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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

「悪い円安」がどんどん進む
-日銀に手立てなし-2022.04.21

今は昔の物語。1971年8月「ニクソンショック」が起きた。それまでの1ドル=360円が維持できなくなり円は大幅な切り上げを迫られていた。日本政府はパニック。那須の御用邸で静養中の昭和天皇のもとに、水田三喜男大蔵大臣が参上し御進講申し上げた。すると昭和天皇がこうおっしゃったそうだ。

「円切り上げを非常に暗いことのように言うが、日本の評価が国際的に高まり良いことだと思う。そういう明るい面を国民に知らせる必要があるのではないか」

至言である。古今東西、自国通貨が高くなって滅んだ国はない。戦前1ドルは2円であった。それが戦争の直前、1ドル=4円に下落した。そして戦後は360円。なんという屈辱。昭和天皇は円の交換比率の上昇、つまり円高が良いことであることを皮膚感覚でお分かりだった。

さて、このところの円安である。いったいどこまで進むのか。市場では130円とか140円とか諸説あるが、どれもはっきり言って「当たるも八卦はっけ」でアテにならない。為替相場ぐらい予想が難しいものはない。

しかし、円安の主因ははっきりしている。日米金利差の拡大だ。米国政府が今一番頭の痛い経済問題はインフレの進行である。資源高もあって米国は40年ぶりのインフレに見舞われており、米国連邦準備制度理事会(FRB)はこれを抑え込むため2020年3月からのゼロ金利政策を解除、利上げに動いている。

その結果、米国債10年物の利回りは2.5%前後をつけ、21年末から1%程度上がった。これに対し日銀は、長期国債利回りの上昇を絶対許さない態度である。日銀は3月末、利回りを0.25%に指定して国債を無制限に買い入れる措置(指値オペ)に踏み切った。つまり長期債利回りは0.25%以下に抑え込むという宣言である。国債の売りが出たら全部買う。資金はほぼ無制限にある日銀だからできる荒技だ。

おカネは利息の低い方から高い方に流入する。つまり円からドルにどんどん流れ込むからドル高・円安になる。この先、金利差は開く一方だから円安は加速するだろう。

日銀の黒田東彦総裁は「円安が経済・物価にプラスとなる基本的な構図は変わっていない」と言っている。「ウソだろう」と言いたくなるが、ウソを言うはずがない。黒田総裁は日銀のマクロ計量モデルで計算して、プラスだと確認してからプラスと言っている(に違いない)。

しかしながら、円安でトクをするのはグローバルな大企業ばかりで、中小企業や家計には良いことはない。人数で言えばソンする者の方が多い。

岸田文雄首相の「新しい資本主義」は弱者にも優しい経済政策ということであるらしいが、円安はこれに逆行する政策だ。

折からのウクライナ戦争もあって原油価格、食料価格は上昇の一途であり、値上げラッシュである。円安が輸入価格を上昇させ国富の流出を加速している。「悪い円安」論の台頭は当然だ。

しかし、円安が問題なのは長期的に日本経済の衰退を招くからだ。門間一夫元日銀理事は円安を「下手なゴルファーへの大きなハンデ」だと喝破している。ハンデが大きいので練習せずともそこそこで回れる。しかし、ハンデに頼りきりでいつまでたっても腕は上がらない。

円安で企業は技術開発や新市場開拓に汗を流さずとも儲かる。怠けているうちに競争力を失った。日本は2000年以降、円安政策にのめり込み、90年代ごろまでの古い産業構造が温存された。これが日本経済衰退の原因だ。

日銀が円安を止めるには、国債相場の買い支えをやめ金利を上げればいい。しかし、そんなことをすれば国債価格が暴落し、地方金融機関を経営破綻に追い込みかねない。つまり日銀に手段はなく出口はない。

ゴルフのハンデ論に引き寄せて考えよう。これは地道に練習して腕を上げるほかない問題なのである。政府は財政節度を尊重し日銀に国債を押し付けない。企業は政府の支援に頼らず自ら汗を流す。常識がいつものように正解なのである。