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「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

株を売って税金払っていい?
-テスラCEOの謎のつぶやき-2021.11.21

世界一の大富豪、電気自動車「テスラ」の創業者、イーロン・マスクが妙なことを始めた。「わたしはテスラの保有株のうち10%を売って税金を払うべきか」とツイッターで問いかけたのだ。その結果、賛成57.9%、反対42.1%だったそうで、賛成多数を理由に保有株を手放し始めた。第1弾として50億ドル(5700億円)相当。

テスラ社は最近、時価総額が1兆ドル(113兆円)を超えた。ちなみにトヨタは33兆円だからすごいね。マスクはテスラの大株主で保有額は2000億ドル(約22兆円)を超す。最終的に10%を売却すれば200億ドル強(4兆5000億円)として、納税額は4500億円前後にもなるだろう。

しかし、なぜこういう手の込んだことをするのだろう。

本人の言によれば「含み益が租税回避の手段だと言われている」「私は株しか持っていないので、個人的に税金を払う唯一の方法は株を売ることだ」。税金逃れをするつもりはありません、と。

いま、世界中で所得格差が問題となり、「分配」が政治課題に上がっている。中国では習近平主席が「共同富裕」を掲げ、金持ち企業に対し国家に上納金を差し出せと迫っている。米国でも実はバイデン政権が株の譲渡益増税を考えている。富裕者層の株式譲渡益に対し39.6%と、現行の2倍近くに引き上げる案などが取り沙汰される。

ということなので、マスクの株の売却は世論をなだめる意味があったのだろう。ツイッターを利用すれば莫大な税金を納めることを天下に周知できる。創業者が株を売ると先行き不安の憶測が生じかねないが、税金を払うため、という理由なら売ってもおかしくない。

しかし、それだけだろうか。私は「いまが株の売りどき」という計算があったに違いないと思う。

というのも、テスラ株はバブルの疑いが濃厚だ。確かに電気自動車のトップランナーではあるが、トヨタの3.4倍の時価総額は妥当だろうか。株式指標はどれを見ても株価が異常であることを示している。金融緩和であふれたドルがテスラ株に流れ込んで、2年前には1株50ドルだったのが、今や1000ドル超だ。バブルで高値のうちに売ってしまいたくなったのではないか。

米国の非営利報道機関プロパブリカが6月、内国歳入庁(IRS)の資料を入手して大富豪たちの納税記録を報道しセンセーションを巻き起こした。アマゾンのトップ、ジェフ・ベゾスは2011年と17年に、マスクは18年、税金を全く払わずに済ませているのだから呆れるではないか。

彼らは報酬をストック・オプション、つまりは自社株で受け取っている。米国の税制では株を売却して現金に変えない限り課税されないのだ。しかし、彼らは豪華ヨットや大豪邸を買って優雅に暮らしている。課税所得ゼロでどうやってそんな贅沢ができるのか。貧乏人には思い付かない手法だが、銀行から借金をするのである。超低金利でいくらでも貸してくれる。借金に税金はかからない。

さて、わが岸田文雄首相も総裁選の際に「金融課税の見直し」を口にしたが、「相場が崩れる」と脅されて慌てて引っ込めてしまった。金持ちが株や不動産でますます金持ちになるのは日米とも一緒である。しかし、株式譲渡益に対する税率20%の分離課税を手直ししてもわれわれの問題は解決しない。

日本の問題は賃金が伸びないことだからだ。先進国グループ(OECD35か国)でわれわれの賃金は英仏より上だったのに今や22番目。年収で韓国より38万円も低いのだ。これが日本の「格差問題」の核心である。デフレで物価も上がっていないからいい? しかし、ポストコロナのうねりのなかで、資源価格の上昇が起きており、物価も安いままではないだろう。

本邦においてはイーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような傍若無人の大富豪問題は生じていない。しかし、事態は米国より深刻なのではないか。アベノミクスからの決別が急務だが、理由を述べる紙幅がない。次回に譲ろう。