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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

日の丸半導体の復活はなるか
-花ざかりの国家資本主義-2023.06.01

「ラピダス」というのはラテン語で「迅速」を意味するそうだ。かつて世界シェアの半分を占めた「日の丸半導体」。その復活を目指し、官民あげて作ったばかりの国策会社の社名がラピダスである。2027年に世界最先端の2ナノメートルの半導体の量産が目標だ。競争は激烈だから確かにスピードが勝負であろう。問題は果たして成功するか、である。

その前に、2ナノメートルとは何かを理解しておく必要がある。10億分の2メートルのことだそうだ。チップに描く回路の隙間の幅を示している。髪の毛一本が10万分の1ナノメートルだそうだから、その万分の1の超微細の線引きである。ぎゅう詰めで回路を描ければその分、高性能になる。

とはいうものの、いま最先端の半導体が7ナノだ。スマホ用。自動車の運転制御の半導体はずっと緩い28〜40ナノである。2ナノというのはとんでもない別次元の半導体なのだ。

2ナノはまだどこも作れていない。ラピダスは米IBMとベルギーの半導体開発機関imecと技術提携してこれを作るという。しかし、ダントツの技術力を誇る台湾のTSMCですらまだ、5ナノの量産に取りかかったばかり。3ナノや2ナノを目指して韓国サムスン、米国インテルが巨額の資金で開発を急いでいるが難航している。周回遅れの日本勢にそれができるか懸念が生じて当然だ。

ラピダスはトヨタ、デンソー、ソニー、NTT、NEC、ソフトバンク、キオクシャ、三菱UFJの8社が主要株主に名を連ねる。資本金は73億円。さらに国が3300億円の補助金を出す。このカネで千歳市に工場を建設する。将来は国のさらなる出資もありうるという。

しかし、国家プロジェクトだから成功するというものではない。1999年、NEC、日立の半導体部門が合流して「エルピーダ」という会社を作った。後年三菱電機も加わった。オールジャパンで「夢をもう一度」の国策企業だ。しかし2012年、競争に敗れて倒産した。この間、2度にわたって国が注ぎ込んだカネは計4300億円。それでもダメ。米マイクロンに身売りする結果となった。ラピダスもまた「親方日の丸」である点でエルピーダと同様である。

三菱重工が経済産業省にせっつかれて国産初のジェット旅客機MSJの開発に乗り出した悪夢が蘇る。「ブラジルやカナダですら国産ジェット旅客機を製造している。日本にできないはずはない」。その根拠のない自己過信が命取り。米国での認証基準をクリアできず撤退。1兆円以上の投資が無駄になった。

さて、ここで問われるのが民間経済ないしビジネスへの政府介入である。典型的には有望分野を物色してその育成を図る「産業政策」。戦後日本は鉄鋼や電力を優遇して高度成長の基盤を作った。大成功と言われる。しかし、力をつけた日本経済にそれ以上の政府介入は不要。むしろ害が大きかった。米国は産業政策に一貫して懐疑的、批判的で日米摩擦は日本の産業政策をめぐる論争でもあった。

ところが、中国が台頭し米国の覇権を脅かす存在になって状況は一変した。半導体は米中覇権争いの帰趨を決定する戦略物資とされ、世界の半導体企業は米国か中国かの選択を迫られている。米政府が用意した予算は日本円換算約7兆円。それまで中国の「国家資本主義」を批判していた米政府が180度の政策転換だ。オツに構えていてはカネの力で押し込んでくる中国に負けるから、仕方ないではないかというわけである。

米国がそうなら日本は遠慮する必要はない。台湾のTSMCが熊本に工場を作るという話が舞い込んできた。これに政府はあれやこれやで5900億円を支出する。大盤振る舞いである。

つまり、「神の手」に任せておけば万事うまくいく、という素朴な経済理論はもはや通用しない。代わって頭のいい経済テクノクラートがあれやこれや差配する時代になったらしい。しかし、それでいいのだろうか。ラピダスの今後がその答えなのだろう。