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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

英国首相にインド人
-グローバル・ブリテンの証し-2022.11.11

インド人は子どものころ、算数の九九を20×20まで記憶させられるという。本当だろうか。聞けば「半分、本当」らしい。暗記できる人もいるが、ま、ふつうの人は13か14の段ぐらいまで。が、それにしてもたいしたものである。

なぜそんなことをやるか。昔はともかく、いまインド人がそれをやるのは貧しさから抜け出す早道だからである。

理系脳を作ってインド工科大学(全国に23校)に行く。タイムズなどの大学ランキングでは日本の旧帝大並みでパッとしないように見えるが、入学難度は米国のマサチューセッツ工科大学を超えたといわれ、卒業生はグーグル、フェイスブック、マイクロソフトなど今をときめくIT企業に就職する。

IT産業は歴史が浅い産業だ。競争が激烈で能力本位、人種や出自を問わない。つまりインドの発展の障害になっている身分制度(カースト)に関係なく就職できる。それが魅力的なのだ(と言う説もある)。

世界のトップ企業のCEO(最高経営責任者)にはずらりインド人が並ぶ。直近で交代した企業もあるが並べてみるとグーグル、マイクロソフト、IBM、Adobe(アドビ)、ツイッター、マスターカード、ペプシ、シャネル、ノキア、ノヴァリティス(製薬)。さらにネットアップ、アリスタと、なんの会社か説明できない企業が続く。(例えばアリスタは「大規模なデータセンターとキャンパスの環境に特化したソフトウェア駆動型のコグニティブ・クラウド・ネットワーキングのパイオニア企業」だそうだが、チンプンカンプンでしょう?)

そしてここからが本題だが、このリストに先月、新たな名前が加わった。「大英帝国首相」である。

コロナ禍に官邸でどんちゃんパーティーをやって辞任したジョンソン、その後を女性のリズ・トラスが継いだが大減税案が市場に拒否されて2か月で辞任、その混乱を収拾すべく選ばれたのがリシ・スナクなるインド系移民の子だ。

10%を超すインフレの中の景気悪化、つまりスタグフレーションは必至であり前途多難。しかし、インドの新聞は大喜びだ。「インド人が白人を統治へ」「誇り高きヒンズー教徒が英国の首相に」などなど。ついでに触れておくと、隣国アイルランドも12月からインド系のレオ・バラッカー氏が首相に就任する。父親がインド人で母親はアイリッシュ、宗教はカソリック。ゲイであることをカミングアウトして話題になった政治家だ。

スナク新首相はインド系エリートの典型だ。つまり頭が良くて金持ち。オクスフォード大を卒業して投資銀行ゴールドマン・サックスに入社、そして米スタンフォード大でMBA(経営学修士号)を取得後、インドIT大手インフォシスの創業者の娘と結婚。政治的幸運が重なって首相に上り詰めた。資産額は英国王の2倍という。

英国でインド人首相が誕生したことの意味はふた通りあるだろう。まずは英国保守党の混迷の象徴という見方。人材が払底して代議士稼業8年目、政治のアカの付いていない大秀才に丸投げするほかなかった。

しかし、もっと素直に見てよいと思う。英国ではインド人を首相に選ぶことに格段の反対は出ていない。英国がいかに世界に開かれているかの証明だ。英国は世界の才能を集め、世界のカネを集め(ロンドンの豪邸街がロシア・マフィアに次々買われた)、それをこの過酷な時代を生き延びる力にしている。

EU脱退以来、英国政治では「グローバル・ブリテン」が合言葉になっている。「己の価値に目覚めよ!」であろう。経済規模は世界5位、G7で最も高い成長率、米国に次ぐノーベル賞受賞者、世界中に戦力投射できる軍事力、母国語が世界語の英語…テリーザ・メイ元首相はたくさんの強みを挙げている。インド人を首相に選んだのは英国の「強さ」の証明であって「弱さ」の露呈ではないのである。