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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、帝京大学教授で毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

「百年安心」は想定外2019.6.21

-ビスマルク年金の当然の帰結-

あの報告書はまだ金融庁のホームページに残っているだろうか。それとも消されてしまったかな。四方八方からボコボコにされた金融審議会の「高齢社会における資産形成・管理」なる報告書のことである。

麻生太郎財務相は「受け取り拒否」とぶんむくれるし、自民党は「なかったことにしろ」と息巻いている。これを書いている時点ではホームページで読めるが、例によって忖度で文書廃棄されるかもしれない。

その内容はそれほど異常なものではない。夫65歳以上、妻60歳以上の世帯の収入は年金主体に月額約20万9000円。ところが支出額は約26万4000円だから、月5万円の赤字である。あと30年生きるとすれば2000万円以上貯蓄がないとやっていけないよ、というものだ。

しかし、反発が大きかった。国民の多くが65歳になるまでに2000万円ためられるかと自問して「無理だ」と思った。金融広報中央委員会の調査では、預貯金ゼロのひとが20歳代で32.2パーセント、30歳代で17.5パーセント、40歳代で22.6パーセント、50歳代で17.4パーセント、60歳代で22.0パーセント、70歳代で28.6パーセントもいるのが実態である。

それにもまして国民が怒ったのは「公的年金だけでは老後は養えない」ことを政府が明らかにしてしまったからである。ふつうの高齢者の場合、収入の9割が公的年金である。そして夫婦の年金受給額が120万円未満の世帯が46.3パーセント、84万円未満が27.8パーセントもいるのだ。きつい老後が目に見えているが、それを政府が言うことはないだろう。そもそも政府は「年金は百年大丈夫です」と言ったじゃないか。

「百年安心」年金はいわゆるマクロスライド方式の導入で、年金財政が維持できる範囲でしか年金を給付しないことにしたことを言う。年金の制度は存続が保障されている。厚労省の役人は100年安心できるが、国民は年金受給額をどんどんカットされる一方だから、まったく安心などできない。

年金では自民党は痛い目に遭っている。2007年、誰のものかわからない年金記録が5095万件もあることが分かって大騒ぎになり、参院選で大敗して第一次安倍晋三内閣がつぶれてしまった。だから、来月の参院選を前に悪夢の再来かと自民党は過剰なまでに警戒したのである。

年金はドイツ統一の宰相ビスマルクが1889年に世界で初めて導入した。日本はこれをモデルにした。ドイツの当時の平均寿命はおよそ40歳。そんな時代に70歳から年金を支給する設計だった。いまの日本でいえば年金をもらえるのは90歳からか。長生きのご褒美。かき集めた保険料は軍備増強の一端を担った。

国家主義者のビスマルクが弱者の味方だったはずはなく、社会主義勢力の浸透を防ぐための政策であり、その効果さえ得られればよかった。つまり、年金だけで食える老後など最初から念頭にない設計だったのである。年金を飴に社会主義を鞭で弾圧するいわゆる「アメとムチの政策」だが、年金は飴玉であって主食ではないのだ。

その設計思想を受け継いだ日本の年金であるから、老後の安心まで保障するものではない。年金では足りないのは想定内、百年安心は想定外なのだ。それで一件落着。もっともそんな身もふたもないことをいう政治家は落選確実だろうけれど。