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視点

青年部会2022.03.21

広がる連携、飛躍を期待

警備業の未来を若い力で切り開く――。都道府県警備業協会の青年部会は現在31部会を数える。5年前、全国警備業協会が「全国青年部会長女性部会長会議」を初開催した2017年3月には13部会だった。

青年部会の設立が全国的に広がった背景には、警備業の将来を担う人材育成とともに、厳しい人手不足に直面する中で、若手の発想、行動力を生かし業界PRなどに携わってほしいという協会関係者の大きな期待があった。

青年部同士の連携も広がっている。2月に東北地区連と北海道警協は、両青年部会の連携強化を図る協定を結んだ。東北6県による「青年部サミット」に北海道が正式に加わって取り組む。6月には「四国地区警備業連合会・青年部会」が発足を予定している。初の「全国青年部会長等全国会議」開催も検討される。

それぞれの青年部会は、独自の工夫を凝らし地域で活動してきた。連携の輪が広がることは、情報やノウハウの共有につながるはず。各県の部会員は「警備業は今まで以上に社会から認められていい仕事だ」「警備員になりたい若者が集まってくる業界にしていきたい」などの思いを分かち合っている。都道府県の枠を越え手を取り合い、業界発展という共通の目標と立ちふさがる課題を見据え、互いに良い刺激を受ける相乗効果によって、青年部活動はさらに活発になるに違いない。

若い世代の武器の一つは、デジタルツールを使いこなせることだ。近年の新たな課題として、DX(デジタルトランスフォーメーション)時代への対応がある。警備現場でAIなど先端技術の活用、社内の管制、営業などに新システムを導入し合理化を図る取り組み。中小企業が大多数を占める警備業界にあってDXをどのように進めていくか。青年部会が研修会などを企画開催し、率先して業界内に役立つ情報を広めるなら、DXの頼もしい推進力となるだろう。

積年の課題、警備員不足に対しては警備業のPR、イメージアップ戦略をさらに練り上げる必要がある。“若手ならでは”の柔軟な発想力を発揮して、SNSなどの有効活用を踏まえ、今までになかった方法にトライすることで活路が開かれるのではないか。

業界の課題に対する理解を改めて深め、知恵を出し合い試行錯誤する。青年部会員一人ひとりのアイデアを部会内で検討し、さらに複数の部会が話し合い協力することで、活動は規模も成果も一層拡大し、一段とレベルアップすることが期待できる。

活動が活性化すれば「青年部に参加したい」と考える若い社員もおのずと増えることになる。青年部会のメンバーは若手経営者と経営幹部に加え、幹部候補などの若手社員にも裾野が広がった。しかし若手社員が参加するためには、所属会社が快く送り出してくれなければ不可能だ。また、青年部会の参加資格は、多くが50歳以下など年齢の制限がある。メンバーを増員して活動を引き継ぐことは欠かせない。

企業が青年部の役割について理解を深め、社員の参加を後押しすることは、青年部活動支援として業界への貢献となる。

技術革新で社会生活が急速に変化する中で、連携をバネとして飛躍を図る青年部活動を警備業界挙げて応援、推進してほしい。

【都築孝史】

感謝と決意2022.03.11

役立つ情報発信を使命に

「十年一昔」――この一語、感ずることは人それぞれ。「10年一区切り、すでに昔」とおぼろな思い出の人あれば、「つい昨日のことのよう」と、その日を鮮明に記憶にとどめている人もおられるでしょう。

10年前の2012(平成24)年「3・11」。私事で言えば、間違いなく後者。新聞印刷所でのこと。輪転機から刷り出されたばかりの創刊号を手にしたとき、ある種の感動を覚えたことが思い出されるのです。今日の「紙齢」331号に続く第1号紙でした。

同年の2月1日。弊紙は全国の警備業52社のご厚志による出資金で設立されました。日本に警備業が誕生して50年の節目でした。紙面製作についてはすべてが一からのスタート。さて、どうする? 少しばかり往時を回顧させていただきたい。

まずは、月3回発行の創刊号を3月11日に設定することを思いついたのです。国民の安心と安全を担う警備業界の専門紙ならば、東日本大震災から1年後のこの日をおいて他にない、と。全体を貫くコンセプトは、「業界の発展に少しでも役立つ情報の発信を担いたい」でした。

紙面建ては6ページ。毎号の連載記事は、1面の社説としての「視点」、以下「テーマは広く深く・特集ワイド」「地域からのニュースと提言」、終面には「人・往来」のインタビューと「製品紹介」etc。

これらの着想の過程を思い起こすと、新しいものを生み出すのだという心が弾む楽しさがあったのです。もう一つ、考えが浮かんだのが寄稿コラム「複眼時評<知に備えあれば憂いなし>」の連載でした。狙いは明白。想定している執筆者なら、間違いなく弊紙の“売りもの記事”となり、紙価を高めてくれるであろうと確信していたのです。

