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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

円の実態は1㌦=300円
-4400円超す「しまほっけ定食」-2022.10.01

ニューヨークやロンドン、さらにはバンコクや台北といった都市で、日本食人気はすっかり定着した感がある。もう30年も昔のことだが、米国ワシントンに駐在していた頃、すでに和食のレストランが何軒かあって繁盛していた。個人経営がほとんど。連れ立って昼飯を食いに行ったものだが、まあ10ドル+チップが相場だった。当時の実感は1ドル=100円だから、許容範囲だった。

近頃は日本の大衆レストランチェーンが大挙して出店しているらしい。「大戸屋」というのをご存知か? 国内に416店、海外に101店を展開している。サラリーマンが昼飯を掻っ込む店である。

先般の『日刊ゲンダイ』にびっくりする記事が載っていた。引用する。米国では「日本で980円のしまほっけ定食(4ドルのごはん、味噌汁、漬物付き)が31ドル(1ドル143円換算で4433円)、980円の豚ロースかつ定食(日本では「おろしぽん酢で作る豚のロースかつ定食」)が27ドル(3861円)、600円のざるそば(日本では「せいろそば」)が11ドル(1573円)」だという。この記事を書くにあたって、実際に巣鴨店あたりで食ってみようと思っていたのだが、試していない。申し訳なし。しかし、TBSテレビの「ジョブチューン」なる番組によれば、10人の有名シェフが「しまほっけ定食を大絶賛」している。「極寒の海で育ち脂がのり身の引き締まった時期に、1人前240グラムの特大サイズを1年分まとめ買い」するから「塩味が均等にいきわたり脂身とのバランスが抜群」だそうである。

うまいから高くても注文があるのだろう。それにしても「しまほっけ定食」が4433円ねえ。ちなみに日本で390円の「ビッグマック」はニューヨークで5.81ドル=830円。これも2倍以上だが、日本食の高さは突出している。聞くと在米の日本人も滅多に日本食レストランには行かないようだ。

意気が上がらない話が増えたが、2022年の名目国内総生産(GDP)は1ドル=140円換算だと3.9兆ドルで、世界4位のドイツとほぼ同じになってしまうそうだ。150円ともなると日独は逆転だろう(日本は1968年にGDPで西ドイツを抜いた)。困った円安である。

さて、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長によればコロナ禍について「まだ到達していないが、終わりが視野に入ってきた」そうである。この人の言うことはどうも胡散臭く、今ひとつ信頼できないが、いずれ海外旅行にも行きやすくなるだろう。しかし、ニューヨークに旅しても「しまほっけ定食が食えない」のである。別に食いたいとは思わないが、無念ではないか。

無念の発する淵源は、日本円が「実質」の世界では見掛け(名目)以上に暴落しているからだ。名古屋大学の齊藤誠教授の日経論文によれば、1986年1月から22年7月までに日米の物価格差は2.2倍になった。従って、円レートは見かけでは200円から137円へと円高になったが、実質の為替レートは137円の2.2倍の300円と考えることができる、という。

齊藤教授はいう。「円通貨の長期実質レートの暴落は、大胆な財政金融政策が原因というよりも、体力が著しく低下した日本経済に対し政策効果がなかったことを象徴している。問題は『大胆な政策で万全の備えがなされている』と錯覚してきた国民には日本経済の惨状や政策の無力さが見えづらいことだろう」。

問題は日本経済の「体力低下」であり、アベノミクスは有害無益なことがわかった。いや、齊藤教授のようなきちんと経済学を学んだ人はわかっているが、多くの政治家と国民はまだどこかに「打ち出の小槌」があると思っているらしい。

経済の体力(=潜在成長率)の低下の主因は労働力人口の減少にある。移民労働者増加でそれを補う劇薬みたいな案があるが、手遅れかもしれない。日本に来ても給料が低くて仕送りできないのだから。「大戸屋のうまいほっけ定食が食える」と言っても来てはくれまい。