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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

10兆円基金で「国際卓越」
ー適用第1号は東北大学ー2023.11.21

日本人のノーベル賞受賞者は今年、ゼロに終わった。近年、受賞が相次でいたから、日本人受賞者は計28人にのぼる(外国の国籍取得者を含む)。これは国別では世界8位だそうだ。文学賞、経済学賞、平和賞を除く自然科学系では米、英、独、仏に次ぐ世界5位である。

政府は2001年、「21世紀の前半に30人のノーベル賞受賞者を出す」という目標を発表した。その時は「無理じゃないか」などと言われたが、あと2人に迫った。評価の高い研究者がまだ数人いるから、30人はなんとかなるかもしれない。だが、その後は無理だろうという悲観論が強まっている。

その理由は研究力の低下である。文部科学省が8月発表した「科学技術指標2023」は衝撃的だった。研究論文の質が低下している。研究者は自分の研究のヒントを探すため、あるいは自分の仮説を裏付けるため、自分に役立ちそうな研究論文を幅広く読む。そして、その成果を自分の研究に取り入れる。科学はそのようにして進歩する。従って、引用される回数が多ければ多いほど、世界の研究者に評価され役立っている優れた論文ということになる。そこで引用回数が「トップ10%」「トップ1%」に入った論文数を比べる。そういう第一級の論文を日本人研究者はどれだけ書いているか。これが年々落ちていてガッカリだ。

23年版ではトップ10%論文数はイランに抜かれて13位。過去最低の順位である。トップ1%論文数でもスペインと韓国に抜かれ、10位から12位に順位を落とした。こう言ってはなんだが、イランに抜かれるか?

ちなみにトップ10%の上位国を挙げると、中国、米国、英国、ドイツ、イタリア、インド、豪州、カナダ、フランス、韓国の順だ。

日本の不振の原因は複合的なものだろう。むかし「末は博士か大臣か」などと言われた。しかし、いま日本で博士になってもあまりいいことはない。博士号を取得してもそれで大学教授や研究所の正規研究員になれる者は少数で、多くは非正規の雇用で低賃金に甘んじている。「ポスドク問題」だ。それではと企業に就職しても学士卒より大して厚遇されない。日本社会は博士に冷たいのだ。

しかし、根本の問題は研究開発に遣うカネの額が貧弱なことだ。

米国のハーバード大学の大学基金は507億ドルもある。1ドル=150円で換算すれば7兆6000億円である。ハーバードは昨年度、7億5900万ドル(1140億円)の運用益をあげた。イエール大学の基金は407億ドル(6兆1000億円)だ。寄付が税法で優遇されているから、米国のトップクラスの大学には毎年1000億円程度の寄付が集まる。こうした資金で優れた研究者を世界から集め、簡単に言えばノーベル賞を量産する。本邦は最大の基金を有する慶應大学ですらわずか730億円、東大が170億円だ。

政府も焦っているようである。「国際卓越大学」制度を作った。10兆円の基金を設定、その運用益をヤル気のある大学数校に集中配分して、研究力を飛躍的に引き上げようという狙いだ。早稲田大、東京科学大(仮称=合併する東京医科歯科大と東京工業大の共同申請)、名古屋大、京都大、東京大、東京理科大、筑波大、九州大、東北大、大阪大の10校が応募した。東大は当然もらえると思って4月、世界最高水準の研究大学に向けて25年後に独自基金を1兆円、運用益は年500億円とする計画をぶち上げた。だが、今年選ばれたのは東北大。東大は落選である。

計画では年間3000億円の運用益をあげて、5、6校に1校500億円ぐらいを配分するらしい。例えば京大が対象になれば、いま国から573億円の運営交付金をもらっているから、大学予算は倍増する。米国アイビーリーグには見劣りするが、一歩前進ではあろう。

ただ、このファンドは運用が下手だ。世界的金利上昇を読めず投資した債権が下落、22年度604億円の赤字だったそうだ。「卓越大学」の前に「卓越ファンド」が必要だ。