2人は毎日新聞記者時代の同人として気心知れた間柄でした。執筆依頼の声を掛けると、果たせるかな、二つ返事で了承。ともにワシントン特派員時代に経済、政治報道に携わり、練達の文章家として知られていたソシオロジスト(社会学者)とジャーナリストでした。

その後も、紙面レイアウトのプロである元整理本部長と元論説委員長も加わりました。各位の硬軟取り混ぜた一級の文章、的確な紙面配置と見出しの助言は、今日の紙面作成の大きな支えになっているのです。

更に高めたい社会的地位

手元に8ページ建ての創刊号があります。予定より2ページ増し分には、4段広告と22本の名刺広告が掲載されているのです。

創刊10周年を顧みるとき、ニュースの提供、購読に加え、広告出稿のありがたさを身に沁みて感じています。ちなみに今年の新年号では、都道府県協会、各社様からの賀詞広告出稿は252本を数えました。

会社設立の初年度から続く「単年度黒字」の計上は、こうした皆さまのご支援とご協力があってこそ積み重ねることができたのです。衷心より感謝の言葉を申し上げます。

全国警備業協会の中山泰男会長からは、「創刊10周年に寄せて」と題する祝辞を頂きました。その中で中山会長は、「今後、警備業の未来には、さらに大きな飛躍が求められています。全警協は警備業のより一層の発展を期すべく各種施策を強力に展開していきます」と決意のほどを記されています。

警備業界は「東京2020」の見事な警備もあって、社会になくてはならない存在、エッセンシャルワーカーとしての地歩を固めつつあります。このことを確固たるものにしていただきたいと願うこと切です。そして、若者が将来を託して門をたたく警備業集団になってほしいのです。

これからも私たち社員一同は、業界の更なる発展の一助となりますよう、社会の変転に鋭敏な感覚で対応し、役立つ情報の発信に力を尽くす所存であります。今後ともよろしくお願い致します。

【代表取締役社長 六車 護】

事業承継2022.03.01

早めの準備が不可欠

わが国の警備業をリードするセコム(東京都渋谷区、尾関一郎社長)は「日本警備保障」として創業し、今年の夏に設立60周年を迎える。1964年の東京オリンピックで大きく飛躍した警備業と軌を一にし、60年の歴史を歩んできた。

「新しい仕事を作る」情熱に燃えていた先達の進取の精神と変革のエネルギーを受け継いだ警備業は現在、企業数1万社以上(全国警備業協会加盟7084社、2021年12月31日現在)で警備員数58万人超、市場規模およそ3.5兆円という一大産業となった。

警備業の歴史が60年となり世代交代は着実に進んでいる。円滑に事業承継を進めることが、警備業界でも重要な課題となってきた。警備員数100人以下の企業が全体の約9割、4分の3は2号警備(交通誘導、雑踏)を手掛けているのをみても分かるように、決して事業規模が大きいとは言えない警備会社は大多数を占める。中小規模の警備会社の事業承継を計画的に進めていくことが必要だ。

事業承継には十分な準備期間が必要で、後継者を突然指名しても本人の「心構え」や「経営者としての修行」ができていなければスムーズな承継は難しい。事業承継には少なくとも数年が必要というのが通説で、経営者が精神的にも体力的にも充実しているうちに準備を始めることが不可欠となる。

社内ルールも整備

こうした中、JTS(東京都調布市、阿部秀樹社長)の事業承継の取り組みに注目が集まっている。同社は昨年、事業承継の取り組みを20年計画で開始した。20年後の承継に向けた準備だけでなく、突発的な事故が起きても対応できる事業継続計画(BCP)としての役割も考慮した。計画は20年間の事業承継予定者を数人設定し、数年単位で順次経営トップを務めてもらう内容だ。この間、阿部社長は会長職を経て第一線を退くところまで想定している。

事業承継で重視したのは社内のルール整備だ。同社は創業者の阿部社長が「トップの決断」により重要事項を決定してきた側面がある。しかし、後継者に経営を委ねる時には「判断の指針」を残すことが必要だと阿部社長は気が付いた。現在、人事考課制度や目標管理制度の整備に着手しており、制度に基づく承継予定者への権限移譲を段階的に行っていく。こうした制度があれば、突発的な事態が起きても経営面の混乱を避けることができるため、BCPとしても有効である。

JTSのように周到に準備を行う企業はまだ少数派だ。ちなみに全産業でみた場合、帝国データバンクの「19年全国・後継者不在企業動向調査」では60代中小企業経営者の約半数が「後継者を決定していない」と回答しており、事業承継に対する対応の遅れが懸念されると指摘している。

警備会社の創業者の多くは、飛び込み営業を重ねるなどの労苦をいとわず、寝る間も惜しんで業容を拡大してきた。こうした中小警備会社の努力の蓄積が、社会の安心安全に不可欠な産業として警備業が認知される礎になった。

幾多の山を乗り越えてきた警備会社はこれからも発展し、社会の要請にも応え続けることができるはずだ。警備業発展に向けた情熱と進取の精神、60年の経験を確実に次代に承継することが、警備業の明るい未来につながるのではないだろうか。

【豊島佳夫】