警備保障タイムズ下層イメージ画像

「知」に備えあれば憂いなし

潮田道夫の複眼時評

潮田道夫 プロフィール
東京大学経済学部卒、毎日新聞社に入社。経済部記者、ワシントン特派員、経済部長、論説委員長などを歴任し退社。現在、毎日新聞客員論説委員。内外の諸問題を軽妙な筆致で考察する「名うてのコラムニスト」として知られています。著書に「不機嫌なアメリカ人」(日本評論社刊)、「追いやられる日本」(毎日新聞社刊)など。

国境炭素税がやってくる!?
-国益を守るタフな戦いに備えよ-2021.07.11

ドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルト・ミュラー会長に言わせれば「国境炭素税(国境炭素調整)は、保護主義以外の何物でもない」のである。わが国の自工会会長はトヨタ自動車の豊田章男社長だが、そこまでは言っていない。しかし、心の中では「全くそのとおり。よく言ってくれた」と思っているに違いない。

では、問題の「国境炭素税」とは何か。周知の通り「2050年カーボンニュートラル(CO2排出ゼロ)」が世界の大勢となった。菅義偉首相も賛成して中間目標として「2030年度のCO2排出量を13年度比46%削減」を国際公約した。

欧州連合(EU)はCO2削減のトップランナーであり、CO2の排出量に応じて「炭素税」を課しているが、その増強を狙う。企業は税金をかけられるのはイヤだからCO2削減に懸命になる。炭素税というのはCO2減らしの最大の武器と考えられている。

ただ、それだとEU域外との貿易が不利になる。EUの企業は重い炭素税で日本はゼロだったら、勝負にならない。そこで考え出されたのが「国境炭素調整」だ。たとえば、EUの炭素税がCO2を1トン排出するごとに1万円で日本が3000円だとしたら、差額の7000円を関税として課税するのである。これで公平な競争になる。

ん、本当にそうかな? ドイツ自工会のミュラー会長が反対しているのは、なぜだろう。彼は詳しくは語っていないが、たとえばこんな不都合を心配しているのかも知れない。

ドイツの自動車メーカーは中国から鉄板やヘッドライトやその他もろもろを輸入してドイツで組み立て、中国に輸出してもうけている(無論、現地生産もしているが)。しかし、国境炭素調整されると自動車の部材に重い関税が課されるから、完成車の値段は非常に高くなってしまう。ライバルの日米韓がそういうことをしなければ太刀打ちできなくなる。

だが、とにもかくにもCO2排出ゼロを実現しようとすれば、炭素税とそれに伴う国境調整は不可避かも知れない。経済学者の多くが賛成しているのである。 

EUは曲折はありそうだが、2023年に国境炭素税を導入することを目指している。そうなれば、日本からの輸出品には高い関税がかかり、競争力を失いかねない。どういうカウントになるかはっきりしないが、東日本大震災以来、ほとんどの原発が稼働停止した結果、日本の電力の75%は天然ガスや石炭など化石燃料で発電されCO2排出量が多い。高関税になる恐れが強い。

ただ、国境炭素税は国内で炭素税をとっている国からの輸入品はその分軽減される。日本がEUと同じ税率の炭素税をとれば関税はゼロになる。EUにとられるぐらいなら、自国政府が炭素税をとったほうがマシなので、日本などにも普及しCO2削減が一気に進むというもくろみだ。

もっともEUが突っ走るのは勝手だがEUに同調するのではなく、「報復関税」で戦うという手もある。どうすべきか、思案のしどころだ。米国のバイデン政権は炭素税に賛成らしいが、石油業界などが反対。議会の意見も割れているからまだ態度を決めていない。

では、日本はどうすべきか。情勢の急進をうけ、トヨタの豊田章男社長が先ごろ、「東北とフランスでつくったヤリスを比べた場合、クルマとしては同じでも日本生産のクルマは使ってもらえなくなる」と述べた。こうした危機感を受け、炭素の排出に価格をつけるカーボンプライシング、それに課税する炭素税、貿易に伴う国境炭素税の是非など、政府内で検討が始まっている。なんらかの形で導入されそうである。

注意すべきは、保護主義の道具にされかねない点だ。一説には、EUが狙っているのは電気自動車(EV)の覇権だという。この分野では中国の伸びが著しいが、中国では発電設備の脱炭素化が遅れているのを利用して蹴落とそうとしていると。真偽はともかく、国境炭素税は油断のならぬ国際政治そのものだ。タフな駆け引きで国益を守らなければならない。