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災害支援はここから始まった2025.01.01

阪神・淡路大震災30年

今月17日で「阪神・淡路大震災」から30年となる。1995(平成7)年早朝に発生したマグニチュード7.3の地震は、兵庫県神戸市内を中心に死者6434人という甚大な被害をもたらした。一方、県内の警備業有志が被災地の防犯パトロールを実施、警備業による災害支援活動の初のケースとなった。パトロール隊編成から実際にパトロールに当たったバンガード(姫路市)の山口俊和氏に当時の思いや取り組みについて聞いた。

震災発生当日の朝、山口氏は自宅のある姫路市内で観測された震度4ほどの揺れで起こされた。東京での警備業者の会合に出席予定だった同氏は、テレビで“大地震”発生を知った。

次々と伝えられる地震被害に「警備業者として被災地のために何かしなければ」との思いが募ったが、当時は警察や自治体との「災害支援協定」を結んでいる都道府県警備業協会はなく、打つ手がなかった。地元や県西部「西播地区」の同業者にも連絡を取って支援の検討を始めたが、経験のない大災害と甚大な被害を前に、何から手を付けていいのかも分からなかった。

そんな時、兵庫県警備業協会の専務理事から連絡があった。「県警から被災地住民の安全確保と犯罪防止のために防犯パトロールの要請を受けた。協力してもらえないか」――。

当時、協会副会長と地元で姫路警察署管内の警備業者で組織する任意団体「警備業姫路協議会」の会長を務めていた山口氏の決断は早かった。協議会会員5〜6社の賛同を得てパトロール隊を編成。要請の翌日1月21日から神戸市内の防犯パトロールを開始した。

午後6時に姫路市内から数台の車両に分乗して神戸市内へ向かった。通常なら1時間程度の道のりだが、道路損傷による迂回などで2時間以上を要した。

神戸市内に入って目に飛び込んできたのは、変わり果てた街並みだった。

山口氏らパトロール隊は、協会事務局で協会職員と合流、専務理事から当日の活動指示を受けた。車両側面には「防犯パトロール」と記されたマグネットシールや張り紙を施し、特に被害の大きかった三宮(神戸市中央区)周辺で深夜から早朝にかけてパトロールした。

当時は携帯電話も普及しておらず連絡手段は専ら車載の無線機。綿密な連絡もままならず、道路損傷やがれきで車両の通れない道路も多かった。

パトロール中、地震による断水で避難所や警察署が困っていることを知った山口氏は、10リットルタンクに詰めた水を毎日20個(200リットル)運んだ。警察からは住民の救助や遺体検視に当たっていた警察官の手洗い水にも困窮していたため大変喜ばれたという。

パトロールにはその後、大阪府警備業協会をはじめ他府県からの応援も加わり、被災地の安全は確保された。

◇     ◇

山口氏は「あっという間の30年でした。協議会として活動しましたが、当時は協会支部がありませんでした」と、震災が支部発足など協会の体制強化につながったと当時を振り返る。震災での取り組みが都道府県協会と警察・自治体との災害時の支援協定につながっていることを評価する一方で、「南海トラフなど広域での体制作りが急がれます」と課題も指摘。高齢化により災害時に出動できる警備員が減少しつつあることに危機感を示した。