症対策のために15分から20分で交代します。
<<監視業務を行う警備員はどのような教育を受けるのでしょう>>
1号業務の法定教育と白浜消防署が実施する「普通救命講習」のほかに専門知識を学びます。「ベーシック・サーフライフセーバー資格」、CPR心肺蘇生法とAEDを学ぶ「ベーシックライフサポート」、「ウォーターセーフティ資格」の3つの資格を取得することを求めています。資格を取得して監視・救助・救護等の知識や技術を持つ「認定ライフセーバー」は当社に15人おり、資格者を中心にチームを組んで業務にあたっています。
<<若いスタッフが多いと聞いています>>
和歌山県警の警察官だった私の祖父・喜隆が1978年に当社を創設し、父・孝治が継いで、私が3代目の経営者です。私は代表取締役就任時から「安全安心を守るためには有事の際に動ける『若い力』が必要」と感じ、採用活動に尽力してきました。
現在の平均年齢は、警備員が30代、幹部は30代後半から40代前半で、私が採用、指導して定着した在職15年超のメンバーです。若い警備員が活動することで、地域内での警備業に対するイメージが変わったと感じています。
<<業務の幅が広いですね>>
「なんでもできるのが警備員」が当社のモットーです。私は警備業で培ったノウハウを活かしてお客さまのさまざまな依頼に応え、業務の幅を広げてきました。社員にも同様に、従来の警備業の枠にとらわれない柔軟な発想や取り組みを期待しています。
「南紀白浜空港」の空港警備業務と空港消防業務を08年から続けており、担当してから空港の事故は発生していません。有事に備えて定期的に火災を想定した放水訓練や、白浜消防署との合同訓練を行っています。
私の親戚は米国テキサス州ダラスでセキュリティー機器を開発・販売する会社に勤務しており、その縁から01年、米国の機械警備のノウハウを学ぶことができました。その翌年には、ネバダ州で空港施設を標的としたテロ対策の研修も受講しました。
新しい価値観や基準をお客さまに提案・提供することが、警備業の可能性を広げ、警備員の社会的地位を高めることにつながると確信しています。
警備業ヒューマン・インタビュー
――女性教育者2021.05.01
上村明美さん(ケイビー・コム 指導教育責任者)
〝手の届く存在〟でいたい
<<指導教育責任者はもとより、交通誘導警備業務1級、雑踏警備業務1級など警備に関わる資格を複数お持ちだと聞いています>>
長く業界に身を置く間に身につけました。
10年以上務めた前の会社も警備業でしたが、今のように「働き方改革」なんて言葉のない時代でしたから、「男性には負けたくない」とも思っていましたので、時には朝は5時半に家を出て、夜は10時まで働くこともありました。管制業務で休日も電話を手放せない状態で、そのうち精神的に参ってしまったのです。
ちょうどその頃、子供中心の生活に切り替えたいという気持ちもあり、少し休んで再就職の活動を始めました。ただ、当時すでに40歳。資格が複数あるといっても他業種で働く覚悟までは持てませんでした。結局「慣れ親しんだ警備業が良いなあ」と思い、できるだけ子供中心の生活が実現できる地元の企業にこだわりました。
<<前の会社も警備業ですが、この業界が肌に合いますか?>>
前の前の会社も警備業です。20代からこの業界で働いています。当時を振り返れば、この業界に女性はまだ珍しく、家族の反対も強かったです。でもあの頃は収入も良かったし、実力次第で上に行ける魅力が大きかったんです。男女差も学歴も関係ない、まさに「天職だな」と。でも、管理職になって風向きが変わりました。本当に疲れることが多くなり、通勤時間が短くて済む「職住接近」の地元企業で働きたかった。
<<ケービー・コムを選んだきっかけはありますか?>>
自宅から離れた会社で働いていたので地元のことはよく知りませんでした。しかし、よく目を凝らして見ると「オレンジ色の制服」の隊員さんがたくさんいるではありませんか。なかには「声かけ」が上手な女性の隊員さんもいて、「オレンジ色の制服」に憧れるようになったんです。ハローワークでも「いい会社ですよ」と太鼓判を押してくれますし、当時の警備業としては珍しく社会保険にも加入していましたのでとても魅力的に映りました。
面接では「内勤スタッフ」で採用する意向が会社から示されたのですが、管理職業務に疲れて前の会社を辞めた私です。あくまで現場勤務を希望し、社長も私の意を汲んでくれました。
ところが仕事量の少ない時期と入社後の仕事開始時期が重なってしまったんです。小さい子供のいる生活を考え、改めて別の道に進もうか悩みました。そんなとき、「男社会なので女性らしい細やかな教育をお願いしたい」――社長から内勤スタッフへの誘いがありました。社内教育への熱い思いも伝わってきましたので、この会社で頑張ろうと決心したのです。
<<社長の期待に応える自信はおありでしたか?>>
実は、主人も他社ですが同じ警備業の教育担当者です。ですので自宅に帰っても仕事や教育について時間を忘れて話し合うことがあります。「主人は1号」「私は2号」と業務の区分こそ違いますが、互いにいい刺激になっています。
子供のころ不慮の事故で家族を亡くしてもいるので、隊員さんたちの安全を確保するため、弱い立場の方々が交通事故に巻き込まれないようにするための「教育」には人一倍力を入れています。
<<具体的にはどのような教育をしているのですか?>>
ある日隊員さんが「この地域は白杖をついている人が多い。何かできないですか?」と私に相談を持ち掛けてきました。すぐさま私は「障害者の気持ちを理解できるような教育を行いたい」と社長にお願いしました。すると「車いす」と「白杖」に加え、目の見えない方々の状況を疑似体験できる「専用ゴーグル」まで購入してくれ、以来、それらのツールは社内教育の必需品となっています。
障害者の方を誘導する時は特別の配慮が必要です。自ら体験しないと分からないことも多い。単にDVDを見せて分かった気にさせる教育はしたくありません。
私に相談してくれた隊員さんは後日、「教わった通りにやったらお礼を言われました」と本当にうれしそうでした。教育者としてやりがいを感じる瞬間ですね。
こんな双方向の教育が実現しているのも、隊員さんが私に対して率直に、気軽に相談してきてくれたからです。一段上の教育者ではなく、「手の届く教育者」――そんな存在でいられるよう心掛けています。