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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

ノーベル経済学賞と中国
―民主的制度が発展のカギ!?―2024.11.11

今年のノーベル経済学賞は米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授、MITスローン経営大学院のサイモン・ジョンソン教授、シカゴ大学政治学科のジェームズ・ロビンソン教授の3人に授与された。経済発展のカギを握るのは「制度」であり、制度次第で経済発展に大差が生まれることを計量分析によって明らかにした、という。

アセモグル教授とロビンソン教授は2012年、共著で『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』(邦訳は13年、早川書房)を出版した。数式なしに彼らの研究のさわりが読める。要約すれば、国家や社会の持続的な経済成長はその制度的枠組みが「収奪的(extractive)」なものなのか、それとも対極の「包括的(inclusive)」なものかで決まるというのである。前者は長続きしない。

「包括的な制度」とは、政治的には民主主義、経済的には自由で公正な市場経済のセットである。「収奪的な制度」はこれを欠いた制度であり、権力者は人々が豊かになることを恐れる。なぜなら豊かになると政治的にも影響力を増し、彼らの地位を脅かすからだ。権力者はこれを阻むため自由な経済活動を制限する。その結果、経済はダイナミズムを失い発展にブレーキがかかる。

これを聞けば誰しも、それは習近平独裁の中国のことかと思う。実際、教授たちはこの本の中でまた講演で、中国の経済発展は持続しないと明言している。この本が出た12年といえば、CIAなどで組織する国家情報会議(NIC)が4年ごとの報告書で「中国は20年代にGDPで米国を抜く」と警鐘を鳴らした年だ。中国経済の絶頂期に、中国の成長は維持できないと予言したのである。

アセモグル教授は13年、訪中して李克強首相と会見している。『国家はなぜ衰退するのか』は中国でも大いに注目を集めていた。中国でも15年、『国家はなぜ失敗するのか』という書名で翻訳出版された。この訪中の折、教授は中国に政策提言を行った。招聘先である中国国務院の「中国発展研究センター」がウェブに提言を掲載した。抜き書きしてみよう。

〈経済成長にとって「包容性のある政治制度」が重要だ。中国はそれなしで驚異的な発展を成し遂げた。だから、今のままで持続的成長ができるという意見もあるが、そうではない。中国の成長はキャッチアップ型であり、非効率な国有企業であっても技術導入で成長を牽引できた。しかし、政治的コネの横行する社会は効率を妨げ、次の段階すなわちイノベーション駆動型の成長の障害となる。〉

この頃、中国は胡錦濤体制から習近平体制への移行期を迎えていた。胡総書記は最後の中央委員会活動報告で「経済発展パターンの転換」を唱え、市場原理を一段と尊重するよう指示した。しかし、政権を継承した習近平は民主化を拒否した。いま人口増加による成長力=「人口ボーナス」の消失もあって中国経済は停滞色を強めている。アセモグル教授らの予言的中というわけだ。

バイデン米大統領によれば米中は「21世紀における民主主義国家と専制主義国家の有用性をめぐる闘い」をしている。「体制間競争」である。中国は専制的な政治体制とむき出しの資本主義を組み合わせた「社会主義市場経済」によって米国に次ぐ経済大国になった。その体制の優位性は実績で明らかだと主張してきた。

今年のノーベル経済学賞がアセモグル教授らに与えられた結果、アカデミズムの世界でははっきり米国の勝ちである。ただ、ノーベル経済学賞は経済学の発展への貢献、影響の大きさに対して与えられる。その研究の正しさを保証するものではない。グローバルサウス諸国は概して中国流の開発独裁を好む。中国は独裁国家だから真似してはいけないよ、と言っても聞いてもらえない。彼らを説得するにはノーベル賞では足りないのだ。